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バブルの頃にいた芸能関係の仕事場の話

オヤジさんから投稿頂いた「バブルの頃にいた芸能関係の仕事場の話」。

横行を出たあと上京して、専門学校へ2年通った。
勉強を兼ねて某芸能事務所でバイトしていたのは、昭和末期のこと。
夏休みに、ある40代の舞台女優(結構有名)の地方公演のお供をした。

忘れもしない、あれは盛岡のホテルでのこと、夜、呼び出されて部屋を訪ねると、湯上りで半裸の女優さんに肩揉みを頼まれた。
40代のおばさんとはいえ、綺麗な女優さんの半裸は色っぽくて目のやり場に困り、緩い部屋着は胸の谷間どころかノーブラの乳首まで覗けた。
19歳の童貞男根は脈打ち、ジャージから先っぽが出そうなほどだった。

それを鏡越しに気付かれ、振り向いた女優さんにジャージの上から握られた。
「フフフ…ボクちゃん、女を知ってるの?」
アワアワしてたら、そのままベッドに押し倒され、ジャージとパンツを脱がされた。
裸になった女優さんは股を広げ、ドドメ色のん余韻を舐めるように促されて、生まれて初めてクンニを経験した。
コンドームを被せられ、40代舞台女優さんで脱童貞を果たした。
艶かしい中年女性の白い肌と色気のある喘ぎに囚われ、この夜、4発抜かれた。
地方公演の前半の2週間、毎晩のように40代舞台女優さんの性のお供をして、女体を覚えた。

その後、専門学校時代には、その40代舞台女優以外にも、30代~50代の女優や女プロデューサーの相手をして、食事をご馳走になったり、何か買ってもらったりしていた。
今思えばバブルの始まりの頃で、おかげで専門学校を卒業する頃には、女体の扱いが上達していた。
専門学校を卒業してからは、バイト先に紹介されて、芸能界でプロデュースをする会社に就職した。
時は昭和から平成にかけての頃で、世の中は狂っていた。
仕事はほぼ毎日午前様で、起きるのはお昼ごろだった。
そして週2~3回、派手な飲み会にお世話係として出なくてはならなくて、そこにはテレビで見たことがある芸能人の顔もチラホラあった。

飲み会には、どう見ても素人の女子大生風な女の子が多数いた。
ワンレンボディコンは少数派で、ハマトラ清純系が多かった。
そして、夜10時頃にお開きになると、何人かの女子大生風の女の子は、テレビで見たことがある芸能人とどこかへ消えた。
俺は、ある50代の俳優にお世話係を気に入られて、女子大生数人と共に俳優が借りてるマンションに行ったことがあった。

そこでは、キングサイズのベッドで、20歳そこそこの清純そうな可愛い女子大生を裸にして、並ばせて大股開かせて、女陰を丸出しにさせて、
「オマンコ味比べだ。端から頂くぞ。」
と言って、生のまま男根をぶち込んで、3回くらい往復して、
「よし。今夜はお前だ。」
と一人の女子大生を選ぶと、早速セックスを始めた。
まるで父娘のような年の差で、目の前で生セックスを始められ、俺と残された女子大生数名は、その様子を見ているだけだった。
いわゆる見せつけ快楽癖と言うヤツで、見られて興奮する俳優だった。

その俳優、50代だというのに精力抜群で、女子大生の身体に膣外射精した後、シャワーを浴びて、
「次はお前だ。後の奴らは、君がハメて構わないよ。」
と俺はおこぼれをもらった。
その時初めて、同年代の女の子とセックスを経験した。
この頃から、バブル時代の女子大生ブームが巻き起こっていった。
彼女たちの中には、そのまま夜のテレビに出演して、タレントとして芸能界デビューする者もいた。

俺は、こうして芸能人に群がる女子大生のおこぼれや、中年女優や女プロデューサーと遊びのセックスをしながら、20代前半を過ごした。
彼女と呼べる女は居なくてセフレだったし、100人近い女と寝たが、8割方ワンナイトだった。
最も長かったのは50代の女優で、1年半ほど定期的に関係し、閉経女壷に若き精液を放った。
子宮から若い精液を吸収するのは、若返りの薬なんだそうだ。
その50代女優との関係が終わった頃、バブルが弾けていたが、すぐに気付いたものは居なかった。

俺はそのころ、20歳の専門学校生とセフレのような関係になっていた。
彼女は俺が卒業した専門学校の学生で、俺と同じように芸能関係のバイト先を求めて、俺の勤め先にやってきていた。
そして、俺と同じように、40代のスケベそうな俳優に処女を奪われ、エロ事を仕込まれていた。
そこにバブル崩壊のあおりを受けて実家が傾き、家賃が払えそうになくなりアパートを出るというので、俺のアパートへ誘った。
彼女は西田ひか○似の可愛い顔をしてたから、もちろん下心アリアリだった。
もう、彼女がやってきたその夜から、乳を揉みまくり、女陰は舐めまくり、生入れ外出しを精液が枯れるまでヤリ倒した。

彼女のバイト代は学費へ消えてたっから、生活費は俺が全部出していた。
だから彼女は、俺がどんなに恥辱にまみれた要求をしても、応えた。
普段の破廉恥な性生活や、彼女の安全日にセーラー服を着せて、生セックスで中出しする様子を8ミリビデオで撮影したこともあった。
彼女の女陰に様々な野菜を突っ込んでみたり、バイブで狂わせたりした様子も撮影した。
そんな恥辱をやりたい放題された生活でも、彼女はじっと耐えて専門学校を卒業した。
俺は、彼女が就職して落ち着くまでの1年、彼女をアパートに置いてやった。

俺は、西田ひ○る似の可愛い彼女を弄ぶ自分と、バブル崩壊後の荒んだ仕事場に嫌気がさしていた。
彼女の生活が安定し、彼女が安いアパートを見つけたこともあって、20代後半だった俺は東京を去り、田舎へ引っ込むことにした。
彼女の引っ越しを手伝いつつ自分も荷造りし、彼女の生活に役立ちそうなものは、全て彼女に譲ってあげた。
約2年間の同棲では、破廉恥な仕打ちをされていたにもかかわらず、別れるときに彼女が泣いた。
「2年間、本当にありがとう。あなたがいなかったら、今の私はないから…」
「色々スケベのことばかりして、悪かったね。俺もすっかり心が荒んでることに気付いたよ。じゃあな。元気でな。さよなら…」
「さよなら。お元気で…」

東京を離れ、田舎に戻って商工会の事務所に勤めた。
そこで知り合った女房と結婚して、3人の子宝に恵まれた。
そして今年、東京を離れて27年目を迎えた俺は、50代のオヤジになっている。
先日、物置を整理していたら、8ミリビデオが出てきた。
何が撮影されてるんだろう…と思いつつも、再生するカメラもデッキも処分して久しいので、そのまま捨てようとしたハッと気づいた。
西田○かる似の彼女の痴態…
俺は、8ミリビデオ全10巻、全てテープを引き出し、はさみで刻んでから処分した。

彼女と暮らした2年間を思い出していた。
破廉恥な行為に耽った記録を処分したが、遠い記憶は残っていた。
可愛かった彼女に恥辱の行為をしていた俺は、本当は彼女が好きだった。
でも、40代のスケベ俳優に純潔を散らされ、エロ事を仕込まれたことが悔しくて、好きな彼女にあんな仕打ちをしていたことを思い出していた。
素直に好きと言えず、でも、抱いている時は愛情を注いでいたっけ…
別れるとき、彼女が、俺が愛情を注いでいたことを知って、俺を受け入れていたから涙したんだ。
あの頃、若くて素直になれてなかった…

彼女…あれからどうしたかな…
彼女…今、どうしてるかな…
彼女…今は幸せかな…
一度だけでいいから、彼女に会ってみたいと思う俺だった。
せめて、彼女に出会うまでと別れをここに記そう…

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