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妻を抱く時に在りし日の義母を感じて・・・

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婿さんから投稿頂いた「妻を抱く時に在りし日の義母を感じて・・・」。

2度の離婚を経験した44歳の義母は、22歳の新入社員だった私の上司でした。
義母はとても美しく、私は憧れの女性になっていました。
上司だった義母のカバン持ちで出張のお供をした夜、一緒に夕食を食べた後にホテルの義母の部屋で二次会の酒飲み、仄かに香り立つ女ん尾色香に勃起してしまいました。

それは義母の誘惑で、見事に落とされて関係してしまいました。

義母の裸身、それはそれまで付き合ってきた10代、20代の女の子には無い艶かしさ、そして身のこなしはまるで媚薬のように色っぽくて、メロメロにされました。
色めき立つ熟女の肌、元夫に愛でられし女陰は藤色にめくれ、若い女の桃色の女陰には無い淫蕩な佇まいに若き男根が奮い起ちました。
それまでの恋愛は、私が彼女をリードしていましたが、義母との恋愛は、上司である義母のペースでした。
熟した女体の肉欲に囚われ、艶香に噎せ返る日々、私は、24歳の時に、上司である46歳の義母にプロポーズをしたのです。
義母は、
「結婚するなら私の娘はどう?そうしたら、私ともずっと一緒よ。」

義母に言われるまま、後に妻となる娘さんを紹介されました。
2年後に私と結婚することとなる娘さんは当時短大を出て社会人一年生、21歳でした。
義母に似て美しく、心奪われましたが、義母に事前に知らされていたのは、レイプ被害の過去でした。
妻は、中学2年の時、レイプによって処女膜を破られていました。
妻をレイプしたのは、義母の再婚相手でした。
義母に似て美しい妻、中学2年の頃はさぞかし美少女だったでしょう。
その美しき中学2年の女の子が、義理の父に組み敷かれ、セーラー服のままオヤジ男根に貫かれ、、13歳の純潔を散らしたのです。
その後数回、義理の父に凌辱され、義母の知るところとなり義母はバツ2になりました。
義母の前夫はその後、獄中死を遂げています。

私は、哀しい過去を持つ美しい妻を紹介され、お付き合いを始めました。
妻は、私が妻の悲惨な過去を承知の上で交際していることを知っていました。
「母が上司だから、仕方なくお付き合いしているなら、正直に言ってください。私、汚れた身体ですから、幸せな結婚ができるとは思っていません。男性とお付き合いすることも、諦めていますから・・・」
「自分の意思で奪われたわけじゃないだろ?そんなの事故だよ。いつか、俺の腕の中で裸になってくれたなら、俺が忘れさせてあげるよ。」
なんて、気障なセリフを吐きました。
そして私は、相変わらず義母の妖艶な女の肉に浸りきり、吸い尽くすような熟女の肌に男根を囚われ、突姦を繰り返していました。
だから、妻が性行為を恐れているうちは、妻を口説かずに済んでいました。

交際して1年半の頃、妻が、
「あの・・・セックス、誘っても良いですよ。私、あなただったら、セックスも怖くないような気がします。」
熟女の手ほどきで、大人のセックスを心得ていた私と、非処女だったが性体験の浅い妻、ホテルで全裸で向き合いました。
美熟女の義母に似て美しい妻、ツンと上を向いた乳房、薄めの陰毛の下には縦筋一本の女裂、優しく愛撫して乳首を舌で転がし、そして初々しい女裂を広げました。
藤色にめくれた義母のそれとは全く違う桃色の女唇、まるで大学時代の元カノだった女子高生の処女の女陰に匹敵する美しさでした。
義母が喜んだ女核を吸いながら舌先で弾くクンニはまだ早かろうと、女核を優しく撫でるようなクンニをしました。
妻は、私がすることを黙って受け入れていましたが、女陰をめくられて舐められることは想定の範囲外だったようで、
「そんなところ、汚いですから・・・ああ・・・ああん・・・」
とかなり恥じらっていましたが、その後、拙いながらもフェラをしてくれたので、あれは感じてしまっている自分への照れ隠しだったのでしょう。

私は、コンドームを着けずに生で挿入しました。
当然、処女膜は無く、根元まで入りましたが、
「んん・・・ああ・・・少し痛いかも・・・」
と性交痛を訴えましたが、
「でも大丈夫、続けて・・・」
と健気に耐えていました。
何せ強引な中年オヤジの性欲処理でしかない性体験を数回しか経験していませんから、性的には未開発でした。
愛の言葉を囁き、一つになっている歓びを訴えましたが、妻は、怯えたような表情でした。
生挿入であるにもかかわらず、避妊を求めることも無いので、そこまで気が回らないほど性行為に怯えていると感じました。
走行しているうち、ネチネチした感触にふと結合部を見たら、男根に血が付いてきました。
経血・・・ということは中に出しても・・・私は、妻と初めて結ばれた日、生挿入でそのまま中出しをしました。
さすがに、妻も中で出されたことは感じたようで、不安が入り交じった表情で、
「愛する人と一つになれて、嬉しかった。でも、妊娠したらどうしよう・・・」
と言われました。
「結婚しよう。俺の子供、産んで欲しい・・・」
と言いました。

妻は、ポロポロ涙を流し、
「私がお嫁さんになれるなんて・・・」
と泣いていました。
男根を抜いて、妻に血が付いているのを見せつけるようにして、
「あれ?血が付いてる。生理、始まったんじゃない?」
というと、妻は、
「え?生理?・・・生理は一昨日終わったばかりよ。」
「なんだって?じゃあ・・・」
おそらくは、処女膜を破られた後に数回しか性交していないので、破断した処女膜の一部が治癒していたのかもしれません。
妻の女穴から、血が混じった精液がトロトロと流れ出すのを、妻が覗き込んで、
「本当だ・・・血が出てる・・・私、処女膜残ってたんだ。愛する人に処女膜破ってもらえたんだね・・・」
女穴から精液を垂れ流しながら、妻がうれし泣きしていました。
うら若き美しい女性が裸で股を開き、血の混じった精液を女穴から逆流させて泣いている姿は、なんだか無理やり犯された女性のようで、妻の昏い過去を見ているようで辛かったです。

身支度を整えて ホテルから帰ろうという時、妻が、
「あの・・・お嫁さんにしてくれるんですよね?」
「ああ、プロポーズしたつもりだよ。」
「はい、お嫁さんにしてください。あの・・・そのつもりでもう一回抱いてください・・・」
恥かしそうに、俯いて妻が言いました。
私は、妻を抱きしめて、服を脱がせてこの日二回目のセックスをしました。
もちろん、恐れながらも中出しをしました。
でも、この時の中出し2発で妻が妊娠することはありませんでした。

妻を抱きつつ、義母も抱いていました。
妻に対する贖罪の念はありましたが、義母の女体は蜜の味でした。
私26歳、妻23歳で結婚、妻は家を出て私とアパート暮らし、でも、48歳の義母と週1回でしたが逢瀬は続いていました。

四十路の義母はまだし頃、激しい交わりで乳房を揺らしていました。
まだ妊娠するかもしれないというスリルもあって、生性交は性欲をそそられました。
妻が第一子、第二子を出産した時代、五十路になった義母は閉経して、生入れ中出し、妊娠出産子育てが重なって、妻と性生活が制限された時代、五十路の美熟女の義母の女体は、とても重宝しました。
そして私もアラフォー、義母も定年退職して六十路の超熟女となり、外見の劣化も目立ってきましたが、まだ、逢瀬は続いていました。
熟しきった女性の男性に対する奉仕の精神に男根を委ねていましたが、
「そろそろ、私もあなたから卒業しなくちゃね。この頃、あなたに抱かれた後、疲れが目立ってきて・・・あなたも四十路になるんだもの、あの子一人で精いっぱいになるでしょ・・・」
「お義母さん・・・」

私40歳、義母62歳、妻にはウソの出張をでっち上げ、義母とお別れ旅行をしました。
それは、義母と初めて結ばれたあの出張先、泊ったホテルはあの時と同じでしたが、和室を選びました。
しっぽりと、最後の交わりをして、義母のドドメ色の女唇を義理の息子の四十路精液で染め上げました。
ホテルを出る時、
「ここの駅で降ろして・・・一緒に帰るんじゃなくて、ここでお別れしたいの。オトコのあなたと、オンナの私は、この街で結ばれて、この街で別れる・・・今度会う時は、母子・・・」

駅前で義母を降ろしました。
「さようなら・・・お義母さん・・・」
「18年間も愛されて・・・私にとって、一番長い間抱かれたのは、元の夫じゃなくて、あなただった・・・ありがとう・・・さようなら・・・」
義母の目から涙が一筋・・・私の目からも涙が溢れました。
妻を裏切る不倫、しかも相手は妻の母・・・でも、私にとっては、始めてプロポーズした女性でした。
男女としてケジメをつけるために、義母が選んだこの街での別れを、心に刻んで、私は一人で妻の元へ帰りました。

「お帰りなさい、あなた・・・」
抱き付いてくる妻は37歳、結婚して14年、相変わらず美しい妻を抱きしめ、
「今夜、いいだろ?お前を抱くのを楽しみにして帰ってきたんだから・・・」
「うふっ・・・」
頬を染める妻が可愛かった。
その夜、妻を抱いて感じたのは、妻の喘ぎが義母ソックリだということ・・・ああ、俺は今までそれにさえ気づいていなかったんだと思ったら、俺は今誰を抱いているんだろうと思った。
初めて義母と関係した頃の年齢に、妻が近づいてくると、ますますあの頃の義母に似てきた。
この日、俺に抱かれて喘ぎまくった嫁が、
「セックスって、こんなに素敵な事だったのね・・・愛する人に抱かれると、恥かしささえ気持ち良くなるのね・・・お母さん、ずっと一人で・・・可哀相だった・・・」
そんな妻に、事実を伝えるわけにもいかず、
「お前の実家、リフォームしてお義母さんと一緒に暮らすか?」
「えっ!本当?あなた・・・」
抱き付いてきた妻の最高の抱き心地に、再び勃起した男根が、まだ精液がこびりついていたにもかかわらず、妻の女穴にヌルリと入り、妻上位で二回戦が始まりました。

妻の実家をリフォームして、義母と私達家族が同居を始めましたが、義母と私は男女として求めあうことはなく、すっかり母子でした。
子供たちの部屋と夫婦の寝室は以前より離れ、妻も遠慮なく喘ぐことができるようになり、中年夫婦の営みが盛んになりました。
妻も四十路になると、義母がそうだったようにし頃の身体を疼かせ、その美しく淑やかな見た目にそぐわず、自ら女陰を指で拡げて妻から求めてくるようになりました。
若い頃、クンニにさえ恥じらっていた妻が自ら女唇をめくる姿は、私を夢中にさせました。
夫婦の激しい営みは、子供たちには悟られませんでしたが、義母には悟られ、
「あの子、本当に幸せ者だわ・・・このところ、毎晩でしょ?」
こんな会話、普通の義母と婿では成立しませんが、18年間男女の関係にあった私たちは、夫婦の営みも包み隠さず義母へ話せるのです。

昨年、私と妻が銀婚式を迎え、子供たちも社会に巣立ち、義母と私達3人の暮らしになっていました。
アラフィフ夫婦になっても、まだ頻繁に身体を重ねる私達に、義母は、
「本当にあの子も私も、幸せ者だわ・・・還暦過ぎてもあなたに抱かれてたんだもの、私ったら・・・あの子もきっと、満足してるわ。昏い過去なんて、あなたとの幸せな暮らしで忘れちゃったでしょうね・・・」
そんな事を言っていた義母は、今年、74歳で他界しました。
病気一つしなかった義母は、交通事故で亡くなってしまいました。
私は、義母をかつて愛した元カノとして、送りました。
涙ぐむ私を見て、妻は、
「あなたも哀しいのね。あなたとお母さん、仲良かったもんね・・・私が妬いちゃうくらい、仲良しだった・・・」
「お義母さんは、新米だった俺を一人前にしてくれた恩人でもあるからな・・・」
「そうだったわね・・・」
そう言いながらも、私は、義母を初めて抱いた時のことを思い出していました。

妻は、私は賀島て抱いた頃の義母の年齢をとうに超えています。
時の流れをひしひしと感じながらも、今、私は49歳の妻を抱ける喜びに浸っています。
美しい義母に似た妻は、その時々で、その年齢の頃の義母を思い出させます。
抱き心地と女陰の具合は、妻と義母は違いますが、喘ぎ声だけはそっくりそのままだと思っていました。
でも、思い返すと、妻の抱き心地は、その年齢の義母に似ているかもしれません。
私は今、妻の女体を愛でながら、同時に在りし日の義母を抱いているような気がしています。
妻に、義母の面影と抱き心地を重ねて、母娘を愛しているような気がします・・・

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