元彼さんから投稿頂いた「大学時代の2年後輩の彼女とのメール」。
私が大学生だったのは、ミレニアムな頃でした。
あの頃、東京の大学ではスーパーフリーが流行ってて、地方の大学も真似てヤリサーを作っていました。
地方でも、大学があるような都市はそこそこの規模があり、私立公立の大学がいくつか市内にありました。
一人でナンパする勇気はなくても、ヤリサーの合コンだと、酔いとノリですぐ相手が見つかり、見つからないときは妥協して、好みでない女子大生とワンナイトしました。
初めは、大学1年のときに先輩に連れられて参加して、1年生のチェリーと紹介され、4年生の女子大生にお持ち帰りされました。
初めて女性の生の裸やオマンコを見て、鼻血が出そうでした。
クンニを指導され、初めてオマンコを舐め、フェラされて、出そうになって、もう、腰がカクカク、コンドームを装着されてる最中に、その刺激で漏らしてしまいました。
「大丈夫よ。洗ってらっしゃい。」
と言われ、シャワーで洗って再挑戦、大きく股を広げた女子大生のお姉さんのオマンコに、ゆっくりと入れました。
一度漏らしてるから、今度は長持ちしましたが、オナニーとは違うオマンコの快感に、虜になりました。
以前関係したお姉さんに呼び出され、4年生のお姉さん3人相手に4P、一晩で1人2回、計6発抜かれたこともありました。
仮眠した次の日、2人のお姉さんに押さえつけられ、手コキで勃起させられ、伝線したストッキングで亀頭責め、ヒイヒイ言わされたけれど、亀頭だけじゃイケなくて、
「行きたいんでしょ?じゃあ、自分でシコって出しなさい。」
と言われ、真っ赤に充血した亀頭を解放され、もう、我慢の限界だった私は、3人の女子大生が見てる前でシコシコ、ドッピュルルルルルル~~というオナニー大量射精を見られました。
その後も、合コンでは4年生のお姉さんに甘えてお持ち帰りされ、1年生で十数人の3~4年生のお姉さんとセフレ状態でした。
2年生になると、合コンのメンバーが1/4入れ替わり、初めて3対3の6Pを経験しました。
あれ、他人のセックスを見る、他人いセックスを見られるって言う興奮があって、結局入れ替わりで3人全員とヤリました。
もう、女子大生はヘロヘロ、グロッキーになっていました。
ヤリ旅行を計画して、貸切にした旅館の大広間で、十数人の男女が入り混じって、アッチでパンパン、こっちでアンアン、人気のある女の子は、一晩で5~6人相手にして、白目剥いていました。
今考えると、若かったですね。
3年生になって、合コンで仲良くなった1年生の処女をもらいました。
処女をもらうと、あまり合コンに参加しずらくなって、参加回数が半減、その女の子とばかりヤルようになりましたが、初め痛がっていた女の子が、痛みが消えて、少しずつ中で感じて、快感に戸惑うようになっていく過程が見れました。
やがて、自ら跨って、ヒイヒイ言うようになりました。
1年生の子が夏休みで帰省した時、7月中に残って、人妻相手の真昼間からランチコンパに行って、初めて母親世代の四十路熟女を抱いて、若い女の子にはない魅力を知りました。
経産婦のちょっと緩んだオマンコ、少しきつめ臭い、黒ずんだビラビラ、いわゆるグロマンの良さを知ったのです。
4年生の時は、女子大生との合コンにはいかなくなり、処女をもらった2学年下の女子大生がすっかり彼女気取りなので、女子大生はその子だけにして、あとは隠れてランチコンパで知り合った40代、50代の人妻熟女と昼間の逢瀬をしていました。
40代の人妻熟女とはゴムハメ、乳房にキスマークを見つけ、昨夜は旦那のペニスで掻き回されて、ヒーヒー言ってたのかななんて、その漂う色香にクラクラしました。
ぱ男の匂いがする熟女って、どんなに清楚感を漂わせてても、夜は旦那にハメられて喘いでるんだろうな~と思うと興奮しました。
五十路熟女は併記してるし、夫婦の営みも無くなってるらしく、生入れ中出しでした。
母親より年上の熟女とのセックスは、いわゆるフェロモンまみれになって、妙に興奮させました。
人妻熟女のセフレは数人いて、卒業するときに、最後、一人ひとりとお別れセックスしました。
そして、最後、アパートを引き払った後、2学年下の女の子と3日間、その子のアパートで暮らし、別れを惜しみました。
最後の夜、ステーションホテルに部屋を取り、レストランで最後の晩餐、夜景を見下ろす部屋でロマンティックにセックスしました。
そして翌日、少し街をブラついて、ランチした後、駅で別れました。
彼女は春休みの帰省、私は故郷に就職を決め、帰郷、
「じゃあな。元気でな。さよなら。」
「さよなら。ずっと忘れない。私の初めての彼氏だもん。さよなら。元気でね。」
それぞれ、新幹線の反対側のホームに行くエレベーターに乗りました。
結局、4年間で、女子大生や人妻熟女三十数人とセックスしました。
帰郷して、就職して1年は忙しくて恋愛どころではありませんでした。
2年目、出張でカバン持ちをした四十路の女性主任と宿泊先で不倫、旦那さんが単身赴任で女盛りでし頃な四十路女体を疼かせてて、一度関係したら、平日、私のアパートに寄って下だけ脱いでハメ倒して帰るようになりました。
そんな2年目の秋、久しぶりに耳にする着信音、2学年後輩の女の子からメールで、故郷に就職が決まった報告でした。
「おめでとう」と返して、それに返事はありませんでした。
主任との関係は2年近く続き、旦那さんの単身赴任の終わりと他の支店への異動で関係が清算されました。
清算される1月前、2が雨年後輩から最後のメール、卒業して帰郷しましたの報告で、「仕事頑張ってな。」と返すと、「ありがとう。ずっと忘れないからね。」と返ってきて、それが最後のメールになりました。
就職4年目に、訪問した先のインフォメーションにいた綺麗なお姉さんに、訪問先と名刺を渡すと、
「もしかして、○○中学の・・・私、△△です。」
中学の同級生の女の子で、懐かしくなって名刺交換して、週末飲みに行きました。
中学時代は臆して声をかけられなかったマドンナが、美しくなって目の前に、三十数人の女性とベッドを共にしてきた自身からいきなり口説くと、簡単に落ちました。
二人とも20代半ばを過ぎ、色々経験してきて、約10年ぶりの再会に心躍らせました。
中学のマドンナは、美しくも経験値を感じるキス、オマンコ、ペニス扱い、腰使いで、私のペニスを貪欲に貪り、ヨガリ狂いました。
3度目のセックスで、
「コンドーム要らない。中には出さないでね。このオチンチン、生で味わいたい。」
もう、ヒーヒーの乱れよう、
「このオチンチンなら、毎日味わいたい。」
と3度目のセックスで逆プロポーズ、翌年、交際1年で結婚しました。
今年、結婚して18年、45歳同士の夫婦になってますが、ほぼ毎日セックスがあります。
先日、古いジュラルミンのケースを開けてみると、中に、大学生の頃のガラケー一式が入っていました。
充電して、電源を入れてみると、メモリに写メがあって、開けてみると、大学時代の2年後輩の彼女の写真が出てきました。
SDカード式じゃなく、内部メモリなので取り出せませんし、あまり高画質ではないですが、彼女がセーラー服コスプレでハメ撮りしたデータが残っていました。
私に、唯一処女をくれた思い出の彼女、お別れして23年、今、どうしてるでしょう。
メールを開けると、21年前、卒業して帰郷した彼女からの報告で、「仕事頑張ってな。」と返し、「ありがとう。ずっと忘れないからね。」と返ってきた最後のメールのやり取りが残っていました。
彼女、43歳になっています。
10年前にスマホにしたとき、ガラケーから移行したアドレス帳を整理しました。
当時、10年間やり取りが無い連絡先は、移行したスマホから削除しましたが、当時で11年連絡が無かった彼女の連絡先をスマホから消すときだけ声に出して、
「さよならっ!」
と言って削除しました。
なんだか、その時の気持ちが蘇ってきました。
彼女、たまには、私のことを懐かしく思い出してくれているでしょうか。
あの、新幹線のホームに向かうときの泣きそうな彼女の顔、おぼろげですが、覚えていましたが、ガラケーに残る写メを見て、鮮やかに思い出されてきました。
一度、会ってたわいもない思い出話なんかできたらいいけど、思い出は奇麗なまま、心の片隅に置いておきます。
もう、会うこともないでしょうが、彼女が元気でいてくれたら、それでいいと思います。
親愛なる、彼女の幸せを祈り、スレを閉じます。

感想などコメントをどうぞ!投稿していただいた方の励みになります!
コメント一覧 (3件)
同世代ですね笑
当時はヤリサー全盛期盛でしたね♪
私も中心メンバーでパンツ穿く時間がなかったような⋯
同じく、バイト先の人妻中出しセックスにハマってから若い娘よりもそっちに走りました笑
ガラケー、大切にね。
いい話です