哀惜男さんから投稿頂いた「思い出の地練馬に7年ぶりに佇む」。
この間、東京に出張があって、7年ぶりに上京した。
7年前までは、練馬駅と桜台駅の中間あたりに住んでた。
だけど、都会の生活に疲れて、故郷にある関連会社へ出向という形で異動し、後に転籍した。
久しぶりの東京で、7年前までいた社屋で仕事をした後、わざわざ練馬にホテルを取って懐かしい街なみを歩いた。
ニュースでやってたから知ってたけど、練馬駅前のアンデス、無くなってた。
昔住んでたマンション、今はどんな人が住んでるのかな~なんて思いながら眺めた。
そして、彼女が住んでたアパートにも行ってみたが、案の定、違う人が住んでた。
「もう7年だもんな…彼女、30歳…住んでるわけないよなあ…」
懐かしい街なみだけど、思い出たちの姿は消えているものばかりだった。
彼女はもういないであろうと思ってはいたが、確かめると寂しいものだ。
でも、もしもまだいたとして、俺は訪ねただろうか…
おそらく訪ねることなく、黙って背中を向けて立ち去っただろう。
7年前の恋人が訪ねてきたとして、しかもその恋人は既婚者、会うべきじゃない。
なら、なぜやってきたのか、人間tとは不思議なものだ。
別れて以降、連絡先は消さないでいるけど、決して連絡もしなかった開いてなのに…
無くなっているのを知って、いないであろうと思いながら、それを確かめて、哀惜に浸る。
彼女は今、どこでどんな暮らしをしているのだろう。
出会ったとき、彼女は女子大生だった。
女子しか入れないアパートに居て、ロックを解除しないとロビーにさえ入れなかったから、逢引きはいつも俺のマンションだった。
そして、10年前、彼女の20歳の処女を貰った。
一人の女の最初の男になれた感激、生の亀頭が処女膜を引き裂き、少女がオンナになった瞬間に立ち会えた歓び、感動的だった。
彼女が成熟した身体を初めて見た男が俺なのだ。
初めて男に股間を開き、恥ずかしい穴を覗かれ、二度と見られない処女膜を観察した。
初めて男にオマンコを触られ、クリを舐められ、ズブズブと初めてのチンポを入れられ、メリメリと処女膜を破られ、その痛みに耐えた彼女。
その時の彼女の初々しさ、恥じらい、それは俺しか知らない。
その後約3年間、何度も俺に抱かれて、セックスの快楽を知っていった彼女。
忘れられないや…
愛した男に愛撫され、クンニされ、チンポでオマンコを掻き回され、そして大丈夫な日には精液を注ぎ込まれ、その快楽に酔い痴れていた彼女。
彼女にとってセックスは、愛情を確かめ合う行為だった。
彼女は自ら唇を求め、舌を絡ませ、若かった俺の性欲にオマンコを委ね、自分の性欲をも満たした。
その姿はとびきり淫らで、普段のしおらしい彼女の姿ではなかった。
あの時、愛情を確かめ合う行為であっても、快感が伴うから、人間はセックスするんだなと思った。
繁殖目的だはなく、男女の愛の確認とか、それに伴う快感tかを目的にセックスする動物は、人間だけだなあとしみじみ思った。
翌日、練馬駅に立ち、ここで、彼女と別れたっけなと思い出に耽った。
彼女は大学を出て就職して社会人になって、意気揚々としてたけど、俺が都会に疲れて、壊れてしまい、故郷に帰る決断をしたとき、
「そう…なんだ…決めちゃったなら、仕方ないよね。私に止める権利は無いから…」
と俯いた。
大学4年、そして練馬に移り住んで4年、都会にはついていけなかった。
最後のセックスは哀しかった。
見納めのオマンコ、今でも目に浮かぶ。
別れの朝、アンデスで朝飯食って、練馬駅で別れた。
「色々ありがとう。勝手にいなくンって、ごめんよ。元気でな。さよなら…」
「私は大丈夫だよ。向こうに帰ったら、壊れた心、癒してね。さよなら。元気でね。」
俺は東京駅へ向かうために西武線へ、彼女は職場へ向かうために大江戸線へ向かった。
最後のお別れをした場所に佇み、30歳の彼女が今、幸せで会って欲しいと願った。
そして、思い出に「さよなら」と言って、練馬を後に帰路に就いた。
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コメント一覧 (4件)
練馬かあ。
俺も昔居たことがある。
いまは東急とか相互乗り入れしてるけど、あの頃は、まだ西武線しか走ってなかったな。
練馬には、私の青春があります。
懐かしい風景が浮かびます。
練馬 アンデス 懐かしい
西友 デンマークベーカリー
練馬、結婚してた頃住んでた。
もう、8年前だ。
プラザトキワで買った、元妻との思い出深いネコTシャツ、捨てられないでずーっとしまってる。
見ると思い出して泣きたくなるから見ないけど、ずーっとしまってる。