さかいさんから投稿頂いた「20年前の卒業式後のできごと」。
3月の卒業シーズンになると思い出すことがある。20年前のC学校の卒業式。
式の後のホームルームが終わると、同級生達はボタンの争奪戦をするやらカップルで帰るやら青春の場面が繰り広げられていた。俺は家庭の事情でC3の夏休みに転校し、親戚の家で暮らしていた。
仲の良い友達がいるわけでもなく、卒業関係の配布物が入っていた段ボールを片付けていた。
副担任の先生と一緒に。
大学を卒業したばかりの女性の先生で「さかいひろみ」という名前だった。24歳(病気で1年休学していたらしい)で2学期から3月までの臨時の英語の先生だった。俺も「さかいひろみつ」というよく似た名前(名字は同じ)だったし、同じタイミングでC学校に来たので親近感があった。
いや、親近感というより、恋心というか憧れというか…オナニーの時に何度も先生を裸にした。
年齢は9歳上だったが、童顔で今ならI原六花のような可愛い顔立ちで、胸も大きくてブラウスがいつもハリハリだった。段ボールの片付けも、坂井先生と一緒なのが嬉しかった。
先生が「酒井くん、一緒に倉庫に行ってくれる?」と言うので、何往復かした。
担任は年輩の穏やかな男性だったが、いろいろ手のかかる生徒につきっきりだった。副担任の坂井先生が、女子生徒や転校した俺の担当…という感じだった。
先生と一緒に倉庫まで段ボールを運ぶ途中「酒井くんは今日これからどうするの?」と聞かれたので、「晩ご飯の夜7時までに親戚の家に戻ればいいんです」と答えた。先生が「酒井くんとは一緒に入学して一緒に卒業だね、2人で卒業祝いしようか?」と言ってくれた。ものすごく嬉しかった。
俺は親戚の家に戻って私服に着替え「遅くなるかも」とだけ伝えて、先生に教えてもらった時間に待ち合わせ場所に向かった。先生はコートを着て髪を下ろしていて女子大生って感じだった。
「酒井くん、車に乗って。誰かに見られたらいろいろ言われるから」と言い、俺を後部座席に乗せて車を走らせた。「何か食べる?」と聞かれたが、先生と一緒なので気持ちがいっぱいで、あまり空腹感はなかった。少し町はずれのコンビニで、飲み物やお弁当やお菓子を買った。
少し町はずれの家がまばらな場所で先生は車を停めた。
「ここね、先生のおじいちゃんち。今は誰も住んでなくて、たまに掃除に来るだけ」
そう言って中に入り、こたつに入って一緒にご飯やお菓子を食べた。
味はあまり覚えてないけど、先生といろいろ話しができて楽しかった。興奮もした。
「7時までに帰るんだったよね?6時には出なきゃだから、あと3時間くらいだねー」
そう言って、先生がこたつの中で向かい合った俺の脚をつんつんと脚で突いてきた。
なんだか恋人同士みたいな感じで、俺は嬉しかった。一気に男根が充血した。
「酒井くん、何かしたいことあったら言ってね、3時間しかないけどね」
・・・もう、我慢ができなかった。気付いたら隣にいた先生を押し倒していた。
「酒井くん?」
俺は無言で先生に覆い被さってキスしながら、服を脱がした。スカートの中に手を入れた。パンストとショーツを無理やり脱がせた。オナニーで妄想していることをどんどん実行に移した。
「酒井くん!」先生が叫んだ。
「ごめんなさい!お願いします!ごめんなさい!お願いします!」俺はバカみたいに繰り返しながら先生の服をどんどん脱がせた。気が付くと、ブラジャーも外し、俺は先生の大きなオッパイを揉んで舐めて吸っていた。乳首は濃いピンク色で乳輪は綺麗な赤茶色だった。
俺の片方の手は先生の女陰をまさぐっていた。むりやりだったが、先生の蜜壺はぬるぬると濡れていた。陰毛も濃かった。ざわざわとした茂みが指に絡みついて淫靡だった。
「酒井くん・・・」少し抵抗していた先生は、あきらめたように力を抜いていた。
俺も服を全部脱いだ。男根の先に男汁が滲んでいた。先生は目をつむっていた。
先生のスカートをまくり上げ、太ももを開いた。女陰の真っ赤な割れ目と薔薇の花びらのような陰唇が濡れていた。もう夢中だった。そのまま無言で先生の女陰に俺の男根の亀頭をあてがい、先生を抱きしめながら一気に体重を掛けた。
「ああっ、ううっ、んんっ」坂井先生は呻くような喘ぐような声を出した。
俺の男根が、坂井先生の黒々した茂みの奥の女陰に吸い込まれていく。俺がオナニーで鍛えた男根で何度も突きまくると坂井先生は何度も何度も達したように身体をビクビクさせた。
毎日オナニーしてる俺も出そうになった。何も言わずに無言で射精した。いちど出すと、もう止まらない。先生の女陰に突き刺したまま何度も何度も動いた。そして射精した。
3時間…時間はもうどうでもよかった。気が済むまで、そのまま先生を抱きしめたまま何度も何度も動いた。そして射精した。
外はもう暗かった。どうせ親戚は心配してない。今までも何も言わずに遅く帰ったこともある。
「酒井くん・・・」俺が身体を離すと、先生が久しぶりに口を開いた。
「もう、いいの?」「え?」
「酒井くんの時間が大丈夫なんなら、まだいいよ」「え?」
「酒井くんの事情、知ってるから気にしなくていいの、実は親戚の人にはもう伝えてあるから」
ここに具体的に書くのは難しいですが・・・
俺は10歳くらいから、家族に性的虐待を受けていました。その反動で地元のC学校でも性的な逸脱行動(教室内で突然全裸になったり、オナニーしたり、のぞきをしたり…)を繰り返していました。それで自宅を出て学校も変わり、親戚の家に暮らすようになったのです。
2学期に転校して引きこもっていた俺を心配して毎週来てくれたのが坂井先生でした。
先生は「私も3月までだから、一緒にがんばろう!卒業式の日に卒業祝いしようね!」と会うたびに励ましてくれました。少しずつ学校に行けるようになると、先生は「お手伝いしてね」といろいろな用事を言いつけて一緒にいる時間を作ってくれました。
先生のことを好きな気持ちと、性欲のはけぐちでむちゃくちゃにしたい気持ちと、2つの気持ちがどんどん膨らんでいきました。
卒業式の日、俺は生まれて初めて、好きな女性と性的な行為をしました。
先生は「4月からのK校、ここからのほうが通いやすよ」と言いました。俺が卒業したC学とは学区が違うし駅も違うからです。「先生も一緒に住むから、それならいいでしょ」「好きなときに私とセックスしていいよ」「でも好きな人ができたら言ってね」「酒井くんが自分で決めていいよ」と。
それから、ちょうど20年になります。今も一緒に住んでいます。
俺が大学を卒業し、就職してから入籍もしました。名字が同じなので違和感は何もないです。
子どもはいません。先生は病気で子宮を摘出し、妊娠できないのです。
それで、卒業式の日の行動に…それは入籍するときに聞きました。先生もいろいろあったそうです。
自分達はよく似た境遇だったようです。
まさに運命の相手でした。もう40代ですが、今でもI原六花に…よく似ています。
毎日毎晩とはいいませんが、今でもお互いに求めあうように抱き合っています。
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