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50年前の中学生の頃、山頂の石碑の裏で全裸オナニーし、完全包茎のペニスはわずか2分で果てた

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ラルゴさんから投稿頂いた「50年前の中学生の頃、山頂の石碑の裏で全裸オナニーし、完全包茎のペニスはわずか2分で果てた」。

 これは、今から50年前、私が中学生の頃の体験です。
 その時代は今と違って、インターネットでエッチな体験談などを閲覧できる訳でもなく、野外露出などという言葉も知りませんでしたが、今から考えると自分には野外露出の性癖がありました。その頃の僕のスペックは、


身長 170cm
体重 55kg
顔 中の下(眼鏡なし)
成績 3年間常に1番
ペニス 平常時 7cm   勃起時 15cm  勃起時でも先っぽまで皮を被った象さんの鼻状態の完全な包茎 角度は腹につくほどの上向きではなく、水平程度で左下にやや湾曲しており、ちょうどトイレットペーパーの筒にすっぽり納まる大きさ

 話は横道にそれますが、当時は勃起したら亀頭を覆う皮が張りに張って、てかてかしていたのが今思うととても懐かしいです。大学4年生の秋頃までこの状態が続いていました。
 今では、インターネットで6割7割の人が仮性包茎などという情報も手に入りますし、看護師のレクチャーや包茎の人の動画を見ることもできますが、当時はそうしたものもなく、また私には親しくそんな話をする友人もいませんでしたし、当然家族にも相談できませんでした。あるとき、2つ下の弟が寝入っているとき、そっとパンツを脱がしペニスを見たら、剥けていたのにもショックを受けました。エッチな雑誌には包茎手術の広告がたくさん載っており、包茎を解消するのは手術しかないと思い込んでいました。 
 そんな自分にとって、高校の修学旅行は大きな関門でしたが、何の対策もできないまま、その日を迎えてしまいました。しかし、入浴時は、皆んなタオルで固くガードしていたので、ことなきを得ました。その後、大学に入るまでには何とかしないといけないと思ってはいましたが、またまた何もしないまま、大学の合格が決まりました。
 大学に入ってすぐ、嫌でたまりませんでしたが、意を決して銭湯に行きました。その時は見栄剥きもできず、ずっとタオルで前を隠していました。何かがやがやとすごく騒がしく感じて、人の声が人の声としてまともに耳に入って来ず、視野も狭くなって何も見えず、どうやって身体を洗い、湯舟につかり、どうやって身体を拭いたのかも全く覚えていません。もう二度と行きたくないと強く思い、実際二度と行くことはありませんでした。 
 それからは、濡らしたタオルで身体を拭いたり、下宿の共同の流しで、他の人がいないときを見計らって髪を洗ったりして、4年間過ごしました。夏休み、冬休み、春休みになるとすぐに実家に帰り、ゆっくり風呂に入るのが楽しみでした。本当に哀れな大学生でした。今から思うと、馬鹿げた話です。他の人のペニスを見れば、皆んなこんなものかと思えたのでしょうけど、その時はとてもじゃないけど、そんな余裕はありませんでした。もっとも、他の人の見栄剥きを見て、ますます悲観的になっていたかも知れませんが。
 しかし、その後大学4年生の秋から冬にかけて、どこから情報を得たのか、寝る前に皮を剥くことを続けました。最初のうちは朝起きたら必ず皮が戻っていましたが、パンツに擦れて痛いのを我慢しながら、なるべく昼間も剥いておくようにすると、数カ月後には、通常時でも、かなりの確率で皮が剥けるようになりました。今では、例えばすごく寒くてペニスが縮こまるようなときでも、100%ズル剥けです。こんなことなら、もっと早く高校の頃からやっておけば自分に自信を持て、自分の人生も随分違うものになっていたのではないかと思っています。
 因みに、童貞を捨てたのは、就職した年、23歳の春の職場の旅行のときでした。相手はソープランド嬢です。その後も風俗での経験は積みましたが、素人との経験は妻とが初めてでした。テレクラもよく利用しましたが、今思えば本当の意味での素人との経験は妻とのほかにはありません。包茎を気にし、それがすべてのように考え、女性と付き合えなかった高校、大学時代が、とてももったいなかったです。まさに僕の黒歴史です。

 話を戻して、中学生の頃よくしていたオナニーのことをお話ししたいと思いますが、何せ50年前のことなので、ドキドキするような臨場感のある書き方はできません。思い出せる事実を淡々と述べる感じです。

 まず、昼間よくしていたのが、野外で全裸になってするオナニーです。
 当時住んでいた山◯県東部の町の自宅から歩いて10分足らずのところに高さが80m位の低い山がありました。整備された遊歩道を登ると、頂上にはかなり広い広場があり、その一番奥に高さが7m位ある立派な忠魂碑がありました。この忠魂碑の後ろは鬱蒼と木が茂っており、裏側から人が来る心配はありません。
 忠魂碑の裏に隠れると、まず上着、シャツを脱いで、上半身裸になります。次に、ズボン、パンツを脱ぎ、最後に靴、靴下を脱ぎます。これで完全に全裸です。既に最大限に勃起した完全包茎のペニスに当たる風が、冷たくてとても気持ちよかったのを今でもよく覚えています。服を脱ぐ間も、常に顔だけは広場の入口に向け、登ってくる人に最大限の注意を払います。忠魂碑は2m位の幅があり、十分に身体は隠れるし、もし誰かが登ってきても、広場の入口から自分のところまでは、50m位の距離があるので、すぐに服を着ることができます。
 私は包茎にありがちな超早漏なので、オナニーの時間は2分位です。左手を上下に動かすと、すぐにクライマックスに達し、ドピュドピュと50cm位先の地面に精子をぶちまけます。家では、トイレットペーパーを丸めペニスに被せ、精子を飛び散らせないように細心の注意を払わなくてはいけませんが、外なら背中を丸めることなく、胸を張って腰を前に突き出して、フィニッシュすることができます。何と言ってもこれがいちばんの快感でした。
 果たしてこれが中学校の何年生の頃で、どの位の期間でどの位の頻度だったかは覚えていませんが、毎週という程の頻度ではなかったし、少なくとも高校生になってからは、リスクのことを考え始めたのか、やりませんでした。幸い、人が登って来たことは一度もありませんでしたが。
 ひとつよく覚えているのは、何回目かのとき、思い切って包皮を剥いたら、白くて臭いものが亀頭にたくさん付いていたことです。そのときは病気ではないかと恐れましたが、それが恥垢というものであることを知り、多分風呂に入った時などに、少しずつ拭い取ったような気がします。その後、いつも風呂できれいにしていたかどうかは今では覚えていません。

 当時のことを思い出すと、もちろんオナニーの場所は部屋、トイレ、風呂が中心でした。部屋では、掃除機のホースを抜いた穴にペニスを入れたり、首を振る赤べこのようなブルドッグの置き物の頭を抜いて、胴体部分の空洞にペニスを突っ込んだりしていました。フィニッシュ前には皮の余りに輪ゴムをぐるぐる巻きつけ、トイレットペーパーいらずの包皮内射精もよくしていました。居間の引き戸を5cm位開け、そこから完全包茎のペニスを外に出したり、鏡を床に置き、自分の肛門を見るのもとても興奮しました。
 トイレに入ったときは、足元の小さな引き戸を少し開け、顔を床に付け、向かいの家の掃き出しの引き戸全開の居間を必ず覗きました。そこの奥さんは30歳前後のスタイルのいい人で、あぐらをかいて縫い物などをしているときに、よく白いパンティを拝ませてもらったものです。いちばん興奮したのは、赤いビキニの水着の試着を見たときです。さすがに、着替えるのは別の部屋でしたが、いろいろなポーズを居間でやってくれたのです。ビキニは面積が大きいもので、残念ながらハミ毛の可能性はゼロでしたが、何と腕を上げたとき、長年放置しているのが間違いないほどボーボーの腋毛が目に飛び込んできました。それからは、ノースリーブのときにも気をつけて見るようにし、何度も濃い腋毛を見せてもらいました。
 今考えると、この奥さんにはきっと露出趣味があったのではないでしょうか。私がトイレの引き戸を少し開けているのにも気づいていたのかも知れません。残念ながら、他の方の体験談のように、ここから発展するようなことは何もありませんでしたし、あったとしても私にはもう一歩踏み出す勇気もなかったとは思いますが。
 この時代は、この奥さんのように腋毛を処理していない女性も多く、中学校でも、家庭科の先生には、今まで見た中で最高レベルのボーボーの腋毛を見せてもらいました。高校のときは、通学の電車で、吊り革を掴む何人かの同級生女子のチョロチョロ腋毛を見せてもらいましたし、修学旅行ではバスに乗り込むとき、同じクラスの女子のまばらだけど長い腋毛を見せてもらいました。高校生は半袖でしたが、奥さんと先生はノースリーブでした。今では考えられない本当にいい時代でした。
 長くなりましたので、もうひとつの野外露出体験は後日投稿します。

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