17,000話以上掲載!!毎日更新!!

古希を迎えた私の女性経験①

[AD]

[AD]

田中拓実さんから投稿頂いた「古希を迎えた私の女性経験①」。

もう70歳になるので、今までの女性経験を残しておきたくなりました。

私の実家は田舎の大きな農家で、兄弟姉妹も多く(8人)、親戚も近所にたくさん住んでいた。覚えていない親戚も多いです。


田畑の手伝いに来ていた女性(後家さんや出戻りさん、10代の若い子も)も5~6人いた。
父は付き合いで飲みに行ったり、泊まりで出かけることが多かった。
私たちきょうだいの「母」は3人いた。父は、兄が戦争で亡くなって跡を継ぎ、兄の奥さん(光江さん)を妻にしていた。(みんなは奥さんと呼んでいた)その子が3人(男女男)。1人は父の子。


跡を継ぐ前から夫婦関係にあった女性(多紀さん)との間に3人(女女男)。私も多紀さんの子。
若くして病死した父の弟の婚約者(陽子さん)との間に2人(女女)。1人は父の子。
今思えば、かなり複雑だが、当時はそれが普通だったので、普通に生活していた。
手伝いに来ていた後家さんにも小さい子がいたので、ひょっとしたら父の子かもしれない。


父はかなり精力が強かったようだ。父が死んだときに「父の子」を名乗る私の知らない人が数人いて驚いたものだ。

そういう家庭環境で、小さい頃は男女関係なくお風呂に入り、一緒に寝ていた。
S学校5年生(誕生日前だから⚫︎0歳か)の頃、母は肺炎で長く入院しており、私は姉2人や陽子さんのさんの娘2人と過ごすことが多かった。5人きょうだいのようで、女子4人は仲良かった。(寝るときは女子4人が1部屋、私と陽子さんで1部屋)


陽子さんは、3人の奥さんの中ではいちばん若かったが、父と過ごす時間はいちばん短かったみたいで寂しそうにしていた。
陽子さんはよく私に「拓ちゃんは将来男前になるね」と言ってくれた。
S5の5月頃だったか、蒸し暑い夜に、ついにその時が来た。


陽子さんが「択ちゃん、暑いね、裸で寝たら気持ちいいかもよ」と言いはじめた。
まだ小さかった私は「うん!」といって、真っ裸になった。陽子さんも全部脱いだ。
お風呂では見ていたが、布団で見るのは初めてだった。すると、陽子さんはまだ毛の生えてない私の珍棒をさすり始めた。珍棒はどんどん大きく硬くなっていく。


毎朝こうなっていたことは、陽子さんも知っていたが、どういうことかは私は知らなかった。
夢精したことも自慰したこともなかったと思う。
陽子さんは「誰にも言っちゃダメだからね」と言って跨がって膣穴に入れた。
暗くて膣穴や陰唇は見えなかったが、お風呂で見るのタワシのような股ぐらとは違って感じた。


その時は、それがセックスだとわからなかったが、珍棒の先がひりひりするように気持ちよかったのは今でも覚えている。ひと言も発することなく爆発するように大量に射精した。
それから、陽子さんとほぼ毎晩、セックスするようになった。
でも、今でいうクンニやフェラはなかったと思う。セックスの時間も、短かった気がする。

これが、私のはじめてのセックスです。
少しずつ、投稿していきます。何か質問や感想をいただけると幸いです。

[AD]

[AD]

みんなのエッチ体験OGP

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

感想などコメントをどうぞ!投稿していただいた方の励みになります!

コメント一覧 (1件)

  • はじめまして
    私は73歳になります。
    他のサイトでセックス体験を日記風に書いています。
    それはさておき、私も農村で生まれ育ちました。そのころは性に対してもおおらかというか、獣的といいますか、今みたいにモラル的なものは少なかったように思います。
    私の初めての性体験は、小学校にはいるまえの4歳か5歳のとき、子守に来ていた隣の中学生のお姉さんにチンポを舐めてもらったことです。
    小学3年になって、近所の同級生の女の子二人と野小屋で裸になってオメコとチンポを舐め合ったり擦り合ったり遊んでいて、射精はしなかったものの絶頂を感じたものでした。そんな関係が6年生まで続き、射精もするようになり、女の子も膣を舐めたり乳房を揉んだりで絶頂を感じていました。挿入は出来ませんでしたが・・。やがて、乳房も大きくなり、初潮があってからは、自然と遠ざかりました。
    そんな彼女に高校生の時に再開し、初めて膣内に射精することができました・・。

コメントする


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

目次