健司さんから投稿頂いた「初カノ頼子の思い出が残る大学のある街にて」。
51歳の会社員です。
4年前の3月、息子が私と同じ大学に進学したので、息子と一緒に引っ越し先に行ってきました。
アパート決めまでは妻が来てましたが、引っ越しは力仕事なので私が行きました。
その時は実に26年ぶり、息子のアパートに一泊した翌日、息子をアパートに残して帰るとき、懐かしい街並みを歩きました。
26年前まで住んでたアパート、あの頃新しかったアパートは、外壁が塗り替えられてました。
そして、初めての彼女の頼子が住んでたアパートはあの頃のまま佇んでて、懐かしく眺めていました。
すると、元カノが住んでたアパートの一室から、私と同年代の女性が出てきて、こちら側に歩いてきて、チラッと私を見て、駅のほうに歩いて行ったので、私も駅に向かいました。
途中、信号待ちで並ぶと、お互い顔を見て、何となく面影を探すように見つめ合い、
「健司君?」
「頼子か!」
帰りの新幹線の切符はまだ買ってなかったし、懐かしい街並みを少し歩こうと思ってたと言ったら、頼子も同じで、駅まで並んで歩き、頼子の娘は大学4年生で、今年就活だと言ってました。
このまま別れ難くて、駅に向かう途中、路地の前で止まり、ラブホを見つめました。
二人の心は固まってて、26年ぶりに寄り添いました。
ラブホに入り、二人でシャワーを浴び、ベッドで26年ぶりのキス、お互い中年の裸で、頼子は私のペニスを握り、
「私たち、年取ったわね。」
と言って笑いました。
頼子を仰向けにして、足を開かせると、あの頃はピンクだったオマンコは、黒ずんだビラビラに囲まれていました。
「お前、夫婦仲いいみたいだな。」
「あなたこそ、そんなに赤黒くなって・・・」
そういう頼子を26年ぶりにクンニしました。
このオマンコは私が処女膜を破り、中で感じるまでにしたのです。
4年間、おそらく1,000回を超える回数セックスしまくり、頼子のオマンコで女を知ったと言えるオマンコでした。
頼子がお返しのフェラをしてくれましたが、絶妙の舌使いで、旦那に仕込まれたんだろうなと思わせました。
「そのままでいいけど、中には・・・」
「ああ、外に出すさ。」
結婚して以来、初めて妻以外の女と交わりました。
経産婦となった頼子のオマンコでしたが、入れた途端、愛が蘇りました。
入れた感触は忘れてしまいましたが、喘ぎ声はあの頃のまま、目を閉じると、ミレニアムな大学時代が蘇りました。
舌を絡め合うキスをしながら、26年の歳月を遡り、僅かに残ってた愛の残り火を燃やし尽くしました。
あの頃、ピチピチだった頼子の身体は、アラフィフになって、緩んだ下腹部が波打ち、熟れた色香を感じました。
初カノとはいえ、他人妻を抱いている、もう、自分のものじゃなくなった人妻とのセックスに、興奮もしました。
ティッシュを頼子に持たせ、そこに抜いたペニスを置くと、26年前のように握って手でオマンコを形成、そこに射精しました。
暫くまどろんで、ラブホを出るとき、キスを交わしました。
駅で切符を買い、先に頼子が載る新幹線が来て、
「頼子、元気でな。さよなら。」
「健司君、さよなら。元気でね。」
新幹線のドアが閉まり、頼子を連れ去って行きました。
反対方向に進む新幹線に乗り、帰路に就きました。
26年前の携帯にはあった頼子の連絡先も、携帯を変える中で整理され、スマホには頼子の連絡先はありません。
でも、別れ際に訊かず教えず、もう、会わない方がいいことを確認した再会を閉じました。
今年2月下旬、息子が卒業してアパートを引き払うため、4年ぶりに息子のアパートに行きました。
息子のアパートに行く道すがら、29年前まで住んでたアパートを眺め、そして、もう頼子の娘さんは卒業して住んでない頼子が住んでたアパートを眺めました。
「もう、頼子が出てくることはないなあ・・・頼子、元気かなあ・・・」
と呟いて、息子のアパートに向かいました。
そして、頼子との思い出が残るこの街にも、もう来ることがない寂しさに浸りましたが、
「あの時、愛の残り火は燃やし尽くしたじゃないか・・・」
と呟き、頼子に最後の思いを馳せました。

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