おっぱい大好きおじさんさんから投稿頂いた「受け持ち児童に用務員さんとの交尾をみせてくれたヒロ子先生の思い出」。
前回、田村女史との奇妙な関係を投稿させて頂いた者です。
50年前、神奈川県の山あいの町で暮らしていた私は、仲良しのタケちゃんのお母さんと父が
母乳セックスしているのを見てから、すっかりおっぱいの虜になってしまいました。
私の通っていたS学校は、夏休みの前に遠足がありました。今でいう課外授業でしょうか。
S学2年生の私たちは中津川へ川遊びに出かけました。
引率は担任のヒロ子先生と用務員のおじさんです。
ヒロ子先生は24歳くらいだったと思います。高橋由◎子さんに似た、可愛くて明るいみんな大好きな先生でした。
用務員さんは小暮さんというずいぶん年の人に見えましたが、当時で30代だったかもしれません。カラテカの矢部さん似のおじさんでした。
河原に着くと
「じゃあみんな準備体操して川に入るわよー」
黄色のワンピースの水着を着たヒロ子先生が、イチニイチニと掛け声で身体を動かします。
水着姿の先生を初めてみましたが、張りのあるおっぱいは大きく、前屈みになると谷間もしっかり見えます。
矢部さんは猿股で先生を凝視していました。
「深い方へは行っちゃダメよー」
男の子も女の子も濃紺の水着で、ジャブジャブと川に入って嬌声をあげました。
川は青緑色に澄んでいてとても綺麗です。
ヒロ子先生も笑顔で子どもたちと水を掛け合ったりしていました。
濡れた水着がとてもいやらしくみえます。
タケちゃんのお母さんと来たかったな…
私は、ふとそんなことを考えて淋しくなりました。淡い恋心が芽生えていたのかもしれません…
「キャッ!ブヨに刺されちゃった」
ヒロ子先生の悲鳴に、皆の動きが止まりました。
先生は両手で胸の辺りを押さえています。
矢部さんが水飛沫をあげて駆け寄りました。
「先生ッどこを刺されました?」
ヒロ子先生はチラッと手を離して、胸の谷間をみせました。白い肌に赤い虫刺されの跡が見えます。
「ごめんない。大袈裟に騒いじゃって。大したことないから大丈夫です」
しかし、先生の胸を食い入るように見ていた矢部さんは
「いッ…いかん!コレは大変だ。早く毒を吸い出さないと」
そう言って、ヒロ子先生を大きな岩の上に横たえました。
「いえ…本当になんでもないんです。そんな…」
「何を言ってるんですかッ!命に関わることですよッ」
「い…命?」
「とにかく大人しくしてくださいッ!わたしが応急処置をしますから」
そう言って矢部さんは先生の水着をずらして、上半身を裸にしました。
プルンッ
若さ溢れるツンと上向きのおっぱいが弾け出ました。
私たちも皆、岩の周りに集まりました。
「先生ッ!どうしたの?」
何やらただならぬ様子に、皆が心配の声をあげます。
でも…
父とタケちゃんのお母さんや、母と村井さんのセックスを見てきた私は、これからはじまることが何となくわかりました。皆んなとは違い、キスまで経験しているのですから…
「みんな!心配しなくていいんだよ。これからおじさんが先生の身体から毒を出してあげるからね」
矢部さんは私たちに言いました。
「おじさん!お願いッ先生を助けてッ」
「早く毒を出して!先生が死んじゃうよ」
皆は本気で心配して、なかには泣き出す子もいました。
「わかったぁ!よ〜しッ」
矢部さんはヒロ子先生のとき色の乳首に口を寄せます…
チュウ〜ッ
卑猥な音を立てて乳首が吸われはじめました…
「アッ…いやぁ〜」
ヒロ子先生は仰け反りました。
矢部さんはもう片方の乳房をモミモミしながら、真剣な顔で乳首を吸い続けます。
「あっあの…刺されたのはそこじゃなくて…」
「毒は乳房全体に回っています。乳首を吸うことによって吸い出されるんです…チュウチュウ…」
矢部さんは反対の乳首に口を移しました。
「先生〜大丈夫?」
「おじさんッ頑張って!」
固唾を飲んで皆んなも見守っています。
先生の息遣いが荒くなってきました…
矢部さんは乳首を離し、ヒロ子先生の口を吸いました。
「ん…ングッ…やめ…やめて…アハぁ…」
「人工呼吸ですッ…ほらもっと舌を絡め合わないと…ネチョ…そう…ニュチョッ…」
舌が絡み唾液の混ざるいやらしい音がします…
矢部さんは一度身体を離し、先生の水着を脱がせにかかりました。
「いやぁ〜…ソコは…ダメぇ〜っ…」
水着を脱がされ脚をバタつかせると、マン毛の奥に赤いスジがチラッと見えました…
「いッ…いかん!ココまで毒が回っているとは…よしッ!」
矢部さんは先生のマンコに顔を埋めました…
「あぁぁ〜ッ…いやぁ〜…」
先生は両脚を開き矢部さんの頭を掴んでいます…
レロレロと舐めまわしたり
ブチュブチュと音を立てて矢部さんはマンコに顔を擦り付けます…
先生の淫液で顔がベチョベチョです…
「先生ッ苦しいの?」
矢部さんはついに猿股を脱ぎました。
勃起したチンコが飛び出しますが、私と同じような形です…
そう…包茎でした…
「みんな!先生はもう大丈夫だよ。これからおじさんのオチンチンを挿れて、毒消しの液を注入するからねッ」
「先生のどこに挿れるの?痛くしないであげて」
「大丈夫だよ。痛くなんかないから…ほら…みててごらん…ココに…ウッ…あぁ…は…挿ったぁ…」
先生のマンコにあてがわれた包茎チンコは
ゆっくりと埋没していきます…
「あっ!挿った!良かったぁ〜」
「これで先生の毒が消えるねッ」
「ありがとうおじさんッありがと〜」
私たちの歓声があがりました。
それに
ヒロ子先生の喘ぎ声と
矢部さんのうめくような声が合わさります…
やがて…
2人の声と動きがやみ
唇を重ねます…
膣内射精…
私たちも黙し
川のせせらぎの音が辺りをつつみました…
あれから半世紀も経ちますが
私は今でもハッキリと覚えています。
ヒロ子先生の若く張りのあるおっぱいを…
とき色の初々しい乳輪と乳首を…
でも…
私は
先生のおっぱいよりも
断然タケちゃんのお母さんのおっぱいを
吸いたいと思ったことを…
長々とお読みいただきありがとうございました。
続きはまた投稿させていただきます。
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コメント一覧 (25件)
小学校の時の先生が最初の相手でした。
懐かしいです。
富夫さま
先生に筆おろししてもらえるなんて
羨ましいです。
ましてや担任の先生だったら
ものすごく興奮します!
お読み頂きありがとうございました。
投稿者様こそ、経験豊富で、文章も読みごたえがあって素晴らしいです。
田舎の小さな小学校で、3年の時の担任の先生が持ち上がりで6年まで担任でした。
足首の骨折で2週間学校を休んだ時、放課後に家に来て勉強を教えてもらってました。
富夫さま
学校を休んでいる時、放課後に来てくれたのですか⁈
まさにプライベートレッスン!
…ってことは
富夫さまはS学生で初体験ですか⁈
当方23歳まで経験なし(涙)
旅先の木賃宿で、一夜妻的に人妻さんに手解きいただきました…
話がそれてすみません。
よろしければ続きをお聞かせ願いますッ
投稿者様
貴方の最初の体験も昭和の風情を感じる興味深いものですね〜
私の家は両親共働きで姉は部活と塾で、6時までは誰もいませんでした。先生は4時過ぎから5時過ぎ頃までいてくれました。
私は先生が来る前に自慰していた(そうしないと立つので…わかりますよね?笑)のですが、ある日、少し早く来た先生にバレてしまい…
先生が「そうか、それも大切なことだね、手伝ってあげよっか」って…
投稿者様、続きを書きますね。
先生は大学を出て4年目で26歳でした。小柄で150cmくらいでした。
宮崎美子さんに似ていると思っていましたが、最近は吉高由里子さんに似た感じです。
私は155cmくらいで、野球をしていたので少しガッチリした体格でした。
先生が「おちんちん見せて」というので、ズボンを下ろしました。毛がまばらで恥ずかしかったです。
「先生、どうすればいい?」と聞かれたので、「おっぱい見たいです」と言いました。
先生が上着を脱いでブラウスだけになったので、私は服の上から揉みました。
「ブラジャーも見たい」と言うと先生はブラウスのボタンを外し始めたので、私は思い切って、背中に手を回してブラジャーのホックを外しました。先生は「え?!」と驚いていましたが、私は姉のブラジャーをよくふざけて外していたので慣れていました。あっという間にブラジャーを外すと、先生の真っ白な乳房がはじけました。姉よりもふたまわりくらい大きくて、乳首は濃い茶色でした。
「ちょっと!富夫くん!」でも、私はもう止まりません。チンポは史上最高に勃起していました。
先生の白くて大きなおっぱいを揉みながら、ペロペロ舐めてチュパチュパ吸いました。
不思議と先生から力が抜けていき、チンポを握ってくれていました。
「今日は、お口だけでいい?」と言うと、先生はチンポを舐めてくれました。
さっきの自慰が途中で終わっていたので、私はあっという間に射精しました。
先生は突然すぎて飲んでしまったようでした。
「今日の勉強は保健だったね、びっくりしたけど楽しかったよ」と言うと、先生は手早くブラジャーとブラウスを身につけてました。
「今日はちょっと早く来てごめんね。明日は、4時過ぎに来るね」と言って、先生は帰りました。
次の日がすごく楽しみだった、あのドキドキは今でも覚えています。
富夫さま
まさに私の大好きなシチュエーションです!
家族の留守に年上の女性と2人きり…
しかも担任の先生とは!
吉高由里子さん⁈もー堪らんですッ!
私だったら…
おっぱい吸って昇天です(笑)
初日は上のお口で…
そして翌日は遂に下のお口…
でしょうか⁈
ドキドキですねー
投稿者様
お気に入りのシチュエーションのようでよかったです。笑
足首を骨折した時は「最悪だー」と思いましたが、最高でした。
実家は校区の中でも遠くて同級生の家から離れていたのも好都合でした。
次の日(今思い出せば、金曜日だった気がします)は、先に勉強。30分ほどで終わると、先生が「何かしたいことある?あまり時間ないけどね」と言ったので、「先生の裸が見たいです」と言いました。
「じゃあ、下を脱ぐだけでいいかな。上は昨日見たもんね」と、体育座りみたいにしてくれました。
私がスカートの中を見ようとすると、両脚を広げてくれました。黒いレースのフルバックでした。
「脱ごうか?」と言われたけど、「脱がせたい」とお願いすると「いいよ」と言ってくれました。
姉のブラは外したことありますが、パンツを脱がせたことは無かったです。笑
パンツを匂うと少しオシッコの匂いがしたような…先生が「恥ずかしいから!早くして!」と急がせてお尻を浮かせて脱がせやすくしてくれました。
当時は陰毛を整えるという習慣はほぼなかったでしょうね。黒々とした陰毛が印象的でした。
大陰唇も肉厚でピチッと閉じていたけど、真っ赤な小陰唇がちょっとだけ見えていました。
匂って舐めて指で弄っていると「ああ…ああん…」という声が聞こえてきて、私の唾液とは違うぬめりと酸っぱいような味がしました。
先生はパッとスカートをまくってくれたので、一気に明るくなって全部見えました。
私のチンポも一気に充血して勃起したので「先生、立ったよ」と言うと、「じゃあ、今日もこれね」とフェラしてくれました。
昨日より我慢しましたが、すぐにいっぱい出ました。先生は全部飲んでたようでした。
「富夫くん、明日は土曜だからお昼からお勉強のおさらいしようね」と言って、先生は帰りました。
私は、その晩、先生のマンコを思い出しながら、何度も自慰にふけりました。
富夫さま
うーん
先生もなかなか焦らせますね。たまりません。
そうなんです!私の回顧録?のなかの女性の陰毛もあるがまま状態で、それがまた幼い目になんとも淫らに映りました。
お姉さんがいらっしゃるとのこと。
これもまた羨ましい!私はひとりっ子(竿違い?の妹とか弟がいますが会ったことがありません)でしたので、今でも姉か妹に憧れています。
下衆なこと伺いますが…
お姉さんとイヤらしいコトはされなかったのですか?
私は後年、戸籍上?母となった生涯の想い人と念願成就できましたが、本物の近親相姦体験はありません。…密かに憧れます(笑)
土曜日はいよいよ先生と結ばれるのでしょうか…
私は30年ほど前、成人女性とS学生児童との交尾をみました。(私の初体験とこちらの件は既に投稿しており、問題なければ掲載されるでしょう)
異様な興奮を覚えました。
期待しております…
投稿者様のいろいろな回顧録も拝見したいものです。
個人的には、あるがままの陰毛が大好きです。
姉や叔母とのことも、また改めて…
さて、土曜日が来ました。
当時(投稿者様の頃もでしょうか)は土曜日は半日授業で、午後放課でした。
我が家は平日同様に両親は仕事で姉は部活。早くても6時までは誰も帰りません。
私は家族が出かけてからも数回、自慰をしました。そうしないと興奮がおさまりませんでした。
先生は1時過ぎに来ました。先生が持って来てくれた小さなおにぎりを食べました。
1週間分の勉強のおさらいは2時間ほどで終わりました。先生の教え方は分かりやすくて、田舎の小学生だった私が勉強好きになれたのは、先生のおかげだと思っています。
先生は「3時だからおやつでも食べようか」と、お菓子やジュースで腹ごしらえをしました。
「じゃあ、富夫くん、これからどうする?」と先生が聞いてきました。
私は「昨日の続きがしたい!」と言いました。それしか考えてませんでした。
「富夫くん、足は大丈夫?」と言いながら、先生は上着を脱ぎました。
ブラウスとスカート、足は生足だったと思います。先生がブラウスのボタンを外しはじめたので、興奮した私はすぐブラジャーのホックを外しました。「上手いねえ…」と先生は半分あきれてましたが、私はあらわになった白いおっぱいにむしゃぶりつきました。
先生はブラウスを脱いで、上半身は一糸まとわぬ姿に。私はスカートを脱がしたくなり、スカートのホックを外しファスナーを降ろしました。先生は黙って笑って見ていました。
その日の下着は、上下とも真っ白でした。
白いパンツから濃い陰毛が透けていました。私は震える指先で、一気に脱がせました。
昨日見たよりも、真っ赤な小陰唇が大きくはみ出ているように感じました。
あと、うすいピンクのクリトリスもぷくっとしているのが見えていました。
私のチンポも過去最高の勃起でした。
姉に言われて亀頭を出しながらオナニーしていたので、割と剥けていたほうだと思います。
いよいよ…いよいよです!
思い出すだけでドキドキして、勃起してきました…
先生は「めぐみ」という名前でした。
どうしてここまでよくしてくれるかというと…
先生は大学出てすぐに新規採用で私たちの担任になったのですが、2年生までの担任の先生がベテランの男性でとても良い先生で、けっこう反発というか、子どもなのであまり言うことを聞かない生徒もいたんです。
でも、私はすごくタイプで(笑)よく質問に行ったり、「先生の授業楽しい!」とか「先生可愛い!」とか言っていたので「富夫くん、ありがとー」ってハグとかしてくれてたんです。
私が足首を骨折したのも、体育でサッカーしていて、先生がボールを取りに来てバランスを崩して倒れた時に私の足首の上に体が乗ってきて…という状況でした。
俺が、先生がグランドに倒れてケガしたらいけないって思って右足を無理に入れたので、へんな感じで足首が曲がって骨折(といってもヒビが入る感じ)したのです。
だから先生は、すごく責任を感じていたようで…
俺も両親も、ぜんぜん気にしてなくて、それにも感謝してくれてたようです。
だから、そういういろいろが重なって、先生は、私によくしてくれていたのだと思います。
先生を全裸にして、私はもう興奮しっぱなしでした。
先生は「富夫くんも、ぜんぶ脱いじゃおうよ」と言ったので、全部脱ぎました。
先生「おちんちん、昨日よりおっきくなってるね!どうする?最初はお口がいい?」
富夫「先生のも舐めたい」
先生「富夫くん、しっくすないんってしってる?あいなめ…わかんないか」
富夫「先生、教えて!」
先生は私を仰向けに寝かせて、俺を跨ぎました。
私の目の前に、先生のオマンコが…わけもわからずに舐め始めると、先生は「なんか嬉しいな」と言いながら、俺のチンポを舐め始めました。
「やば…出る…」体感時間は1分ほど…我慢できずドックドックドックドック…大量に出ました。
「富夫くん、すごいねー」先生は言うと、「もう入れちゃおっか」と言ってくれました。
私のチンポはもちろん硬いままです。
「ねえ、富夫くん、バスタオルある?」
先生は、私のベッドのシーツの上にバスタオルを2枚敷きました。
今思えば、かなり濡れやすかったんだと思います。
私が足首を骨折してるので、ずっと仰向けのままでした。
先生がおおいかぶさってキスしてくれました。それだけで、さらにさらに勃起のサイズも硬さもアップする気がしました。
先生は、私の勃起を握って、私の唾液と先生の愛液で濡れそぼったオマンコにあてがいました。
小陰唇のビラビラのヌラヌラに当たるのがなんとなくわかりました。
そして、そのまま一気にお尻を降ろしてきました。
なんだ…これ、すごいぞ…気持ちいいっていうか温かくて溶けそうだ…
それが最初の感覚でした。
先生が、ゆっくりゆっくりお尻を前後に動かしました。
「富夫くんの、けっこう大きいね、大人みたいだよ」
次に先生は、上下にスクワットみたいに動かしました。
「ああぁぁー!ああぁぁー!んんん…んおぉ…すごい!ああん…」
先生はいろんな声を出しながら動き続けました。
「富夫くん、気にせずに出してね…」とかすれた声で私にささやきました。
先生は何度も体を痙攣させながら、私の体に倒れ込んできました。
私は、何度射精したかわかりません。
先生が倒れ込んでからは、私が下から突き上げました。先生は、もうグッタリしていました。
チンポとマンコが繋がったところから、ダラダラと大量の液体が溢れてきます。
そのままの体勢で、ずっと繋がっていました。
私がいくら射精しても、先生のマンコの中がヌメヌメキュッキュッって蠢いて締まって吸い付くので、勃起が収まりませんでした。
先生も、何度も痙攣しながら液体を溢れさせていました。潮だったのかもしれません。
こうして、気が付くともう5時半を過ぎていました。
「帰らなきゃ」と先生が身支度を始めましたが、「もう1回だけ…」と言って、2回射精しました。
明日は日曜日、私は「先生、明日は先生の家で勉強していい?」と言うと、「いいけど、ちゃんとおうちの人には言ってね」と言われたので、親が帰ってきてからそのことを伝えると、親は「親切な先生だね」と何も疑うことなくOKしてくれました。
朝から先生の家で…もう、楽しみで自慰が止まりませんでした。
富夫さま
ケガの一因は先生にもあったのですね。
現在だったら大変なことになりますね。
富夫さまに恩義を感じた先生が、時間外で勉強を教えてくれた上に保健の実技?まで…
教師の鏡です(笑)
初体験で69!…羨ましいというか先生も楽しまれていますねー初茸狩ですからねぇ(笑)
体位はやはり騎乗位ですね。
亀頭が膣口に触れ、ゆっくりと包まれていく感触は何度経験しても堪りませんッ
さらに若さ故の回復力で、何度射精しても湧き上がる性欲の素晴らしさ…
私の直近のセックスは、挿入感を楽しむ間もなく発射…(涙)年々早まっていくようで…
さあ!今度はアウェイでの対戦ですね。
楽しみすぎてオナニーしてしまうなんて(笑)
若さってすごいなー
見逃せないワードがありました。
姉…⁈
叔母…⁈
想像力を掻き立てられます!
投稿者様
いったん、姉や叔母の話にいきましょうか?笑
たしかに、先生も楽しんでましたね。
コンドームは使わなかったし、当時の私はコンドームのことをあまり知りませんでした。
小学生では教わらなかったですよね?
騎乗位の感覚は、今でも覚えてるような気がします。
とにかく先生の愛液(やっぱり潮だったのかな)の量はホントに大量でした。
先生の中の肉襞もからみつく感じがしました。
先生の家では一緒にお風呂に入りたかったけど、足首を骨折してるので無理でした(笑)
昭和50年代だったからか、狭い1戸建てのようなアパート?貸家でした。
投稿者様なら分かるでしょうか?
先生のベッドで騎乗位してもらえて、最高の気分でした。
対面座位で抱き合って先生のおっぱいを舐めたり吸ったりもしました。
その時もコンドームはしてないです。
お昼ご飯を挟んで、午前10時から午後4時頃まで、ずっとセックスしていました。
とにかくしぼむことが、ほとんどなかったです。先生も驚いてました。
「こんなにいっぱいしたの、先生も初めてだよ…」と何度も言ってました。
騎乗位も私が下から突き上げることが多かったです。亀頭も一気に大きくなった気がしました。
「富夫くん、ホントに大きいよ、この年齢で…もう普通以上だよ」って。
それから、私の骨折が治ってからも「補充学習」という理由で土日に会っていました。
当時だし田舎だし、塾に行く子もいなかったのに、かなり勉強もできるようになりました。
チンポも一気に成長しました。先生の小陰唇も、私と毎週セックスするようになって、ビラビラが大きくなってきました。クリトリスもぷっくりしてきました。
私のチンポが奥まで当たって、先生は何度も痙攣するようにイキまくっていました。
先生は、私たちが卒業すると同時に転勤になりましたが、C学生になっても会ってました。
私の身長も伸びて、私服だとカップルに見えたかもしれません。
15歳と28歳になって、何度かお泊まりもしました。
私が高校に進学するタイミングで、先生は親に言われてお見合いで結婚が決まりました。
当時は、そういうものでしたよね。35歳で遠くの町の高校教師でした。
中学を卒業した後の春休みは3週間のうち20日間くらい会ってました。笑
骨折が治って正常位でセックスするときは、コンドームをするようになりました。
「正常位だとすぐ妊娠しそうなんだよね…」と先生はよく言ってました。他の体位でセックスするよりも膣奥(子宮口?)まで亀頭が届いて、精子が全部子宮に入る感覚なんだそうです。
でも、春休みは先生が「大丈夫だよ、そのまましよ」って言ってくれたので、正常位でも、そのまま何度も何度も射精しまくってました。
先生は5月の連休に結婚しましたが、早産?らしくて予定日より早く出産したそうです。
高1の春休みに久しぶりに会ったとき「富夫くんに似てるかもね」と笑ってました。
富夫さま
コンドーム明るい家族計画
販売機が夜になるとボォっと灯りが点ってましたね。でも、無計画の生がいちばんですよね(笑)
先生は富夫さまのチンコでGスポ突かれて、大量の潮を吹いたのでしょう。
もう離れられなくなってしまったのですね。
歳の差13時。私の感覚では全くジェネレーションギャップなどない、ふつうのカップルですね。
私が初恋の同級生のお母さんと結ばれたのは、私25歳。彼女50歳。燃えました…
正常位でのセックスは、私も必須です。
お相手の顔とおっぱいが見られますし、射精したときの征服感はピカイチです。
先生は覚悟の妊娠でしょう。
教え子の子を孕む人妻女教師…背徳感と罪悪感に苛まれながらも富夫さんの精子を受胎したのでしょう。
先生のご主人も、あれ?っと思われたでしょうね。やはり遺伝子が違うと本能的にわかるそうです。絶対富夫さんの子ですよ。
お姉さん、叔母さん…もしかしてお母さんも?
近親相姦体験も期待しております(笑)
投稿者様
先生は、計画的な生でだったかもしれませんね。
われながらC学生の時から先太でカリが張ってて、気持ちよかったのでしょうか。
やはり…私のDNAなんでしょうかねー背徳感や罪悪感、あったでしょうね…
血液型は旦那さんと同じだそうです(だから結婚したって冗談ぽく言ってました)
先生は、私が高校を卒業した時(3月)も会ってくれました。
2歳になった女の子は「友達とお泊まり会してくる」と言って預けたそうです。
先生が予約してくれていた温泉の隠れ家のような宿に泊まりました。
「そろそろ赤ちゃん作ろうかなー」と意地悪な笑顔で、部屋に入るなり服を脱ぎ始め…
あとはもう、ご想像のとおりです。
31歳になった先生を、3年ぶりに抱きしめ、溶けあうようにひとつになりました。
独身時代にCカップくらいでぷりぷりと弾力のあったオッパイは、1サイズ上がってマシュマロのようなぷにぷにの感触になりました。
私のチンポも3年でずいぶん成長し、先生はフェラしながら「おっきくなったねー」とびっくりしてました。そのせいか、先生のマンコが前よりもかなりキツキツに感じました。先生も、私が先っぽを入れるだけで「いやあぁぁあ!」とのけぞってイキまくってました。
正常位で出し入れするだけで、何度もヒクヒクピクピクして、マンコと膣を収縮させ潮が吹き出すように繋がった部分に蜜液をあふれさせてました。私の陰毛も先生に負けないくらい黒々として、お互いの淫液で濡れて潤った陰毛や陰部はとても卑猥でした。
2日間、温泉街を少しぶらぶらした以外は、ほとんど部屋でセックスしていました。
室内で温泉浴衣を着ていた時間は、あまりなかったような気がします。笑
騎乗位やバックもしましたが、最後は正常位で膣奥の子宮口に何度も濃厚精子を吐き出しました。
そのたびに、先生のマンコは私のチンポを吸うように、精子を搾り取るように収縮しました。
赤ちゃんが産まれてから、旦那さんとはほぼレスで、たまにするときもコンドームだったそうです。
私と別れ際に「今日帰ったら、久々に子作りエッチしようかな」と笑ってました。
先生って・・・悪女なのかもしれません。
次に会ったのは、その1年後の春休みでした。生まれて2か月くらいの女の子を抱っこしてました。
お姉ちゃんよりも先生に似ている感じですが、少し目尻の下がった目は私に似ているような…笑
姉や叔母のことを書く前に、うちの家族をすこし説明しておきます。
少しだけ複雑です。
私と姉は、父親は同じですが、母親が違います。
私の母(春奈)と姉の母(夏美)は、姉妹(姉の母のほうが妹…ややこしいですよね)なのです。
なので、姉の母(夏美)は私の叔母になります。母達は3姉妹で、さらに下(秋恵)がいるので、私には叔母が2人いることになります。(※名前は仮名です)
父は先に夏美さんと交際(婚約)していて結婚前に姉を妊娠しました。でも、産まれる前に夏美さんの両親がそれを知って激怒して結婚に反対し、別れさせたそうです。夏美さんは姉を産んだ後、別の男性と結婚させられました。姉は祖父母(夏美さんの両親)が引き取ったそうです。そんな父を気の毒に思った夏美さんの姉が優しく接して親しくなり…結婚。それが私の母です。私は姉と3歳離れています。
私が産まれた時には、姉と一緒に暮らしていました。そうなった経緯はよくわかりません。
父は母の実家と絶縁状態で、ふたりで共働きしていました。
朝早く出て、夜遅く帰る感じでした。
姉と私は一緒にお風呂に入ったりしてました。
たまに、秋恵さんが来て、料理を作ってくれました。秋恵さんは料理が上手でした。
年齢は春奈(母)が34歳のときに、夏美さん29歳、秋恵さん27歳だったと思います。
私は、母が34歳の時に生まれました。姉は夏美さんが26歳の時に生まれたんでしょうね。
だいたい、たぶんこれくらいの年齢差です。
富夫さま
先生と温泉濃厚セックスで、2人目を仕込まれたのですね。先生もアリバイ作りの為に、旦那さんとも子作りされたのでしょう。
でも精液の濃さから、富夫さんを受精したのは間違いないですね。
お姉さんとは腹違いになるのですね。
でもお父さんが一緒なら、近親相姦です。
姉や妹のいる人に訊くと、まず考えられないと答えが返ってきます。
お前、お袋とできるか?
って逆に訊かれましたが、私は母が父以外の男性と交わる姿を何度も見ていて、興奮したことがあります。
お相手の男性に、自分を重ねたのかもしれないですが、何せまだ精通前でしたから…
もう少し成長してからでしたら、母の胎内へ還る経験ができたかもしれません(笑)
お姉さん、叔母さんとの展開が楽しみです。
まさか…3Pとか
異性の親族が多い人が、本当にうらやましいです!
投稿者様
先生の受胎、そうでしょうね。10代で2人の子の父親になったのかな、と思いました。
上の子は「とみ(漢字は違います)」という名前でした。
今でこそ「姉」と呼んでいますが、姉は最初は祖父母の子のように育てられてたようです。
でも、私が生まれた時に秋恵さんが「父親が同じきょうだいなんだから、一緒にいるべきよ」と祖父母を説得して一緒に暮らすようになったそうです。
だから姉は、私に対して姉弟というより年齢の近い親戚…という感覚だったようです。
徐々に「姉弟」という感覚になって、お風呂も一緒に入ってましたね。仲はよかったです。
富夫さま
合法的?近親相姦で1番可能性があるのは、従姉妹ですね。
ただ、お母さんが違い
しかも姉となると欲情する可能性は大です。
親族としての視点からは、やはり男と女として意識してしまうのは致し方ありません。
お姉さんも富夫さまとの距離感を見誤りましたね。
私は父が射精した女性の膣内に私の精液を注入したときに、上書きをしたような感覚を覚えました。
これはなんだか男同士の近親相姦に近いのかな?そんな感じです。
もちろん
私は男性との経験はありませんし、その気もありません(3P経験はありますが)。
血縁関係のある女性との性交渉…
私には実体験がないだけに、異様な興奮を覚えます。
…変態ですみません(汗)
匿名さま
いとこはあるあるですね。私と姉も、母親同士の関係で言えばいとこですから。
父が射精した女性に…というと、母親ということですか?
それともまた別の関係の女性でしょうか?…いずれにせよ、さまざまな興奮を感じますね。
私と姉の関係は、ふしぎな距離感でした。
私がC1のときに姉はK1、両親が仕事で留守にする時間が多くなり、先生と会えない平日は姉と過ごす時間も増えました。「家族」の感覚で恥ずかしがることもなくお風呂に入っていましたが、先生と経験した私は姉の体にも興味しんしんでした。
C1になって5月連休になる前の週、姉が「もうすぐ生理だ」みたいなことを言いました。私は先生とのセックスで生理前は妊娠しないということを知っていたので、その言葉にひどく興奮しました。
その日、お風呂に入った時、私は姉の胸を後ろから揉みました。
姉はいつも私に背中を向けて浴槽に入るので、自然とそういう体勢になるのです。
いつもなら「こら!」とか「はいはい」という姉が、「ああんっ」と反応して、私のチンポもぐっと勃起しました。さらに乳首を少し摘まんだだけで、「いやぁんっ!」と短く大きな声が出ました。右手でマンコに触ると石鹸が残っているようにヌメっていました。
姉は振り返り「もう!姉ちゃんだよ!」と言いつつ、小さな声で「してくれるんならして」と言い残し浴槽を出ました。
私が風呂から出ると、姉はリビングでテレビを見ながら、バスタオルで髪を乾かしていました。
4月終わりの、少し生暖かい夜でした。
姉はスポブラとパンツだけでした。風呂上がりによくする格好です。
私は、バスタオルを腰に巻いただけで、ハンパな勃起が目立っていたと思います。
姉が「さっきの続き、する?」とまるでゲームの続きのように言いました。
「うん、しよ」と私が言うと、姉はソファの上でブラとパンツを脱ぎました。
私もバスタオルを外し、ソファの横に座りすぐに胸を揉みました。先生より小ぶりで弾力的でした。
姉も、私のチンポを握ってくれました。
「したことあるの?」と聞くと、「そういうの聞かない!私も聞かないからー」と言い、姉の唇が私の口をふさぎました。股間に手をやると、マンコはものすごく濡れていました。少し薄めで柔らかな陰毛もしなしなと濡れていました。しばらく指マンしていると、どんどん蜜液が溢れました。
「生理前だから、もうそのままでいいよ」
私は姉をソファに座らせたまま両脚を開かせて姉の蜜穴にチンポを突入させました。
「うぅん、うぅん、あぁあ…」姉は声を押さえながらもすぐに感じているようでした。
自分でクリを弄っていました。
先生とは違う窮屈な感じがしました。数分動き続けると、姉が「もういいよ、出していいよ」と言うので俺は動きを早めて大量の精子を中出しし、繋がったまま姉に覆い被さりました。
姉は、ハアハアと喘ぎながら「え?え?」と戸惑った声を出します。
「どうしたの?」と聞くと「出してって言ったじゃん」と言うので、「うん、出したよ」と答えると、
「あー、そっか…まあ、いっか」と。
出していいよ=チンポを膣から出していいよ、という意味だったそうです。
スポーツをしている姉のマンコは、私のチンポを休みなく小刻みに刺激していて、勃起はまだまだ続いていました。
私は細身の姉を抱きかかえて駅弁スタイルからカーペットにおろし、さらに突き続けました。
そのまま体位を変えることなく、1時間近くで5回くらい射精して、お互いにぐったりになりました。
30分くらいまどろんでいたら、両親の車の音にハッとして起き上がり、急いで部屋に戻りました。
カーペットは濡れたままだったと思います。
富夫さま
名前を入れ忘れ匿名でコメ返してしまいました。
お姉さんとやはり挿入があったのですね。
しかも思春期真っ只中…
お互いに異性として意識がはじまり
タブーを破る覚悟したならば
あとは距離をどう縮めるか…
家族という枷をどう外すか…
それが
いつも一緒に入っているお風呂だったのですね。
先生に仕込まれたセックスを
お姉さんに実践して
勘違いとはいえ膣内射精!
無限制欲で5回!
お姉さんも大満足の近親相姦だったでしょう。
私が上書き射精したのは
父の再婚相手
私の憧れであった
かつての親友のお母さんです。
50歳になった彼女に
夢にまでみた膣内射精を果たしたとき
私の愚息がもげそうなほどの快感でした(笑)
投稿者様
姉とのエピソード、お読みいただきありがとうございます。
投稿者様の初めのご想像どおり、姉とはそういう関係でした。
とくに姉がK3までは。
私から誘うこともありましたが、だいたいは姉から、部活や勉強のストレス発散相手でした。
ピルを飲んでいたこともあり、コンドームを手に入れるのがハードル高かったこともあり、生で中に出すことが多かったです。
姉が大学に進学したタイミングで、叔母(秋恵)が家に来ました。42歳だったと思います。
母が仕事や家事の手伝いをお願いしたようです。昼は近くの会社の受付や事務で働き、私が帰宅する頃には家にいました。年齢よりも若く見え、30過ぎくらいに思っていました。
こうして私のk校時代は、アラフォーの叔母との生活でした。