旦那さんから投稿頂いた「熟女で培ったテクで愛妻を悦ばせよう」。
俺が就職したのは10年前、就職して、最初の3年は研修を兼ねて、新人は現場を知るために店舗に配属されるんだ。
俺が居たのは郊外の住宅地に最寄りの私鉄の駅に近い店舗で、その店舗の駅を挟んで反対側にアパートを借りた。
売り場で商品管理、在庫管理、必要仕入れ量の把握など、今じゃパソコンにやらせてた仕事を人がやってた。
当時もパソコンはあったけど、今みたいに店舗と統括支店、統轄支店と本社を結ぶ回線はまだ未整備だった。
要するに、パソコンはあっても、システムの構築が無かったし、その発想すらなかった。
だから人がやってたし、人がやるものだと思ってた。
店舗って、忙しいだけでなく、若い女の子が少なくて、女性は総菜コーナーの主任とパートのおばちゃん、あとはレジ係にいたけど、全員年上だった。
初めて職場の飲み会に出たのはお花見で、パートのおばちゃんも参加してた。
40代、50代の母親世代と酒飲んだけど、半分以上が旦那さんとレス、若しくは団阿讃はもう起たないとか、下品な話題でガハハと大笑いしていて、げんなりした。
比較的若いレジの子は、店長やおじさんたちが独占、俺はパートのおばちゃんの下世話な話に混ぜられていた。
でも、パートのおばちゃんとは親密になって、その後、気軽に話せるようになった。
同じ時間に上がったおばちゃんと、一緒に店を出るとすぐ俺のアパート、それじゃあとアパートに向かうと、
「ここに住んでるんだ。若い男の子の部屋って、どんな感じなの?」
と言われて、じゃあどうぞと言わないとイケない雰囲気になって、おばちゃんを部屋に入れた。
密室だと、おばちゃんのメスの匂いが充満、大学卒業以来禁欲生活だったから、不覚にも女を感じてしまった。
「あら、こんなおばちゃんで勃起してるの?おばちゃんでいいなら、させたげるよ。」
と言って脱がれて、ジ・エンド。
母より年上の五十路熟女とのセックス、五十路ってダルな女体と思ったらそうでもなくて、色気があってたまんなかった。
大学時代の彼女は、喘ぎ声を意識的に出してたけど、熟女は、ついつい出てしまうような喘ぎ声で、エロかった。
快感をこらえきれずに出してしまう喘ぎ声こそ、最高の喘ぎ声だと知った。
熟女だからこそ出せる、嬌声と言うものだろう。
普段、店舗にいるとき、三角頭巾とエプロンしてる時は、セックスなんて関係が無い感じの熟女にエロさを見せつけられたら、若い女の子より格段にいいと思った。
しかも、閉経してるからと生挿入で中出し、人生初中出しは気持ち良かった。
一人のパートさんとヤッたら、他のパートさんも味わいたくなった。
パートさんはハッキリ2種類いて、若い男子社員とのハメハメ狙いのレス奥さんと、夫婦仲は良いけど、家計のためにパートしてる奥さんがいて、前者は五十路、後者は四十路が多かった。
従って、ハメ友は五十路が多く、3年間の店舗勤務で、五十路5人、四十路3人、計8人の熟女パートさんと関係を持った。
もちろん人妻だから、定期的にとはならず、その日、一緒に仕事を上がるパートさんの中で、時間がある人を連れ込んだ。
俺が他のパートさんとも関係してることは、承知のうえで股を開いてた。
五十路は生入れ中出しだけど、四十路はまだ生理があってそうはいかないから、外出しだけど生だった。
熟女とばかり関係を持つと、女子大生とは違う快感を味わえて、たまらなかった。
関係を持ってた熟女は、五十路には地味で若い頃から遊んでない感じが多く、四十路は若い頃にバブルで弾けた世代がいて、百戦錬磨な奥さんがいた。
若い頃の武勇伝も聞かされた。
今は彼女らも50代だけど、あの性欲は衰えていないだろうな。
当時、四十路のバブル世代から聞いた話では、彼女たちが女子大生の頃は、金曜の夜に街に出ると小金持ちのサラリーマンにナンパされて、レストランでゴチになった後、ホテルで破廉恥三昧だったそうだ。
うら若き女子大生が、20歳でアナルバージンを奪われ、後日、ブランド物の小物買ってもらい、おじさん二人に前後の穴を犯されたとか、信じられない話を訊かされた。
バイト先の社長と一緒に、軽井沢の別荘で乱交パーティ、一晩で5~6人と関係したそうだ。
でも、乱交パーティーの時は、コンドーム装着なのだとか。
だから、経験した人数は軽く100人は超えたそうな。
俺は、五十路の地味な熟女の方が好きだった。
母親より年上で、少しだらしない体型が好きだった。
裸になると、下着の跡が残ってて、お腹も下腹部が出てる姿がいい。
なんだか、女体に生活感を感じて、家庭を守るお母さんの性、或いは長年連れ添った旦那さんから寝取る興奮、そういうのが五十路の女体からは感じた。
セックス自体も、バブリー四十路よりしっとりしてて、ガツガツしてない。
それからあの垂れ始めた乳房、突くと揺れ方が女子大生と違ってダルダルなの。
そして、若いチンポに感じすぎて乱れながら、
「ああ、お父さん…お父さんごめんなさい…」
なんて旦那さんに贖罪を感じてる、実は仲が良い熟年夫婦の奥さんを寝取るのもなかなか興奮した。
3年間、タップリ熟女を味わって、事務方になると、若いOLがいっぱい、でも、その頃には五十路熟女上司に目が行ってしまい、スーツ姿で颯爽としてる熟女上司とハメたくなってた。
パートさんのように、継続して関係はできなかったが、上司のカバン持ちで出張したとき、夜のお供をした。
颯爽としていた上司が、大股広げてアンアン喘いで、息子より年下の男にしがみつき、閉経オマンコに中出しを乞う、とても濃くて卑猥な夜だった。
飲み会は若いOL達とワイワイ、でも、深い関係になることはなく、彼女たちはあまり社内恋愛を望んでいなかった。
結局俺は、会社が入ってるビルの1階にある、手作りお弁当屋さんの店員と恋仲になって、結婚した。
最終学歴は料理専門学校という娘で、その娘が調理してるお弁当、毎日買ってたら仲良くなった。
ちょっと吉岡里帆っぽくて、可愛かった。
俺26歳、妻23歳で初めてベッドイン、妻は処女ではなかったけど経験豊富と言うことはなく、きれいなオマンコしてた。
俺28歳、妻25歳で結婚、2年後出産でお弁当屋を辞めた。
当然、料理はメッチャ美味い。
プロだから当たり前だけど、家庭料理が本格的なの。
俺は、料理上手で可愛い自慢の妻をもらったと思ってるけど、羨ましがられてるのは妻の方だった。
お弁当屋で働いてて、そのビルの大卒正社員を射止めたって言われてた。
お弁当屋さんで調理するって、俺にはできない仕事だったから、なぜそう蔑むのか理解できなかった。
年に数回、田舎から両親が演歌歌手のコンサートとか芝居を観に出てきて、泊まるけど、妻の料理は毎回絶賛して帰る。
母は、美味しい本格料理をその時間で作るって奇跡だって言ってたけど、プロに失礼だな~って思った。
お弁当屋さんとはいえ、そういう学校を出たプロの料理人だっつーの。
ま、とにかく妻は、俺に抱かれるのが大好き。
熟女で培ったテクを駆使してるしね。
俺と結婚した最大の理由が、妻が初めてイクことを経験した相手だから。
「これがイクってことなんだね…」
あれ以降、俺にベッタリになった。
俺にとって、最高の妻だ。
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