ジジイさんから投稿頂いた「郡山にいた4年間の青春と純子の思い出」。
65歳で第二の職場をリタイヤした今は、のんびり暮らしてて、何となく昔を思い出してる。
俺、某大学の系列高校に在籍してて、大学は推薦で、故里を遠く離れて、その系列の大学で福島県郡山市にキャンパスがある大学に入学した。
郡山市は結構大きな都市で、駅前には西武、丸井、少し離れてダイエーなどデパートがあった。
東北だから寒くて雪深いんだろうなと思ったけど、寒かったが雪はあんまり降らない街だった。
あの頃、昭和50年代は高度成長期が終わり、東西冷戦が五輪開催ボイコットなどスポーツ界へも暗い影を落としていた。
俺は、大学の1~2年は下宿で暮らした。
四畳半の部屋は狭く、他の部屋に住まう先輩に気を遣っていた。
1年生はまだ未成年だったが、無理やり酒を飲まされて、先輩に押さえつけられてズボンとパンツを脱がされ、チンポ扱かれて亀頭責めされた。
その下宿の新入生がやられる恒例行事で、射精を焦らされて涙目にされる快楽地獄だった。
我慢に我慢をさせられての射精は、射精を見られる羞恥さえ忘れるほど気を失うほどの快感だったが、射精した後の亀頭責めは、押さえつけられていないと暴れて無理なほどの刺激だった。
夏休み、みんな帰省したが、俺は下宿に残って自動車学校に通った。
いつもと違って静かな下宿、暑いから窓と入口のドアをあけ放ち大の字に寝てたら、廊下を掃除してたおばさんが覗き込み、
「半ズボンからキンタマが見えてるよ。」
と言って、半ズボンの裾から指でキンタマを突いてきた。
ハッとして起きようとしたら、キンタマを握られ、更にチンポを握られて不覚にも勃起してしまった。
「アンタ、女を知ってるのかい?」
と言われ、首を振ったら、
「あたしが教えてあげるよ。」
と言って脱がれ、当時44歳の下宿のおばさんで童貞を卒業した。
騎乗位で腰を振られ、されるがままで、ボーっとしながら、開け放った窓から空とおばさんの乳房を交互に眺めてたのを覚えている。
まだ女を知らなったから、44歳のおばさんの黒マンコでも興奮した。
イマドキの44歳は若々しいけど、あの頃の44歳って、結構なババアだったような気がする。
夏休みの間、自動車学校に通いながら、毎日のようにおばさんとセックスしてた。
夏休みが終わって、学生が戻ると、そう簡単には出来なくなったけど、おじさんが仕事に出かけた後、食堂脇の倉庫で立ちマンしてた。
あと、おばさんの車に、俺が免許を取る数年前から義務付けられた若葉マーク付けて、ラブホに言ってハメ倒したこともあった。
俺は、大学2年を終えた時に下宿を出て、卒業して居なくなった2年先輩が住んでたアパート入居した。
下宿と違って、今度は自炊が大変だったけど、おばさんから解放されて、新入生だった純子という女子大生を口説いて連れ込んで、18歳の処女膜を破った。
あの頃、まだ未婚の男女がセックスするのは後ろめたさが付きまとった時代だったが、大学生は青春を謳歌して、男女交際が活発だった。
俺にとって、順子は二人目の女だったが、彼女としては初めての彼女だった。
一度抱いたら、純子は俺の部屋にしょっちゅうヤリに来るいうになった。
純子は、会津若松の出身で、顔は田舎臭かったけどまあまあ可愛くて、田舎の石野真子って感じだったが、スタイルは抜群だった。
純子は、週末は俺の部屋に泊まり込んでヤリまくってて、俺、学友に拝み倒されて、玄関の郵便受けのカバー外して、玄関に結合部向けて純子を抱いた。
学友は、俺と純子のセックスを郵便受けから覗いてたっけ。
朝、玄関開けると、玄関先のコンクリートの叩きにシミが出来てた。
俺と純子のセックス覗きながら、オナッてたんだろうな。
そのうち、自分から見せろと言ってきた学友は、純情で真面目そうな石野真子に似た純子が、俺のチンポに掻き回されて、乳を揺らして喘いだ姿にショックを受けてたと聞いた。
卒業間近に知ったのは、その学友は、純子に惚れてたということだった。
俺と純子は、一緒にお泊り旅行にも行く仲で、本当に仲がよかったし、セックスの相性も最高だったから、いつしか、コンドーム使わず生でヤリまくるようになってた。
旅行には行ったけど、俺が以前おばさんと行ってたラブホへ行こうと言っても、アパートの部屋でしたいと言って、無駄な金を使わせない、とてもいい子だった。
純子とは、2年間で500回は軽く超えるセックスをしたと思う。
大好きだったけど、俺は卒業したら地元に帰らなければならなかった。
実家に荷物を送って、純子の部屋で最後の夜を過ごした。
最後のセックスは切なかったな。
翌日、郡山駅まで純子が見送りに来てくれた。
駅前では、どこからか歌謡曲が流れてて、それがその時の俺と純子にぴったりで泣けた。
♪ 頬にキスして そしてさよなら 今度会うときは笑顔で
♪ 頬にキスして そしてさよなら 今日の日は忘れない
その後も、この曲を耳にすると、純子を思い出していた。
卒業という旅立ちは、駅で涙で別れる恋人にぴったりで、
「今度会うときは、笑顔で会おうね。さよなら…」
「ああ、その時を楽しみにしてる。さよなら…」
と言って、純子の頬にキスして別れたけれど、その後「今度会うとき」は無かった。
当時はまだ東北新幹線は開通前で、俺は在来線の特急ひばりに乗った。
上野まで3時間弱、俺は純子との思い出に浸りながら電車に揺られた。
俺は、地元に就職して、27歳の時に女房と結婚、もう、女房とは40年一緒に居る。
女房を愛し、今でもたまに女房を抱くが、やっぱり純子の事は忘れられない。
年に何度か思い出す事がある。
純子、何してるんだろ…元気でいるか…
青春を共に過ごし、燃えるような恋をした女だから、年月が過ぎようとも、忘れることなんかできない。
20年くらい昔、仕事で郡山に行ったことがある。
実に四半世紀ぶりに訪れた、純子との思い出の街だった。
駅前には、西武デパートも丸井デパートも無くなってた。
純子との思い出が深すぎて、大学の近くは行けなかった。
安くて美味いラーメン屋とか、店がたくさんあったけど、大学の帰りに純子と一緒に行ってたのを思い出すから、とても行けなかった。
ただ、帰りの新幹線の車窓から、大学の付近を眺めて、きっと純子は会津に帰ったんだろうなと思った。
リタイヤして、暇になって、物置を片付けてたら、大学時代に純子にもらった手帳が出てきた。
開いてみると、学生証が挿し込まれてて、その学生証を抜いてみると、色褪せた俺と純子のツーショット写真があった。
懐かしさで、胸がいっぱいになった。
だから、俺の郡山時代の色褪せた思い出を、ここに書き記してみた。
ジジイの戯言、お付き合いいただき感謝する。

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コメント一覧 (9件)
日大工学部ですね。
greeeenが居た所ですよね?
郡山かあ
20年くらい前まで、住んでたことがあるよ。
赤木町っていう場所で、中学生の頃だった。
懐かしいや。
郡山市、一度だけ行ったことある。
西口は賑やかだが、東口はなんも無い。
ありがとうございます。
自分も大学生時代を思い出しました。
切なくて、でもいいお話しでした。
郡山市、懐かしい。
震災復興支援で2年いた思い出が蘇る。
2年前の投稿が、6月の1位?
郡山市、県庁所在地の福島市よりデカい街だったなあ。
エエ話やな