良夫さんから投稿頂いた「私たちは36年前に処女と童貞を捧げあった夫婦です」。
私と妻の千絵の出会いは36年前、私は高校を出たばかり、千絵は中学を出たばかりでした。
私たちが出会う2年前、私と千絵の両親はある事故により亡くなっていて、親戚に育てられたのでその時点での高校と中学しか出させてもらえませんでした。
就職先で出会った私たちは、境遇が酷似していたため惹かれ合いました。
私は高校を卒業後、就職してすぐに親戚の家を出てアパートに住まいました。
千絵は、親戚の家に世話になるのが苦痛で、私のアパートに遊びに来ることが多かったのです。
高校を出たばかりの童貞と、中学を出たばかりの処女が幼い恋心を寄せ合い、結ばれようとするには時間はかかりませんでした。
出会いから4か月、7月の下旬の梅雨明けの暑い土曜日の夕方のことでした。
5月生まれの私はすでに19歳でしたが、1月生まれの千絵はまだ15、まだ子供でした。
薄着の千絵の汗ばんだシャツはブラが透けて、私のズボンの前は膨らんでいました。
千絵の肩に手をやると、オドオドしながらも拒むことはありませんでした。
唇を重ね、教えられたわけでもないのに自然と舌が絡まりました。
カーテンを閉め、お互い服を脱いで見つめ合いました。
「お風呂・・・」
千絵の一言でお風呂を沸かし、その間、裸で抱き合うペッティングをしながら、舌を絡め合うキスをしていました。
一緒にお風呂に入りました。
昭和末期の安アパートにシャワーなどありませんから、狭い湯船に肩を寄せ合って入りました。千絵はずっと脈打つ勃起陰茎を不思議そうに眺めていました。
裸になって30分くらい過ぎていましたが、ベッドの上で足を広げて淫裂を晒した千絵は、
「恥ずかしい・・・」
と真っ赤になっていましたが、まだ15の少女ですから当然でしょう。
私も初めて見た女性器に興味津々で、広げたり覗き込んだり、それがクンニリングスという前戯であるとも知らず、淫裂を舐めました。
「ああっ・・・」
舌が陰核に当たるたび、千絵が声を出すので、そこが気持ちいいんだと判断して陰核を舐め続けました。
千絵はまだ幼い身体を喘がせ、初めて味わう快感と戦っていました。
私は興奮が抑えきれず、生のまま千絵の膣に陰茎の挿入を試みました。
膣の角度と陰茎の角度が合わないのか、なかなか挿入に至らず外れること数回、それでもある瞬間、グリッという破裂感を伴って根元まで一気に入りました。
まだ未成年の幼い恋を成就した私たちは抱き合い、長い時間キスしていました。
「良夫さん・・・」
「千絵・・・」
腰を動かしていないにもかかわらず襲ってきた射精感に、慌てて陰茎を抜くとピュピュピュピュ~~っと弧を描いて精液が千絵の身体に降りかかりました。
「あ、危なかった。千絵の中に出すところだった・・・」
「中に出してくれても良かったのに・・・」
「バ、バカ言うなよ。まだ、子供なんか育てられないよ。」
「そうかぁ・・・」
私に抱かれて15歳で女になった千絵は、私に対する接し方が明らかに変わり、
「もしかして、お二人さんデキてる?」
とか、中には、
「お前ら、ヤッたな?」
と言われ、公認のカップルとなりました。
それどころか、千絵の親戚は、千絵が家を出たい意向を示すと、まるでを厄介払いするように、二つ返事で千絵を独り立ちさせました。
千絵は、荷物を携えて私のアパートに転がり込んできました。
こうして、初セックスから2か月後の9月下旬、19歳の少年と15の少女の同棲生活が始まったのです。
私たちは、六畳一間の安アパートで慎ましく同棲生活を始めました。
若い二人は毎晩セックスに励みましたが、コンドームを買うという発想が無かった私たちは、射精しそうになると抜くという危ないセックスを繰り返していました。
ある日千絵が、
「ねえ、毎回これだとシーツが汚れるから、私、ティッシュを手に持つからそこに出して。」
と提案され、私はティッシュを重ねて持つ千絵の手に抜いた陰茎を乗せ、千絵が陰茎を握って精液をティッシュで受けるようになりました。
千絵に生理が来ると、シーツが汚れるからセックスはできませんでした。
仕方がないので、私は自分で処理するしかなかったのですが、何せ六畳一間、
「千絵、俺、たまっちゃって我慢できないよ。ごめん。オナらせて。」
「オナる?何それ?」
おもむろに陰茎を出して、扱きました。
そして一人でアヘアヘしながら、畳に敷いたティッシュの上におびただしい射精をしたのです。「良夫さん・・・それだったら、私がしてあげるよ・・・」
翌日、生理中の千絵が私の陰茎を扱いて、射精させてくれました。
以降、千絵が生理の時は私は陰茎を千絵に委ねるようになりました。
私たちは純粋にお互いを愛し合って交わったので、私たちのセックスには深い愛が伴いました。
しかし、千絵がセックスに伴う快感、クンニリングスによる陰核の快感だけでなく膣内での快感を知っていくと、次第に様々な体位にチャレンジするようになりました。
セックスを特集した雑誌を買い込んで、大人のセックスを学びました。
千絵は、
「えーっ!女の子がオチンチン舐める行為もあるんだ。フェラチオっていうんだね。」
千絵は、私の陰茎を舐めるようになりました。
未熟で幼い私たちのおままごとのような同棲生活は、やがて職場にも知れることとなりました。
休日、一日に何度も励む私たちの愛の巣は、時折玄関の郵便受けが開け閉めされることがありました。
六畳一間のアパート、アパートの北向きの玄関の郵便受けから覗き込めば、私と知恵が愛し合う結合部が丸見えでした。
私は、千絵が騎乗位の時に覗きに気が付きましたが、15の少女の痴態を操っている自分を誇らしく思い、覗かせていました。
誰が覗いていたかは知りませんでしたが、15の少女がまだ幼い膣に陰茎を咥えこみ、愛液を流して覚えたての快楽に喘ぐ姿を見て、どう思ったのでしょう。
昭和末期のバブルが始まる前、結婚前の男女がセックスすることは、まだ多少の後ろめたさが付きまとった時代でした。
そんな時代に19歳の少年と15の少女が騎乗位で交わる・・・すごい光景だったでしょうね。
私の舌戯の前に、まだ無垢な股間を捧げた千絵は、幼い粘膜を舐陰され、15とは思えぬ喘ぎを見せました。
そして、可憐な唇を開いて、陰茎にフェラチオ奉仕しました。
まだ幼い膣が、性欲を隠さず愛液を流してヌメりました。
怒張する私の陰茎が膣に挿入され、柔肉をメリメリ広げながら根元まで入りました。
膣を抉られ、乳房を愛撫され、まだ少女の千絵ですが敏感に身体を反応させました。
未発達な15の膣に、欲望に猛った19歳の陰茎が挿入される様子を目の当たりにしたのは、いったい誰だったのでしょう。
同棲生活3年半、バブルが始まりかけたある3月、私22歳、千絵19歳で結婚しました。
千絵の後見人である親戚の伯父さんが承諾してくれました。
二人で貯めた結婚資金で、六畳一間から、六畳二馬のアパートに引っ越して夫婦生活が始まりました。
住処が変わっただけで、やることは同じ、毎晩せっせと夫婦の営みに励みました。
この頃になると二人とも息の合ったセックスで、若かったけれど、夫婦らしい営みでした。
私が25歳の秋、21歳の千絵は長女を出産しました。
この頃、バブルが後半を迎えていました。
私が28歳の初夏、24歳の千絵が長男を出産しました。
この頃、バブルは崩壊していました。
千絵と結婚して、今年で33年が過ぎました。
4年前に嫁いだ長女は30歳、私には孫がいます。
27歳の長男は来年結婚したいと、彼女を連れてきました。
夫婦二人の生活になって4年、昨夜、三日ぶりに千絵を抱きました。
五十路夫婦となった私たちが営むのは、週に二、三回です。
処女と童貞を捧げ合ってから36年、千絵の陰唇は真っ黒になりましたが、私の陰茎を包み込んで離しません。
今年閉経した千絵の膣内に射精するとき、二人は抱き合い、舌を絡めます。
そのとき、36年間、同じ相手とセックスしても飽きない理由がわかるのです。
私は、一生女は千絵だけでいいと、しみじみ思うのであります。

 
	
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コメント一覧 (2件)
末永くお幸せに
仲良し夫婦だなあ