息子さんから投稿頂いた「両親のセックスを見た思い出から」。
中学生の頃、高校受験の勉強で土曜は夜中まで起きてました。
ある夜、もう寝ようとトイレに行くと、両親の部屋の襖から灯りがもれていて、何やら声がしました。
なんだろうと襖の隙間から覗いたら、電気スタンドの灯りに映しだされたのは、仰向けで股を広げた母の股間を舐める父の姿で、父の赤黒いオチンチンはもの凄く大きくなっていました。
母は、乳房を揺らすほど震えながらシーツを握ってて、暫くすると、父はオチンチンを母の股間に差し込み、両親が抱き合ってキスしながら悶えていました。
私は、ドキドキしてそっと部屋に戻りましたが、朝まで眠れませんでした。
当時、両親は四十路、今考えれば、両親の中が良かったんだと分かります。
今、私46歳、妻44歳、結婚20年で、高校生と中学生の子供がいますが、夫婦の営みには細心の注意をはらっています。
私たち夫婦は幼馴染で、私が小学校を卒業して父の実家に行くまで妻とは兄妹のように育ちました。
大人になって再会して、当然のように結ばれました。
とても仲がいいので、いい年して毎晩のように営むから、家を建てたとき、夫婦の部屋は二重構造として、狭いけど、六畳の部屋の奥に四畳半の寝室を作り、廊下から直接見えない部屋で営んでいます。
再会は就職先、私は大卒、妻は短大卒、再会したその日にラブホに行きました。
妻は麗しい奇麗なオマンコでしたが、残念ながら、妻には処女膜はありませんでした。
今でも、妻の処女膜を破った男に嫉妬しています。
再会して即結ばれた時、妻は狂ったように激しくイキ惑い、
「何このオチンチン…気持ち良い所に当たる…」
と言って、会うたび求められました。
だから、四十路夫婦の今でも、妻は私に抱かれたがります。
正常位や対面座位や騎乗位のように、向かい合う体位の時に、亀頭が妻の快感ポイントに当たるようで、だから、後背位は好みません。
普通にピストンすると、妻はすぐにイッてしまうから、浅め、深めと挿入深を変えて、ジャストミートを避けて妻のオマンコを楽しんだ後、妻をイカせます。
幼い時を共に過ごした夫婦なので、幼い時にしたお医者さんごっこを、大人になってもしています。
最初はお腹を見せ合っていたくらいでしたが、少しずつ下半身が露出して、性器丸出しで診察され、そして、異性に性器を触られる気持ち良さに身を預けていました。
大人になった今、お医者さんごっこは前戯の一環です。
妻のクリトリスを吸い上げる包茎治療や、私の尿道に体温計を挿して検温とか、子供の時より羞恥系の遊びです。
幼稚園や小学校低学年の時、親がいない部屋で、下半身を脱いで見せ合い弄り合い、子供が69の体勢で性器弄りしていたので、大人になって再会したその日にラブホは自然な流れだと思います。
私たち夫婦の仲の良さは近所でも有名で、いつもひっついているから、一卵性夫婦と呼ばれています。
そんな妻は、皆藤愛子さんに似てるとよく言われる可愛い女性で、もし、幼馴染でなかったなら、私など相手にされなかったと思います。
四十路には見えない可愛い妻ですが、セックス大好きなスケベです。
再会したとき、芸能人並みの可愛さに驚いたとともに、ブランド物の小物を持っていた非処女だったから、短大時代に、金持ちのオヤジに股を開いてスケベを仕込まれたんだろうなと思います。
フェラの舌使いをはじめ、オチンチンの扱う手つきが手馴れていました。
裸で抱き合ったとき、腰をゆすってノールックでオチンチンをオマンコに導かれた時、短大の2年間で高等性教育を受けたのは明らかにわかりました。
それでも、幼い時を共に過ごした妻と、人生を歩みたいと思い、一緒になりました。
だから、ずっと妻を愛して、そして愛されています。

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コメント一覧 (1件)
中古マンコになっちゃったんだね。