旦那さんから投稿頂いた「故郷を捨てた俺が唯一愛してる女房」。
新幹線の駅を降り、ローカル私鉄に乗り、郊外の駅へ降り立った。
畑と小川、子供の頃に遊んだ懐かしい原風景、約30年ぶりの帰郷だった。
30年前にはなかったコンビニが駅北口前にあって、そこを通り過ぎ、緩やかな坂道を東側へ昇ると、右手に実家がある。
高校時代のアルバイト先で、売上金を盗んだという濡れ衣を着せられ、クビにされた上バイト代はもらえず、後ろ指をさされて、大学進学で上京して以来、帰郷しなかった。
後に、他のアルバイトにも同様の嫌疑がかけられ、結果、店主の陰謀と発覚、店はつぶれ、俺の濡れ衣は晴れたが、俺は故郷が許せなくて帰郷しなかった。
今回の帰郷は、親父の葬儀の為だった。
兄貴夫婦が出迎えてくれて、お袋が俺の名前を呼びながら、両手で俺の身体を何度も叩いた。
俺は、滞在中に多くを語らず、寡黙に過ごした。
告別式に出るために実家に二泊して、帰途に就いた。
「もう、行っちまうのかい…」
お袋が哀しげな顔で言った。
「ああ、俺にも仕事と家族がいるんだ。それに、この街はいい思い出がねえからなあ。居心地が悪いんだ。」
泣きそうな顔で見送るお袋の気持ちは分かった。
もう、お袋が俺の姿を目にすることはないからだ。
次に帰郷するときは、お袋の葬儀、そして、それが最後の帰郷になるだろう。
高校生の時、家族までもが俺を信じてはくれなかった。
ただ一人、裕子だけが俺を信じてくれた。
俺にとって初めての彼女、祐子は幸せだろうか…
上京する俺を見送りに来たたった一人の人、それが裕子だった。
共働きの裕子の家で、学ランの俺とセーラー服の裕子が抱き合い、初めてのキス、そして…
初めて見た女体、マンコ、シャワーで清めてから、読みかじったクンニ、好きな女の子のマンコを舐めることが、あんなにも素敵なことなんだと知った17歳の秋…
そして、大好きな女の子が俺のチンポをおしゃぶりしてる、信じられなかった。
コンドームなんて持ってなかったから、生で入れた。
非起債あ処女膜、痛みを耐える裕子、今も忘れられないあの瞬間。
その後、精の快楽を知っていった俺たちは、学校から帰ると、裕子の両親が帰ってくるまでの1時間半の間に、そそくさとセックスを楽しむようになった。
若い二人は土日も我慢できず、橋の下、公園の障碍者用トイレなどでハメまくった。
高校時代に昼休みにもよおして、屋上に上がる階段の踊り場で、裕子のスカートまくってバックから入れたこともあったが、あの時、必死で声を抑えてた裕子が可愛かった。
卒業間際、奥手な友達から、セックスが見たいと懇願され、そいつの部屋で、学ランとセーラー服姿で、舌だけ脱いでセックスしたことがあった。
恥ずかしかったけど、セックスを第三者に見られる興奮を味わった。
アラフィフの今、裕子を思い出して懐かしい気持ちと、あんな濡れ衣事件が無かったら、大学も地元に行って、裕子とずっと一緒で、夫婦になってただろうなという思いが重なり、胸が熱くなる。
今でも裕子の実家は覚えているが、訪ねる勇気はない。
俺にとって、裕子はセーラー服を着た18歳の女の子のままだから。
ずっと忘れないし、いまでも愛しい。
女房とは天秤には架けられない女だ
女房は、本能でハメたくなる女なのだ。
初めて会ったとき、奇麗だとか、可愛いだとか、そういう感情はなく、ただヤリたいと思った。
裸に剥いて、マンコ舐めてチンポ入れたい、心からそう思った。
だから、二回目に会った時に素直にそう言ったら、嬉しそうに受け入れた。
女房の裸を見てガチ勃起を笑顔で見た女房は、そっと握って片足上げて、自ら入れた。
もうヌルヌルで一気に入り、俺たちは立ちハメで初めて繋がった。
女房のマンコは、それまで入れてきたマンコの中でも一番気持ち良かった。
始めてハメた1年後には夫婦になってた。
お互いがヤリたい対象だったから、結婚生活はハメまくりで、安アパートの隣の部屋の住人から何度も壁を蹴られた。
結婚して23年、上の子は成人して、下の子は高校生になったが、俺たちはセックスが止められない。
この年になっても毎晩ハメる。
そう、俺は故郷を捨てた身だから、俺には女房しかいないのだ。
これからも女房を大切にしながら、愛していきたいと思う。
今夜も、使い込んだマンコを舐めよう。
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コメント一覧 (2件)
濡れ衣で故郷を捨てる、俺と同じだ。
でも、親の葬儀に帰るだけエラい。
俺は35年帰ってねえよ。
男はつらいねえ。