50歳主婦さんから投稿頂いた「S学生で中出しハメ撮り裏本を撮影された私」。
結婚して25年、50歳を迎える主婦です。
主人は優しく、今も私を愛してくれ、週に3回くらいは抱かれています。
子供たちは二人とも成人して、今や再び夫婦二人の生活になりました。
主人に愛され、出産後は専業主婦させてくれて、とても幸せな私ですが、遠い昔、主人には言えない過去を抱えて生きてきました。
それは、私が子供のとき、東京に住んでいた頃のお話です。
私は、小学校卒業まで、大田区の久が原というところに住んでいました。
あまり裕福でなかった私の家庭は、ある方の家の離れを借間して暮らしていました。
その大家さんであるある方は、プロのカメラマンでした。
私は、S学4年生の時、両親に言われて、大家さんのモデルを始めました。
可愛い服を着て、色んなポーズで写真を撮られましたが、それは表向きで、撮影の帰りに立ち寄るラブホで、ヌードを撮られていました。
裸にランドセルで、М字開脚でアソコを広げたり、四つん這いで振り向きながらアソコを広げたり、そういう写真を撮られました。
S学5年生になるとエスカレートして、三脚に据えたカメラの前で、裸にランドセルでカメラマンさんのおちんちんを舐めさせられたり、扱いたり、精液をかけられたりを撮られました。
S学6年生になって、アソコにうっすらと毛が生えてくると、アソコを舐められたり、おチンチンをアソコにあてがわれたり、アソコに精液をかけられたりを撮られました。
そして、S学6年生の夏休み、私は、II歳の処女膜を散らす場面を撮影されました。
S学6年生の女児が、まだ初潮前の処女膜を破られ、幼い子宮に精液を注がれ、抜かれたおちんちんには違こびりつき、アソコからは血が混じった精液が流れ出す写真を撮られました。
それからは毎回、大家さんであるカメラマンと中出しセックスを撮影されていました。
私は、S学6年の秋ごろには、アソコをおちんちんで犯されて、気持ち良さを感じて、アンアンと喘ぐS学生になっていました。
母が気づいたのはS学6年の年末、私のパンツに精液が付着してるのに気づいた母に問い詰められ、母が大家さんを問い質し発覚しました。
多額の示談金を貰い、S学校卒業と同時に私たちは母の実家がある地方都市へ引っ越しました。
その後、高校卒業まで地方都市で暮らし、大学進学で私は東京に6年ぶりに舞い戻りました。
時はバブルが弾けた頃、まだバブル時代の闇を引きずってて、サークルの部室で、先輩の男子大学生がエロ本を回し見していました。
その中に、少女のヌード本があって、なんと、それはS学生の私でした。
М字開脚でアソコを広げてる写真はなく、芸術として扱われていました。
でも、エロ本の中には裏本というのも混じってて、S学6年生の私が中出しセックスしている裏本がありました。
「この子可愛いよな~。こんな美少女がオヤジチンポで処女膜破られるとか、狂ってるよな。」
そう言いながらズボンの前を膨らませる先輩たちも、7年前に撮影されたものなので、誰も私だと気づくものはいませんでしたが、あのように私の幼い痴態が流通していることに震えました。
私は、池上線に乗って大田区久が原へ出向き、7年前に住んでいた家を見に行くと、そこには新しい家が建ってて、カメラマンは住んでいませんでした。
私は、大学の4年間、男性とお付き合いをすることができずに卒業し、地方都市に戻って就職、そこで知り合った主人と11年ぶりのセックスをしました。
S学6年以来のセックスは、愛のあるセックスで、初めてコンドーム装着してのセックスを経験しました。
その後結婚して、主人のおチンチンを生で受け入れ、13年ぶりに子宮で精液を受け入れました。
主人に愛されるたび、あのおぞましい記憶が蘇ります。
S学6年生の時、女子だけ性教育があって、セックスの意味を知っていました。
だから、カメラマンさんにアソコを舐められ、おちんちんをあてがわれた時、何をされるのかは分かっていました。
処女膜を引きちぎられる痛みの後、中に射精された時、
「赤ちゃんできちゃう・・・」
と言ったのを今でも鮮明に覚えています。
その後、何度も犯されているうち、快感を覚えた私・・・いけないことをされているのに、気持ち良さに股を思い切り開いた私がいました。
S学6年生の女の子が、裸にランドセル姿で大股を開き、大人のおちんちんで犯され、うっとりと快感に喘ぎ、中出しされる様子を裏本で晒されたのです。
今では、あの本がどれだけ残ってるか分かりませんし、それが私と知る人間もいません。
でも、あの記憶は今でも鮮明に記憶に焼き付き、主人に愛されるたびに蘇るのです。
そんな、墓場に持っていく私の秘密をここに綴ります。

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今となっては、良き思い出ですか?