陸奥さんから投稿頂いた「10年前に君と過ごした練馬を訪ねて・・・」。
東京出張、予定よりだいぶ早く仕事を終え、新幹線の時間まで余裕があったから、練馬駅に降り立ちました。
実に10年ぶり、駅の南側に出ると、君との青春の思い出が詰まった喫茶店アンデスが無くなっていて、寂しくなりました。
桜台駅方面に歩くとプラザトキワがあって、君と一緒にここでネコのTシャツをたくさん買って、パジャマ代わりにしてたのを懐かしく思い出しました。
それから、当時住んでたアパートが、あの頃のまま残っていました。
君が住んでたアパートは、外壁が塗りかえられてて、あの頃の面影が無くなってましたし、当たり前ですが、もう君はいませんでした。
どっちのアパートも狭い部屋で、アパートを行ったり来たりしながら、君と二人でネコT着て、イチャイチャしてたのを思い出します。
大学生同士だった僕たちは、暇さえあれがセックスしてましたね。
異性の身体が物珍しくて、弄ったり、凝視したり、恥ずかしかったけど、見られることもまた快感だったような、そんな二人でした。
二人が初めて寄り添ったのは、東日本大震災でしたね。
電車が止まって、大学から歩いて帰ってきて、君と返る方向がずっと一緒で、話すとお互いのアパートが練馬駅に近い場所で、一緒に励まし合いながら歩いたのを覚えています。
僕の故郷は東北、沿岸部ではないから津波の心配はなかったけど、新幹線も止まって、彼岸の帰省は諦めました。
あれ以来、二人で過ごすことが多くなり、そして、初めて二人で朝を迎えて・・・お互い初めて同士ではなかったけど、初めて結ばれた時の感激は忘れていません。
君と抱き合った時の温もり、ほのかに香り立つ甘い匂い、思い出します。
スレンダーに見えたけど、脱ぐと意外とプリプリで、ソソル身体でした。
アソコもプリプリで肉厚、中はジューシーであまりキツキツじゃなかったから、長持ちして君を喘がせることができたんだと思います。
突くたび、プリプリの身体がプルルンと揺れて、たまりませんでした。
お休みの日は、どちらかのアパートにずっといて、イチャイチャとセックスを繰り返す1日でしたね。
若かったと思います。
若かった僕たちには、色んな夢があって、酒飲んで語り合いましたね。
僕は、4年生になった時、実家のある東北が復興で深刻な人手不足で、父と兄に、
「戻ってきてくれ・・・」
と言われて悩みました。
僕が出した答えは、夢は諦めて帰郷することでした。
「そう・・・来年の春で、お別れなんだね・・・」
あの時のキミの寂しそうな顔、忘れられません。
君は、練馬のアパートから池袋の就職先に通えるから、アパートを引き払いませんでしたね。
僕は、アパートを引き払い、使えそうなものは君の部屋において、単身パックを実家に送って練馬を後にしました。
最後の夜を君の部屋で過ごし、翌日、喫茶アンデスでエビピラフを食べて、君に見送られながら、西武池袋線で練馬を去りました。
新幹線のホームで見送られるのは辛いから、僕はわざと湘南新宿ラインで大宮から新幹線に乗るから、練馬で別れました。
「さよなら・・・2年間、楽しかった。ありがとう。夢、叶えてな。」
「復興、頑張ってね。応援してる・・・さよなら。元気でね・・・」
手を振って別れた練馬駅、ちょっと帰省してくるみたいな軽い感じでしたが、これが新幹線のホームだと泣いてしまったかもしれません。
10年ぶりに再び練馬駅から池袋行きに乗るために改札を抜け、振り返ったら、君が居そうな気がしました。
君は、今は、どこでどんな暮らしをしているのでしょう・・・
僕は結婚して、子供が2人いて、ほのぼのとした幸せの中、故郷で暮らしています。
君もお母さんになってますか?
君は幸せですか?
あのときの夢は叶いましたか?
もし、東日本大震災がなかったなら、僕は今、君と東京で暮らしてたのかもしれませんね。
君の夢が叶うこと、そして、君の幸せを願い続けて10年目、練馬を後にします。
感想などコメントをどうぞ!投稿していただいた方の励みになります!
コメント一覧 (2件)
アンデス、俺も12年前まで練馬にいたから覚えてるよ。
雑誌なんか手に取ると、ちょっと埃がたまってたりしてたのを覚えてる。
俺も大震災で福島に帰ったクチでね、誰も福島に就職してくれなくて、戻ったんだ。
やっぱり、彼女と別れたのはきつかったなあ。
プラザトキワ、俺も行ったな。
ネコTシャツって、西武線の高架下に並んでたよね。
俺も買ったわ。
西友のお墨付き、いっぱい買ったっけなあ。
懐かしいや。
オレは桜台の北に住んでた。
交番とか坂内食堂があったあたりにね。
懐かしいな。