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四半世紀前に信夫山にあった里山の風景を訪ねて

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卒論さんから投稿頂いた「四半世紀前に信夫山にあった里山の風景を訪ねて」。

もう、四半世紀前になりますが、私が大学生の頃、福島市に住んでいました。
大学は、新幹線の駅から在来線で2駅の場所にあり、駅付近は土地区画整理事業がなされたばかりのようで、綺麗な区画になっていました。


駅のそばには、真新しいアパートが立ち並び、私もその一つに部屋を借りました。
大学1年の時、アパートのお隣が2学年先輩の女子大生で、ちょっと国仲涼子さんっぽい美人で、一目惚れしてしまいました。
先輩は、彼氏がいたのですが、卒業で別れたばかりだと言って、私が先輩に掘れたのに気づき、誘惑してきました。
部屋に連れ込まれ、綺麗なお姉さんに下半身を囚われ、ゴールデンウィークに童貞を卒業しました。

「ちょっと君、早漏気味ね。鍛えないとダメね。」
と言われ、手首を縛られ、両足を開いてベッドに足首をくくられ、亀頭にローションを塗られ、陰嚢を髪を束ねる輪ゴムで縛られパンパンにされ、手のひらで亀頭を包まれスクリューされました。


強烈な快感に見舞われ、状態が仰け反り、でも、5分、10分と過ぎても射精に足らず、ひたすら快感に耐えるだけでした。
亀頭を手のひらで回転スリスリ、あまりの快感に呼吸が乱れ、内股は痙攣して、腰はガクガク、正に快感地獄でした。
週に2~3回、亀頭を鍛えられて、我慢汁ダラダラになって限界まで上り詰めると、一気に扱かれて大量射精します。

そういうトレーニングをすると、亀頭はかなり鍛えられ、セックスも多少長持ちするようになりましたが、元々射精は亀頭じゃなく竿、先輩は鍛えたの柄はなく、亀頭責めで悶絶する男の子を見たかっただけだったんだと思います。


それでも、下半身を囚われることで、先輩とエッチできるので、甘んじて受けました。
先輩が4年生になると、ゼミで「信夫山」というものをテーマに、そこに息づく文化と歴史資源、史跡などを調べ始めました。
「信夫山」と書いて、「しのぶやま」と読むようで、「のぶおやま」ではありませんでした。


信夫山は、福島市の市街地の真ん中に鎮座しており、大学のある街から在来線で2駅、新幹線のある駅から私鉄で2駅のところで降りて、そこから道なりに登っていきました。
小高い山だと思っていましたが、歩いて回るには結構難儀で、週に何度か火曜先輩のお供をしていました。

すっかり初夏の緑に信夫山が包まれた頃、ちょっとした広場に出ました。
「ここが御神坂(おみさか)広場ね。本当だ、集落がある。」
とその集落を貫く道を上りましたが、登りきる途中に古民家があり、県庁所在地の市街地にあるとは思えない里山の風景がそこにありました。


当時、普及しつつあったデジカメで撮影しながら、山を歩き、先輩は、歴史や文化の資源とその由来を調べていました。
すると、その古民家から中年のおばさんが出てきて、
「あなたたち、信夫山を調べているのかい?それなら、こっちにおいで。」
と言われて古民家にお邪魔しました。

すると、古い書物や、何かを調べたノート、写真が大量にあって、
「ウチの人、この山のことを調べてたんだけどね、志半ばで死んじゃってねえ。今年、七回忌なんだよ。まあ、私より10歳年上の半分学者みたいな人だったからねえ。良かったら、貸してあげるよ。」
先輩は、興味を引いたものを選んで借りて、山を下りました。


素の時、広場の箸に立つと、その視点からの眺望は市街地を一望するもので、暫し見つめていました。
後ろは里山、振り返るとビルが立ち並ぶ市街地、なんだこれ?って思いました。

先輩は、卒論として「信夫山の文化と歴史資源の由来」をまとめあげ、複製を印刷して、借りた資料と共に、あの古民家に住む中年のおばさんを訪ね、置資料を返却して、仕上げた論文を置いてきました。


おばさんは、論文を仏壇の前に置いて、
「あんた・・・学生さんがあんたの続きをやってくれたよ。」
と言って、手を合わせました。
「色々ありがとうございました。これで私は卒業してこの街を去りますが、信夫山は一生忘れることはないでしょう。」
そう言うと、おばさんはニコッと笑って、手を振りました。

卒業する先輩はアパートを明け渡し、新幹線の駅のそばのホテルに二人で泊まり、街に出て別れの杯を交わし、最後のセックスをして寝ました。
翌日、遅めの朝食を食べ、新幹線の改札前で先輩を見送りました。


「私の調べた信夫山は、まだ、ほんの一角だと思うの。あなたはあと2年ある。調べてみたら?これ、残していくから・・・」
茶封筒に、先輩が調べた論文を書くための資料と、論文を記録したフロッピーディスクが入っていました。
「分かりました。私が引き継ぎます。それじゃあ先輩、お元気で。さよなら・・・」
「さよなら。元気でね・・・」


改札を抜け、新幹線のホームに向かい先輩を見送りました。
何度も振り返って手を振る先輩に、私も手を振り返しました。

3年生になり、卒業する先輩から原付スクーターを譲り受けました。
あの頃の原付スクーターは、今は排ガス規制で淘汰された2サイクルエンジンで、薄青い煙を吐いて走りました。
新緑の季節、アパートから直接スクーターであの御神坂広場に行ってみました。


スクーターが唸りを上げて登りましたが、歩くよりかなり楽でした。
そして、あの古民家を訪ね、資料を見せてもらいました。
おばさんは、私が訪ねていくととても嬉しそうで、夕方になると、
「夕ご飯作ったから、食べて行きな。」
と言われ、ゴチになりました。

その後、頻繁におばさんのところを訪ね、そこで資料をまとめさせてもらったり、梅雨の頃、夕方から雨が降り出し、その日、泊めてもらいました。
そこで、とても古い写真やボロボロの資料を物置から出してきて、
「これ、この辺り、六供(ろっく)集落っていうう集落が栄えてた頃の物だよ。私も詳しくは知らないんだけどね。」


そこは、今はどの辺りかは分かりませんでしたが、かなり多くの民家が立ち並んでて、賑やかな集落でした。
モノクロの写真がセピア色になってて、相当古そうでした。
少しお酒も飲んだりして、おばさんの目がトロンとして、
「あの娘、居なくなって淋しいんじゃないかい?私でいいなら、させたげるよ。あんたの岡さんより年上だと思うけど・・・」
と言って、股間を触られ、あえなく勃起しました。

五十路のおばさんとベッドイン、母はまだ四十路なので、明らかに母より年上でした。
実際五十路熟女とセックスしてみて思ったのは、若かった先輩でも、感じてヨガるのは全く同じでした。
個人差もありましょうが、先輩は同じヨガリでも恥じらいがあったけど、熟は遠慮なく快楽を貪って、大胆でエロいと思いました。


そりゃあ、顔にはシワがあったり、下半身は弛みかけてて残念ですが、4四十路で未亡人になったおばさんは、オマンコを使ってなかった期間が長く、見た目はドドメ色でグロいけど、なかなかの締まりでした。
それに、何といっても既に閉経してるから、中出しOKなのです。
おばさんとのセックスで、初めて中出しを経験しました。

妊娠の心配が無いと、お互いにセックスを純粋に楽しめました。
久しぶりの性行為に燃えたおばさんは、若いペニスにむしゃぶりつく様子は、何とも言えないエロさでした。
お風呂から上がって、使い古されたオマンコをベロベロ舐めまくりました。


4年生になると、授業もほとんどないし、先輩の後を継いだ信夫山に関する卒論を書くだけでしたから、資料がふんだんにあるおばさんの古民家に入り浸りになりました。
そこで初めて、おばさんが、ご主人の残した投資による収入で暮らしていること、柚子を栽培して卸していること、そして、息子さんがいて、結婚して仙台に住んでいることなどを知りました。

大学4年の時は、金曜の夜から、月曜の夕方まで、おばさんの古民家で暮らしました。
夜のお相手をして、資料の生理をしたり、スクーターで信夫山を巡り、資料にある史跡が残っているか調べたりして、火曜から木曜で卒論を書いたり大学に行ってみたり、そして金曜日にはまた古民家へ向かいました。
卒論も進んだし、あの弛みかけた熟女の肌が味わいがあり、落ち着くということも知りました。


そしていよいよ、私も卒業するときが来ました。
全ての荷物を実家に送り、アパートを明け渡し、スクーターは後輩に譲り、電車でおばさんの居る古民家へ向かいました。

結局、大学の後半の彼女は、五十路のおばさん一人でしたが、後悔はありません。
おばさんを一人の女性として、愛しました。
最後の夜を古民家で過ごし、翌朝、朝食をゴチになって、古民家を出ました。
おばさんは、軽自動車を出してきて、
「最後、駅まで送って行くよ。」
と言うと、最寄りの私鉄の駅じゃなく、新幹線の駅まで送ってくれました。

西口に軽自動車をとめ、改札の前まで送ってくれました。
「あんた、こんなおばちゃんと付き合ってくれて、ありがとう。私に来た、最後の青春だったよ。元気でね。さよなら。」
「さよなら、おばさん。どうか、お元気で。」


改札を抜けて、エレベーターの前で振り返り、おばさんに手を振り、エレベーターに乗りました。
2年前、この街を去った先輩の気持ちが分かったような気がしました。
ホームに佇み、信夫山を眺めながら、先輩は元気かなあと、もう、会うこともない初めての女性の今を思いました。

あれから、ずいぶんと時間が過ぎて、私も四十路半ばになっています。
結婚して、今は高校生と中学生の子供のパパになっています。
あれから、母校を訪ねたこともなく過ごしてきましたが、この文章を書いたのには理由があって、ちょっと前、仕事で福島県庁に行ってきました。


金曜日だったので、日帰りではなく、飯坂温泉に宿を取り、仕事が終わってから、私鉄で飯坂温泉に向かいました。
途中、おばさんの古民家の最寄り駅を懐かしく眺め、終点まで行きました。
旅館では、風情ある温泉街を歩きましたが、二十数年前より淋しくなってる気がしました。
ゆっくりと湯に浸かり、翌日、私鉄でおばさんの古民家の最寄り駅で降りました。

「どれ、二十数年ぶりに歩くか・・・」
四十半ばにはかなりキツイ坂道を歩き、懐かしい御神坂広場にたどり着いた時には、息が上がっていました。
「大学生の時とは、違うねぇ・・・」
ゼエゼエしながら、おばさんの古民家を目指しました。


すると、古民家は一見して記憶とは違う様相で、あれ?ここだったっけ?と、記憶が定かでなくなってることに気付きました。
その古民家には、何人かの人が出入りしてて、そこは、信夫山を訪れた人々の休憩所になっていました。
「おばさんは・・・80歳近いもんなあ。息子さんのところにでも行ったんだろうなあ。」

あの休憩所になってる古民家がおばさんの居た家かはわかりませんが、二十数年ぶりに尋ねたあの場所は、あの頃よりも明らかに人の手が入って奇麗だったし、人の往来もあるように思いました。
おばさんの古民家が休憩所になったのか、はたまたおばさんが出て行って、取り壊されたのかわ定かではないのですが、間違いなく御神坂広場でした。


里山の風景と、眼下に広がるビル群を眺め、先輩の思い出と、おばさんの思い出がオス魔塔のように頭を巡りました。
だから、帰宅してから、長らく見ることもなかった卒論のバックアップCDをも出して、あの頃集めた資料の写しや写真を眺めました。
そしたら次々と思い出が蘇り、ふと、思い出したことを文章にして投稿してみたくなりました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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コメント一覧 (8件)

  • おー、いい話ですね。
    信夫山、新幹線の車窓から見えるあの山のことだなあと思いながら読みました。

  •  表題に惹かれて読ませて戴きました。
     卒論さんは極めて稀な体験をされていたのですね。学生の時に読んだ民俗学系の本に書かれていた「夜這いの美学」の事を思い出しました。
     調べてみたところ、六供集落に残る古民家や複数のお宮さんの修復を手掛けられた福島市内の建築業者さんが、それらの建物について紹介しているページに行き当たりました。アドレスを貼っておきますのでご興味がある方はご覧になってみて下さい。

    三浦工匠店
     http://www.shinsukiya.jp/news/r2/

  • 私は福島学院大でしたので、信夫山には登った事があります。
    一周道路からの景色を覚えています。

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