せい子さんから投稿頂いた「35才で新妻になった私と旦那のエピソード」。
せい子と申します。35才の主婦です。
私の名前を漢字で書くと“靖子”となるんですが、多分、殆んどの人は普通に“やすこ”って読んでしまうと思うので、あえて“せい子”と書かせてもらう事にしました。
私は個人的に、アダルトなサイトには女人禁制みたいな敷居の高さを感じるので、普段は見る機会が無いんです。
それに私としては、やはり女性の体より男性の体に興味が湧きますからね。
けど最近、ある調べものをしてたら、たまたまこのサイトを見つけてしまったんです。
普段ならスルーしちゃうところなんですけど。何故か興味が湧いてしまって。
「これは社会勉強なのよ。」
と、心の中で自分に言い訳しながら、恐る恐る覗いてみました。
私もエッチな事は嫌いではないので。この歳になっても、セックスもオナニーもエンジョイしてますから。
へぇー、体験談が充実してるサイトもあるのね。などと思いつつ閲覧してると、男性ばかりでなく、女性の投稿も結構あったりして。
女としては、やはり女性の体験談って気になるものです。読ませていただいてるうちに、私は興奮させられてしまい、ついオナニーを始めてしまったくらいです。
そして、私も自分の体験を打ち明けてみたくなったんです。
個人的な惚気話で恐縮ですが、私と旦那との、なれ初めから結婚して現在に至るまでの私の体験を、家族に内緒で思いきって投稿しました。
上手に書けるか保証できないし、実際に面白い話かどうか分からないけど。甘くて、熱くて、危なっかしくて、エロエロで。そんな体験です。
私には、会社員の旦那と一人娘がおります。旦那は23才で、私よりだいぶ年下です。昨年の12月に入籍したばかりの、新婚ホヤホヤなんですよ。
昔から私は、見た目が年齢より若く見られるタイプです。それは今も変わらないようで、未だに20代後半くらいに見られる事が多くて。
中身は三十路の真っ只中なんですけどね。ま、童顔のせいもあると思いますが。
若く見られるのは、嬉しい事でもある反面、良い事ばかりとも言えないけれど。
おかげで若い旦那とも、年甲斐もなく堂々と、指を絡め合う恋人繋ぎで手を繋いで歩けます。
娘は、8才で小学2年生です。私が27才のときに独身のまま産んで、女手ひとつで育てた子です。私は旦那と結婚するまで、実は未婚のシンママだったんです。
そして私は、ちょうど結婚する1ヶ月前の昨年12月に、2人目の子をお腹に授かりました。今はまだ妊娠2ヶ月で、30代半ばの体には悪阻がちょっとこたえるせいか、1人目の子を妊娠したときと比べると今は悪阻が苦しいですけど、母子共に健康です。
私のような歳のオバサンが今になって、自分のエッチな身の上話を告白するというのも、なんか微妙な感じもしてます。自分のエッチな体験を誰かに明かすなんて、そんな経験は今まで無かったので、自虐みたいで恥ずかしいし、緊張してます。
私は元教員です。昔の事ですが、都内の公立中学校で音楽を教えていました。
26才で教員を辞めて、その年の秋に娘を出産。その後は、しばらく仕事が安定せず、不運が続きました。
現在は音楽教室で、ピアノとエレクトーンの講師を勤めてます。
私と旦那の最初の出会いは、私の教員時代まで遡ります。
私が旦那と初めて出会ったのは、私が24才のときです。きっかけは、教員になって二年後に、区立中学校に転任したことでした。
その前年度まで、別の都立中学校で大卒から二年間勤務してた私にとっては、教員生活で最初で最後の転属でした。
赴任した当時の旦那は、その中学校の、まだ新入生の一年生の男子生徒でした。
私は、旦那とは別の一年生のクラスの担任として着任しましたが、旦那のクラスの音楽の授業も受け持ってました。
なので、旦那はその当時の私の教え子なんです。
実は私、その前年度まで二年勤めた中学校で、男女関係に関わる騒動を起こしてしまい、それが理由で半ば左遷される形で、旦那が通う中学校に転属したんです。
その騒動とは、妻子ある同僚の男性教員との禁断の恋愛でした。
その後に転属した区立中学校では、その騒動の事について知ってた人は誰も居なかったんですけど。
大人同士の恋愛騒動でしたから、当然ながら体の関係も伴いました。
もう時効だと思うので、この旦那と出会う前の禁断の恋愛について、まず先に少し詳しく説明する事にします。
旦那とは直接関係の無いエピソードですけど、この禁断の恋愛がもし無かったら、旦那が通う中学校に私が転任する事も無かったと思います。
私と旦那との追憶を本編とすれば、その手前の私の体験はエピソードゼロの話として、ついでにここで明かしても良いと思うので、長い文章になりますが、エピソードゼロから本編という順でお話しします。
私が大学の教育学部を卒業したと同時に教員免許を取得して、22才で都立中学校の教員になった頃まで話が遡ります。
教員になったとは言っても、大学を卒業後の初年度は、私はまだ教員採用試験まではパスしてなかったんです。配属された中学校では見習いのような扱いとして、一年生の学年主任の教員の下に付く形で、実習生として着任しました。
一年生の担任教師が5人いた中で、リーダー的な役割を担うのが学年主任です。私はいわば、正式な教員とての扱いではなく、教員教員採用試験をこれから受ける教員候補生と言える立場でした。
先輩の教員達からは、教員として、社会人としてのイロハを色々と教わりましたが、特に学年主任の先生には、常日頃お世話になってました。
この学年主任の先生を、ここではA先生とします。
初めて赴任したその中学校で、私は小学生の頃からの夢だった音楽教師として、教員生活をスタートさせました。
私は小学生時代、担任の先生に憧れてました。いつか私もああなりたいと強く思い続けてたんです。
音楽を選んだ理由は、私が歌を唄うことや、楽器を演奏することが好きだっただけでなく、それを人に伝えたり、教えたりすることに興味を感じたからです。
一年生は5クラスあったので、一年生の担任教師も5名。そこに新米の私がプラスされた6名体制でした。しかも、女性教師は私だけ。
身長が170センチ以上ありそうなジャージ姿の男性教員が5人揃う中、ちまっと1人だけ160センチにも満たない華奢な体格の女の私が、真面目な就活生みたいな黒いパンツスーツ姿で佇むさまは、紅一点と言えば聞こえは良いけれど、ちょっとシュールに見えてたかも知れないです。
A先生は、いつも私を可愛がってくれました。当時32才で、一年生の担任教師では一番年上でした。体育を教えていたベテラン教員で、妻子持ち。他の教員の間でも信頼されてました。
体育会系らしくガッチリした大柄な体格で、リーダーシップがあって、面倒見も良くて。見た目も中身も、とても頼りがいのある男性でした。
生徒には、いつも明るく、時に優しく、時に厳しくという、松⚫︎修造さんみたいな熱血漢で、バスケ部の顧問もしてて、生徒達からも人気があって。
私の新米時代は、A先生の背中を見て教員として育ったようなものです。
私の仕事の悩みも親身になって優しく聞いてくれたし、色々なアドバイスもしてくれて、頼りない私の事を特に気にかけてくれてたのか、熱心にサポートしてくれて。
そうするうちに、私とA先生の距離感は、日を追う毎に急速に縮まっていき、親密になっていきました。
当時、私は大学時代に三年間付き合ってた元彼と、都立中学校に赴任する直前で破局したばかりで、異性関係はフリーでした。
そんなタイミングだったせいもあったと思うけど、私は、自分の身近にいるナイスガイなA先生に、惹かれていってしまって。
でも、A先生は妻子持ち。なので、私の方からA先生に対して、何かしらの恋のアプローチをした覚えは無いんです。
無意識に『恋しいオーラ』みたいなのは、出ちゃってたかも知れないけれど。
むしろA先生の方から、私に好意を持ってるような、思わせぶりな雰囲気を示すようになって。
最初のうちは、さりげなく軽いボディータッチをされたりとか、LINEで私的な世間話を毎日交わしてた程度でしたが。
段々と、例えば学校内で私に個人的にアドバイスしてくれるとき、私の左側に座ってきて、私の脇腹から腰にかけてのカーブに手を置いて、軽く抱き寄せてきたり。
やがて、A先生が右手を伸ばして私の右肩を抱き寄せるようにしながら、長いストレートだった私の髪を指先でさりげなく触ってくるようになって。
そして、週に一度の職員会議が終わったあるとき、最後にA先生と私の二人きりになったんです。そして、上記のようにしてA先生が私の隣に座ってきて。
「この美貌ならアイドルになっても成功してたろうに。教師になってくれて、ありがとうな。俺だけの推しになってくれ。」
そんな風に言われて、そっと唇に、キスされたんです。
私は、思わずA先生の体に腕を廻してしまって。A先生も私を両腕で抱き寄せてきて。
初めはフレンチキスみたいな軽いキスだったのに、抱き合ったあとは、舌を絡め合う濃厚なディープキスに変わっていました。
一学期の中間テストが始まる直前の時期でした。教え子達が、人生初の中間テストに備えて必死に勉強してたであろうこの時期に。
不謹慎にも、その生徒達の担任だったA先生と私は、陰で禁断の恋愛関係を構築してしまったんです。
禁断の恋愛の始まりでした。
校舎内では、当たり前ですが、恋愛してる素振りは一切見せないようにしてたけど。
ひとたび仕事を終えて校舎を離れれば、私はA先生から
「せい子」
と完全に下の名前で呼び捨てにされるようになって。
休日は月に数回、密かにデートをしました。
A先生の車の助手席に乗ってドライブしたり、食事したり、映画を観たり。ディズニーランドで遊んだり。
そして、私が教員になって3ヶ月が過ぎたその年の7月上旬。日曜日にデートしたときでした。
その日は、7月生まれの私が23才になった誕生日でしたが、A先生と初めて、体で禁断の垣根を超えました。
人目を忍ぶように、デート中にA先生の運転でホテルへと向かい、カーテン付きの駐車場に車で入って。そのホテルで、数時間の休憩の最中、A先生とバースデーセックスをしました。
私は、相手との信頼関係を、ある程度時間をかけて熟成させてから初エッチしたい派です。
その辺は慎重派と言いますか。私が臆病なのかも知れないけど、自分の体を許す以上は、相手に対する信頼感を重視するところがあります。レイプとか、されたくないですから。やっぱり嫌ですもの。
実際、後に教員を辞めてから、同意のないセックスを何度か経験しました。私からすれば、それはレイプだったと言える辛い経験でした。
今もそれは思い出したくないんですが、現実に起きてしまった体験の記憶を消し去ることは出来ないので、嫌でも思い出してしまうんです。
レイプされる夢を今でも見ることがありますし、未だにフラッシュバックのように急に思い出して、発作的に過呼吸になってしまうことがたまにあります。
A先生とは勿論、お互いに合意してセックスに及びました。大人として恋愛している以上は、セックスで体を繋げて、お互いの性器を擦り合わせて愛を確かめ合うのは当たり前だし、自然な事ですので。
A先生が妻子持ちなのも、私は承知の上でした。
A先生を奥様から奪ってやろうとまでは、私は考えてなかったけれど。A先生と2人でいるときだけは、A先生を奥様からお借りする感覚でした。
私と一緒に居るときだけは、A先生は私のもの。私だって、身も心も全てA先生のもの。体で愛し合っても、それは自然な事。
と、そんな風に考えてましたね。今考えると、まだ若いと言うか稚拙で、身勝手な考え方でした。無断でA先生をお借りしてた訳ですし。
なので、当時はA先生の不倫相手という自覚を持ち、いけない事をしている自覚もありましたが、不思議と罪悪感はありませんでした。恋は盲目ってよく言いますけど、本当にそうなんですよね。特に私は。
まだ若かった私の未熟さとか、人間的に至らない部分が出てしまったと言えばそれまでで、悪いのは私です。原因はそれしかないと思うので、今は反省してますけど。
当時の私としては、破局した自分の元彼と大学四年生の冬に最後にして以来の、久々のセックスでした。
そのバースデーセックスで、私は初めて、本物の絶頂を体験しました。A先生からの、最高の誕生日プレゼントに思えました。
セックスという形で誕生を祝福してもらえるのも、女として素直に嬉しいと感じるものです。
元彼とも、気持ち良いと思ってセックスしてましたけど、その時の私は、まだ元彼としかセックスした事が無かったので。
元彼とのセックスでの快感は、オナニーとあまり変わらない程度でしたね。元彼は私の事を真剣に愛しながらセックスしてくれてたと思うけど。
私が下になって正常位。私が上に乗って騎乗位。私が四つん這いになってバック。二年間、このたった3つの体位を繰り返すだけでした。
今になって思えば、まるで中学生か高校生同士のセックスみたいに思えます。手探りでセックスしてるような。処女と童貞という間柄で始まった肉体関係だったし、初々しい感じでしたね。
私は膣がかなり下にあるので、元彼は正常位がやり辛かったのか、元彼のぺニスが途中で抜けちゃう事がよくあったし。
それに、私は騎乗位が下手だったみたいで。元彼と付き合ってた頃の私は、自分の体を直線的な上下運動で縦に揺さぶるだけでした。それもA先生に言われるまで気が付かなかったんですけど。
まあ、元彼も私も、セックスが未熟だったのはお互い様で、セックスをよく理解できてなかったと思います。愛を確かめ合えてたという意味では、セックスの目的のひとつを果たせてはいたと思うけど、内容は単調だったし。元彼はどうだったか分からないけど、私は十分な快楽を受けられてなかったと、今では感じてます。
まあ、それも経験を積んだ今だから言える事で、当時は元彼とのセックスしか経験してなかったから、その未熟なセックスが当時の私の中でのセックスの全てだったから。
A先生とのセックスを知るまでは、私はセックスはそういうものなんだと、シンプルに納得してたんです。
A先生とのセックスで知った絶頂は、オナニーの比ではありませんでした。意識が飛んじゃうかと思ったし、自分の眼球が勝手に裏返っちゃってたのは今も覚えてます。
私がセックスで抱かれながら身を捩って
「イクッ、イクッ!」
なんて言って悶えてしまったのは、この時が人生で初めてだったんじゃないかしら。
そのときの私は、きっと白目を剥いた酷い顔だったんじゃないかな?と思います。
体が勝手にそういう反応をしてしまうので、自分ではどうしようもありません。今もその癖は治ってないみたい。
A先生からは
「騎乗位のときは、せい子が自分の腰を前後に振りながら、縦にも体を動かして、腰で円を描くように、せい子自身でピストン運動するんだよ。」
と教わりました。
立ちバックも初めて教わりました。最初は、立ったままで後ろ向きでセックスできるのか、少し疑問だったんだけど。今や私が大好きな体位です。私の膣の位置は肛門にかなり近いので、立ちバックを含めて後背位での結合感は、相性が良く感じます。
そうしてA先生とセックスを続けるうちに、私の体も開発が進んでいったという言い方が適切なのかな?
それからは、セックスすればA先生に必ずイカされちゃって。イキ顔を写メやら動画やらで撮られて、あとでLINEで送られて来たりしてさ。
大きく見開いた私の瞳が、悶えてるうちに寄り目になっていって、クルッと上目になって白目を剥くんです。
乱れ過ぎて、本当に酷いイキ顔なんですよ。他人には絶対に見せられません。
A先生には
「せい子の可愛い綺麗な顔が、イクとどんどん壊れていくのを見るのが俺は好きなんだよ。」
とか、よく言われたのを覚えてるけど。
全然褒め言葉になってないし!
私は
「恥ずかしいから、そんなふうに言わないで。画像消してくださいよ、もぉっ!」
って、よく言い返してました。
本当に消してくれたのかは、今も分かりません。マジで消して欲しいです。
ちなみにですが、私の初体験は大学三年生のときで、私は21才でした。その相手は、私が大学時代に付き合ってたと上記で説明したその元彼でした。
教員になる直前で、元彼の浮気が原因で別れたんです。そんな私が、今度はA先生の浮気相手になってしまったんだから、因果なものですね。
私は恋愛は比較的早く経験してたと思います。中学一年生で初めて彼氏ができました。それから大学時代までの間に、付き合った相手は四人。
でも、その中で私がセックスしたのは、四人目の彼氏だけです。しかも、付き合って一年以上も経って、私が成人になってからでした。
恋愛は早くても、私はセックスについては遅咲きだったんですよね。
処女を卒業するのが遅い子って、性の隠語とかにも疎いのかな?話が逸脱するけど、これは私はまだ処女だった20才の頃、友達だった大学の女の子たち五人で電車に乗ってたときに、少しエッチな会話になったんです。
私はエッチな話に付いて行きにくくて、最初は聞き流してたんですが、ふと会話の中で“青姦”という言葉が出たの。
私は青姦の意味を知らなかったんです。青姦っていう言葉の響きが、果物か何かみたいに感じたんですよね。
で、気になった私は電車の中で大声で
「ねえ、アオカンって何?アオカンって何?教えてよ、ねえ。」
って友達に聞いてしまって。
友達から
「せい子、やめてよ、ハズイから黙ってて。」
と注意され、黙らされたんです。
私は、その場でスマホでアオカンを検索して、意味を知ってしまったときは赤面でした。それくらい性の知識が疎かったんです。
A先生は、そんな私にとっての二人目のセックスの経験相手でした。23才にして、社会人になって、やっと二人目です。多分、平均より遅くて、少ないですよね。
一方のA先生は、経験人数は知りませんが、奥様と子供を作った実績があったくらいですし、年齢的にも元彼よりずっと上でしたから、セックスの経験値も、私の初体験相手だった元彼より、ずっと高かったんでしょう。
元彼が一度も導いてくれなかった絶頂という境地に、A先生は最初のセックスで私を誘ってくれて。
A先生との禁断の関係は、私が教員になって二年目まで続きました。その間に、私は教員になった初年度で教員採用試験に合格して、翌年度はそのまま勤めていた中学校の教員として、正式に採用されました。
セックスの際は、避妊には勿論、私なりに気を付けてたんですけどね。
A先生は、避妊をしない生の交わりでのセックスの方が好きだったみたいで、たまに生エッチを強く求められる事がありました。
私も避妊に気を遣ってたとは言え、生エッチにも興味はありました。
なので私も、今日は大丈夫かな?と思ったときだけは、つい避妊も疎かになってしまって。生エッチは月に1回、する事があったかどうかでしたけど。
それまでは避妊しないセックスなんて、元彼とは経験した事が無くて、A先生が初めての相手でした。
元彼から生エッチを求められた事も無かったし、まだ学生時代だったから、妊娠でもしたら大変です。求められても私は断ってたと思います。
私は、射精は単に子供を作るためだけの行為ではなく、男性が、気に入った女性に対して愛の烙印を押す意思表示だと思ってます。
A先生に膣の中での射精を求められたということは、私に愛の烙印を刻み込む事を求められたという事。言うなれば、私の体にマーキングしたいと言われたも同然です。
“お前は俺の女だ”と、A先生に認知された訳ですから。学生から社会人になって、心境の変化もあったのかな?生エッチを求められて、私は嬉しかったんです。
当然、その期待に応えなきゃって考えました。
生でA先生とセックスに及んだときだけは、A先生の生の性器を受け入れたまま、膣の中でA先生の生の射精を受けていました。
せっかく生エッチしてるなら、射精を外出しされるよりは、中出しして欲しいというのが私の本音でしたから。その方がセックスとして自然だと感じますし、何より気持ちが燃えます。
A先生も、ここぞと言わんばかりの勢いで、私の膣の中で、盛んに射精を繰り返して、精液を植え付けてくれました。
お互いに子作りをするつもりは一切なかったけど。
それでも、そういう方向に踏み込んで行ってしまったのは、お互いの愛が本物だったからだと思うし。
行為としても、自然な事だと思います。セックスは本来、避妊しない交わりが一番健全な本来の形なんですから。
愚かな行為ではあったと思うし、愚かだと分かってました。でも、それでもやってしまったのは、私とA先生が純愛を交わし合う関係だったから。敢えて避妊しない愛のやり取りも、ときには必要だったんですよね。
そして、大卒で中学校に赴任して二年目。教員採用試験に合格して、晴れて正式に教職員としてその中学校にて採用された年の、夏のことです。
教職員として不謹慎ではありましたが、不倫一周年を記念して、一学期が終わった直後に、A先生と二泊三日で不倫旅行をしました。
A先生が、私と二人きりの二泊三日の不倫旅行に、一体どうやって奥様を騙して興じたのかは、私もあえてA先生に聞かなかったので知りません。
真夏の伊豆、景色の良い海岸沿いにある温泉宿に、私とA先生は夫婦を装って宿泊したのですが、温泉宿の女将さんも察しが良くて、夜に敷いてくれた布団は一枚のみ。今夜はお二人で頑張って励んで下さいね~、という無言の応援ですね。
女将さんに
「夜は暑くなったら、お部屋の襖はしっかり閉じてくださいね。空調の冷気がお外に漏れちゃいますから。」
と言われたのを覚えてます。
それはつまり
「今夜はお二人で熱く営むでしょうから、声が外に漏れないようお気をつけくださいね。」
という意味を、オブラートに包んだ表現で忠告されたという事です。
更に女将さんに小声で
「余計なお世話かも知れませんけど、ご家族の計画とか、なさってらっしゃいます?」と聞かれました。
「あいにく当館にはファミリープランの用意が無いので、近くのドラッグストアでお買いになると良いと思いますが、夜の8時で閉店するお店なので。
もし宜しければ、私どもの方で代理購入もできますけど、そちらの方はご利用なさいますか?」
と言われて、A先生がすかさず
「いえ、必要ないです。実はその…妻とは、子作りのために伊豆に来たので。」
と答えて。
A先生に“妻”なんて呼ばれて、しかも本当は子作りしに来たわけでもないのに、そんな事まで言われちゃって、私は思わず胸がキュンキュンしちゃってたのを覚えています。
女将さんは
「あらぁ~。余計なお世話で、失礼いたしました。
じゃあ、旦那様と奥様で…お子様をお作りになるために、わざわざ東京からここまで?当館の桜の間は、お客様ご夫婦のようなカップルのためにあるお部屋ですのよ。良い環境で営まれるのが一番ですからね。
営まれるときは、寝室でこちらのお香を焚くと、気分が高まるのでお薦めですわよ。
来年の今頃は、ご家族が増えてるかも知れないですねぇ、羨ましい。奥様がしっかりご懐妊されますよう、私も陰ながら応援させて頂きますわ。」
なんて言われちゃいました。
何しろ、私達が泊まった“桜の間”という部屋は、その旅館ではスイートルームでしたから。敷布団のシーツなんか、薄いピンク色だったし。
勿論、お香もしっかりと活用させていただきました。
その不倫旅行では、宿泊先で二晩とも、避妊は一切考えずに、A先生の嫁になったつもりで、本物の夫婦さながらに生でセックスしました。
旅行中のA先生は、いつもより気持ちが高ぶってたみたいです。
と言うのも、夜だけでなく、昼間もセックスしました。なんと、白昼堂々と、青姦しちゃったんです。
今のところ私の人生において、唯一の青姦体験です。20才の頃は青姦の意味も知らなかったのにね。まさか3年後に、自分が実際に青姦を経験するとは思いもよらなかったです。
宿泊してた温泉宿の近くに広いビーチがあって、そこで海水浴してたときでした。海岸の脇に、松の木が覆い繁る雑木林があったんです。
防風林だったのか、公園だったのかよく分かりませんが、遊歩道の両脇はただの雑木林という感じ。人が1人通れるくらいの遊歩道が奥まで伸びてて、結構広そうでした。
「俺、もう我慢できない。せい子、ビニールシート持ってって、あそこで一発ヤるぞ。」
とA先生に誘われて。
白昼に、マジであそこでセックスするんですか?って私は思いつつ。
雑木林の遊歩道を途中で外れて、人目を避けるため奥まで進んでいって、背の低い木々でブラインドになる目立たなそうな場所を発見して。
木陰にビニールシートを敷いて、私はその上でA先生に押し倒されて、私のお気に入りだったパレオのビキニなんて、あっという間に脱がされて。
私も、先生の海パンを脱がしてあげて。そんな場所で全裸になってたからなのか、二人ともベッドの上より野性的に気持ちが盛り上がってしまいました。
時おり潮風が吹くと、周りの松の木がサラサラと音を立てて、私もその風を素肌で感じながらのセックスは、新鮮に感じたし、いかにも外でセックスしてるという実感があって、とても興奮しちゃいました。
一発ヤるとか言っておきながらも、始まっちゃったらもう、一発で済むようなカップルではありませんでしたから。
結果そこで小一時間かけて4ラウンドほど、A先生からの膣への中出しを伴う激しいセックスをしました。
A先生も興奮しきって、獣みたいに豹変しちゃって、私の体を放してくれなかったんです。
勿論、私は外でセックスするなんて過去に経験も無かったし、A先生も初めてだったとのこと。私は想定外だったし、誰かに見られてしまわないかと、内心ハラハラしてたけど。
絶頂の連続で、声を必死に殺しながら悶えてました。
それでも、思わず多少の声は出てしまうものです。A先生は小声で
「ヤバッ、いつもよりめっちゃ締まるじゃねえか!そんなに締めたら、また出るっ、出ちまう!」
とか
「なんていい女なんだ、せい子、愛してるからな。もう1回、中に出すぞ、本気で出すぞ、せい子っ!
なあ、せい子。いくら安全日だからって、こんな事してたら、俺達の赤ん坊、本当に出来ちゃうかもな。
出来ちゃったら、どうしようかな?いっそのこと、せい子の腹に俺の赤ん坊が出来ちゃっても、構わないよな?俺の赤ん坊なら、良いよな?良いよな!もう我慢できねぇ、本気でせい子を身籠らせてやる。」
なんて言っちゃってさ。
私も
「Aさん、いつもより固いよ、凄く中を擦ってくる!ちょっと待って、凄い、凄い!気持ち良いっ!
もっといっぱい、私の中に出せるだけ、Aさんの精子を出して。もう、お腹に赤ちゃん出来ちゃっても良いから!私はどうなっても良いから、中でイって!アンッ!アンッ!」
とか
「あ、待って!そこ、もっとそこ擦って、そこっ、そこっ!そこっ!そこっ!イクッ、イクッ!
本当に、本当に私達の赤ちゃんが出来ちゃう!もう出来ちゃって良い!赤ちゃん出来ちゃって良いから!
私が身籠るまで、もっと中に精子をちょうだい!もっと、もっと子宮の中に精子が欲しいの。いっぱい中に出して、私を身籠らせて!あ、あ、あぁっ!あぁぁぁっ!またイッちゃう、イクッ!イクッ!」
とか。小声でも結構、声は出ちゃいましたけど。
私は胸が小さいので、パイズリとか上手くいかないんです。ブラのサイズはBカップです。私は体が華奢なのでアンダーも細身だから、Bカップにしてはそこそこ乳房の膨らみはある方だとは思うけど、寄せブラを着けても谷間はくっつかないので、どんな程度かは察してください。
私がどう頑張ってみたところで、ぺニスを完全に包み込んであげられる程のボリュームはありません。
それでも、A先生のリクエストに応じてよくパイズリしてたんです。射精して萎えたぺニスをパイズリで勃起させてあげて、固くなったらガッツリ挿入してもらって。
勿論、その日の夜も温泉宿の寝室で、妙に気持ちがムラムラする甘い香りのお香を焚いて、避妊せずに激しく抱き合って。
何しろ、私の安全日を狙ってスケジュールを組んだという、A先生と私が心置きなく生エッチするための不倫旅行でしたから。最初から避妊なんて考えてなかったんですよね。
でも、完璧な安全日なんて、実は存在しないものです。私もそれは分かってたけど、それでも好意を寄せる男性となら、生でセックスしてみたくなるのが、恋する大人の女の性(さが)というものです。
もし妊娠したら、その時に考えれば良いや。と考えてましたから。
二泊三日でA先生の愛の精子を、たっぷりと植え付けられた私の膣内は、ジャブジャブに精液漬けにされた状態だった筈です。
その不倫旅行が祟って、私は本当にA先生の赤ちゃんを身籠りました。私の人生で初めての妊娠でした。
A先生には、妊娠したので早めに中絶するとLINEで伝えました。それまで一年間、安全日で生エッチしても妊娠しなかったので、今回も妊娠は多分しないだろうと思ってたんだけど。
作ってはいけない赤ちゃんをお腹に宿してしまったけど、焦りとかは感じませんでした。
私にとって初めての妊娠だったし、大好きなA先生との愛の結晶だったから、むしろ嬉しかったんです。
身籠ったと言っても、妊娠週数で0週目を過ぎて1週目に入ったばかりの初期の段階だったので、中学校が夏休みのうちに、こっそりと休日を利用して早期中絶したんです。
処置のタイミングが早かったから、中絶は手術と言うより、吸引と言うか、洗い出すというか、そんな感じの簡単なものでした。
中絶費用は、殆んどをA先生が出してくれました。施術費用をA先生が負担してくれたので、私はその前後の診察費用だけの負担でした。
私は、そのときの産婦人科の診察券を、後々のケアが必要になるかも知れないので念のためにと、中絶後もしばらくの間は定期入れにしまってたんです。
そのケアの必要が無くなった時点で、早々と診察券を処分すべきだったんですけどね。
診察券の存在を忘れてて、そのまま冬になって。
年が明けて、1月の事でした。
私は出勤した朝、校舎の職員用の玄関口で、ハンドバッグに入れてた定期入れを落としてしまったんです。靴入れの鍵をハンドバッグから出したときに、気付かず落としちゃったみたいで。
それを学校の事務室の職員の方が拾ってくれたんです。
それだけなら良かったんですけど、定期入れの中身を、拾ってくれた方に見られてしまったんです。
その職員にしてみれば、持ち主を特定しなきゃいけないので、必要に応じて定期入れの中身を調べただけだったんだと思うんですが。
当然、産婦人科の診察券も見られてしまって。それが事務室の職員の間で、広まっちゃったんです。
その日、校長先生に、昼の休み時間に校長室まで来るように言われて。
校長先生と私だけの間で、私の記憶の限りですが、だいたい以下のような展開になりました。
校長先生「セクハラみたいで聞きにくいし。君のプライバシーとか、デリケートな話とか、あまり尋ねたくはないんだけど。
かと言って、何も聞かない訳にもいかないから。
未婚なのに、何で産婦人科のお世話になっちゃったの?何かあったの?」
私「その…私…その…まことにお恥ずかしい話なんですけど。去年の夏に…妊娠してしまって、どうしても産む訳にいかなくって、仕方なく…中絶…しました。」
校長先生「望まない妊娠だったと?そういう事?まさか、ここだけの話、君が性的暴行を受けたとか、そういう訳じゃないよね?」
私「…そういう訳じゃ、ありません。」
校長先生「だったら普通、妊娠はおめでたい話じゃない?そのお相手と結婚するとかで、丸く収まりそうな話でしょ?
君も年頃なんだから、妊娠したら、その相手と結婚するとか、そういう考えとかしない?
まあ、君の人生だから、私が言うのは余計なお世話かも知れないけど。何でそうしなかったの?」
私「私のような未婚の教員が、妊婦の姿になって、生徒の前で教壇に立つなんて出来ませんし。それに、産んではいけない赤ちゃんだったので…。」
校長先生「産んではいけないって、そういう事情の相手と付き合ってんの?君も教職者なんだから、その辺は気を付けてくれないと。
婚約してからならまだしも、未婚で妊娠とかされちゃうとさ、我々も思春期の生徒達に対して、示しが付かないでしょ?」
私「スミマセン…。」
校長先生「職員室にまでは、この話は届いてないようだけど、事務室では変な噂になっちゃってて。私が話を止めたから、大丈夫だと思うけど。」
私「スミマセン…。」
校長先生「あと、噂ついでに、事務室で変な話を聞いたけど。その事で、ちょっと聞くけどいい?」
私「えっ!?はっ、はい?何でしょうか?」
校長先生「ここだけの話、プライバシーに関わるから、答えにくいなら無理に答えなくて良いんだけどね。
君、A先生と仲が良いの?師弟関係なのは分かるけど、私生活でも親密らしいね?何かさ、さっき、ある事務員がね、そんな噂してたからさぁ。
君とA先生がね、まるで恋人同士みたいに仲良く手を繋いで、ラブホテルから出てくるのを見たとか何とかって、そんな話だったから。
まあ、他人の空似って事もあるしさ、確証の無い噂だと思うんだけど、そんな事を言ってたからさぁ。」
私(ギクッ)
校長先生「もし本当にアレなら、A先生は妻帯者だからマズイよなぁーーー。私なら、今のうちなら波風立てないように、何とか済ませられるからさ。ねえ、実際のところ、どうなの?
まさか、まさかね、例えばだけど…A先生が君と不倫の仲で、それで君のお腹に赤ん坊が出来ちゃったから堕したとか。そんな話じゃないだろうね?」
と、勘の良い校長先生に、だいたい上記のような感じで問い詰められて。私はA先生との禁断の恋愛を打ち明けてしまったんです。
誤魔化せませんよ。だって、本当の事をズバズバ言われちゃったんですから。
校長先生は、仰ってた言葉の通り、波風立てないように済ませてくれました。表向きは何事も無かったかのように。
どうやって揉み消したのか、私は知るよしもありませんが。
まだ若かった私や、妻子あるA先生の将来や立場を考慮して、情けをかけてくれたのか?それとも、定年退職が近付いてきた校長先生が、自身の経歴に汚点を残さないための保身だったのか?
その両方とも、揉み消した理由として正解なのかも知れません。
とにかく、学校内でそれ以上の噂にならず済んだので、表向きは大事には至らなかったんです。
と、ここまでがエピソードゼロのお話です。
ここからは、私の旦那に直接まつわる、メインのお話です。
本当は、このメインのエピソードの告白だけでも良かったかも知れないですけれど。
このメインのエピソードは、エピソードゼロの過去が無ければ、そもそも始まる事すら無かった話です。
A先生との関係を終わらせた上で、私は一応のケジメという事で、校長先生に転任願いの書類を書かされて、翌年度に別の中学校に転任する事になりました。
建前では私が希望して転任した事になってたけど。転任させられたというのが正しいです。自業自得なんですけど。
A先生も後日、校長先生から相当厳しく注意されたみたいです。A先生は転属にならなかったけど。
私は、やんわりと注意されて済んだ代わりに事実上の左遷ですから。お咎めとしては、どっちが重かったんですかね?
私もA先生も両成敗された形ですが、正式な懲戒処分にならなかっただけマシでした。本来なら懲戒ものの騒動だと思います。
そして、私が教員の道を歩んで三年目を迎えた24才の4月、私の今の旦那が通う区立中学校に着任する事になって。
それまで勤めてた中学校での二年間は、私が住んでた家の最寄駅から、電車で片道10分程度で中学校の最寄駅に着いて、そこから私の足で歩いて5分程度だったので、電車通勤で問題なかったんですけど。
新たに赴任した中学校は、陸の孤島と言うと大袈裟だけど、最寄駅から徒歩だと30分くらいかかりました。
なので、転任を機に中古の軽自動車を買って、車で通勤してました。
新車みたいに綺麗な白のジムニーだったんですよ。しかもMT車。パジェロミニとどっちにしようか散々迷って決めた、当時の私の自慢の愛車だったんです。
なのに同僚の教職員たちからは、不評と言うか、乗ってる人間と車が合っていないと言われました。
「似合わねーw」
だとか
「どんなオッサンが降りてくるかと思ったら…。」
とか言われる始末でした。
え、何で?未だに納得できないんですけど。ま、それはさておき。
私は、もう不倫なんてしないと誓って、その決意表明の意味で、転任と同時に、ストレートヘアーをバッサリと切って、ショートボブにしたんです。いわゆるおかっぱ頭です。
長かった後ろ髪を急に切り落として、襟足から下が完全に無くなったので風通しが良すぎて、髪も軽すぎて、最初は落ち着きませんでしたね。
よく、破局した女の子が髪を切るとか聞くけど、確かにそういう心境も少しはありました。でも、それが一番の理由ではなくって。
自分が似合わないと思う髪型にすれば、男性もヘタに近寄って来ないだろうという私なりの考えと、自分を戒める自虐的な気持ちから、髪型を変えたんです。
それまでは、少しでも大人っぽい雰囲気を出したくて、周りからもそう見られたくて、髪を長く伸ばしてたんです。
色んなお洒落な束ね方とか、してたんです。
髪を解けば背中の真ん中よりも下まで長く伸びていた、私にとって命のようなロングヘアーでしたからね。
ショートボブにした私の髪型は、真後ろから見ると頭が丸くて
「黒いボーリング玉みたいだ」
「チョコボールみたいだ」
と言われて、新たに赴任した中学校で私はすぐに、いじられキャラになってしまいました。
それに私は童顔で、それが昔からのコンプレックスなんです。多少若く見られるくらいなら良いんだけど、私の場合、若く見え過ぎちゃうんです。
20才を過ぎてから、それは特に強く感じるようになりました。お酒を買うとき、レジで身分証の提示を求められた事は何度もあったし。
他には、教員になりたてだった頃。休日前夜の深夜1時過ぎに、家のすぐ近くのコンビニに行ったときの事でした。
私は入浴を済ませてたので、メイク無しのすっぴんでした。ホットパンツみたいに短いトレパンを穿いて、丈の長いダボダボのパーカーを羽織ってたんですけど。
私の部屋着がロンTにトレパンだったので、私としては、その上からただパーカーを着ただけのつもりでした。
そのトレパンが、体操着みたいなヤツで、絶対領域が丸見えになるくらい短かったんです。ダボダボのパーカーを着たら、裾から生足だけ出てしまう格好でした。
で、その格好で厚底サンダルを履いて、家を出てすぐのところにあったコンビニで買い物をしたんです。
コンビニを出たら、コンビニの駐車場にパトカーが停まってて。
パトカーからお巡りさんが2人出てきて、声をかけられました。
「お嬢さん、○○警察署です。ちょっとお話し、いいですか?」
と私に声をかけてきて
「色っぽい格好してるけど、その服の下って…ちゃんと着てますよね?」
って。
私が下半身スッポンポンで外を出歩いてると疑われたらしくて。まぁ、そう見えなくもない服装だったのが悪いんだけど。
私は
「穿いてまーす。」
って言いながら、パーカーのジッパーを下まで開けて見せました。
オフの時間だったとは言え、学校で教壇に立つ教職員とは思えないようなラフな格好だったのは確かですが。私だって痴女じゃないんだから、ねえ。まあ、ここまでは良かったんだけど。
なんと、私は22才の成人の社会人だったというのに、お巡りさんには女子高生か中学生の女の子に見えてたらしくて、色々とお巡りさんに職務質問されてしまいました。
ま、すっぴんだったし。長かった髪も束ねたりせず、貞子みたいに垂らしっぱなしの手抜きヘアーだったから、余計に不審者っぽく見えたのかも知れません。
その時、私が持ってたコンビニ袋の中身は、缶チューハイと、缶ビールと、おつまみとか、肉まんとか、ヨーグルトとか。それを見たお巡りさんが、すかさず口にしたひと事が
「えっ?お嬢さん、未成年じゃないの?本当に成人?」
でした。
私はそのひと言に思わずカチンときて
「いや、成人だからお酒買ってんのよ。アタシも一応公務員なんっすけどぉ。もぉ、お巡りさんったらぁ~。」
とか、ムカつきながらも作り笑いして言いながら、その場で私は缶チューハイを開けて、グビグビと飲んでましたけどね。
「仕事、何やってるの?」
と聞かれて
「中学のセンセー。」
って答えて。
「身分証とか持ってます?」
って言われたので、財布の中から運転免許証を出してお巡りさんに見せたら
「これ………本当にお嬢さんの免許証?顔……これ一緒か?髪型が違うせいかな?まさか他の人の免許証じゃないよね?」
と言われて、無線で私の免許証の番号を照会するみたいな事を始めちゃって。
「可愛くて若いお嬢さんが、そんな色っぽい格好で悩殺しながら、こんな深夜に一人で出歩いたら危ないよ。」
と注意されて、私は
「ういーっす。家すぐそこだから、気を付けて帰りまーっす。」
って答えてましたね。
別に男性を悩殺しようとして生足晒してたんじゃないし。悩殺できるほどの脚線美の持ち主でもないし。
他にも、選挙の投票所では、入り口で係の人に顔を二度見されて
「ご本人で間違いないですよね?」
と、念を押されて二度聞かれ、更に出口でも別の係の人に顔を二度見されて。
もうホント、そういうのが嫌だったんです。
なので、そんな童顔の私が髪型をショートにすると、もう子供にしか見えなくなるでしょ?男性も、ガキみたいな女なんか相手にしたくなくなるでしょ?
だから本当は嫌だったんだけど、嫌だからこそ、やる価値があると思ったから。
私なりのケジメなので。
あえてショートにして、自分が大人っぽく見えないようにしてしまえば、大人の女性としての私の魅力なんて失せるだろう。少なくとも悪い虫は寄って来なくなるだろう。と、私は考えてたんですけどね。
でも髪型って、自分で狙った印象と、周囲が感じる印象が必ずしも一致しないんだなって、ショートにして初めて知りました。
教職員の間で私がいじられキャラになったのも予想外でしたが、それ以上の予想外の事が起きました。
私は、新たに着任したその中学校で、生徒達の間で何故か
「カワイイッ!」
って評判になってしまったんです。
着任早々に、何人ものスマホを持ってる生徒から
「せい子先生、写メ撮らせて下さい」
とか言われて、私は
(えっ、何?何、何、何なのよ~)
って感じで困惑してしまいました。転任する前の中学校では、そんな事は二年間で一度も無かったのに。
男子生徒の間で、私のファンクラブまで出来てしまって。もう何がなんだかって感じでした。
そんな中学校での初年度は、私は一年生のクラスを担任として受け持ちつつ、一年生の全クラスと二年生の一部のクラスで、音楽の授業を教えてました。
その一年生の中に、私の旦那もいた訳です。当時の旦那をここではB君とします。
一年生の授業で、私が最初に教えたのは校歌です。私も覚えたての校歌だったから、教えながら自分でも復習してるみたいな感覚でした。
時期的にも、まだ生徒同士で馴染み合えてないのが、私も肌で分かります。まだ皆、自分の個性を出す事を、躊躇してしまってるんですよね。音楽室で一人ずつ前に立たせて校歌を歌わせたんですが、この時期はどの生徒も恥ずかしがって、歌声が小さい生徒が多いです。
B君はそんな中でも、わりと大きな声で堂々と歌えていた男の子でした。音程も外さないでシッカリ歌えてて
(お、なかなかやるじゃん、この子。)
って感心させられたのを、今も覚えてます。
当時のB君の顔立ちは、整ってる顔で、モテそうかも知れないなぁって雰囲気だったけど、イケメンと言うよりは、可愛い顔でした。男子だから髪は短髪なんだけど、男子生徒の中ではちょい長めで、ボーイッシュな女の子に近い感じでした。
そういう男の子も、私は嫌いじゃありませんでした。私がショタコンという訳ではないんですが、タイプではあります。
だからって、その時点ですぐ私がB君に惚れたとか、異性として意識してたとか、そういう話ではありません。
まだ背丈も、私と比べて少し低かったし。一年生の中では、平均的な中くらいの体格でした。つい数週間前まで小学生だったんですからね。
私から見れば、本当にまだ子供でした。
そんなB君も今や、私が背伸びをしないとキスできないほど背が伸びて、立派な大人になりましたけど。
私はB君のクラスの担任ではなかったから、毎日顔を合わせる間柄ではありませんでした。でも、週に2回の音楽の授業でだけでも、生徒一人ひとりの性格や特徴は分かります。
B君は、周りを笑わせたりするのが好きで、でも普段は少し控えめな性格の生徒でした。手を焼かすヤンチャな事もしない真面目なタイプでしたね。
私はこの中学校に赴任してすぐ、合唱部の顧問をする事になって。放課後に部活動を終えて私が退勤するのは、だいたいいつも夕方の遅い時間でした。
どの部活も夕方の6時か6時半でお開きになってました。6時で終わる部活の顧問の先生達は、6時半で部活を終える部員の生徒と、帰宅時間が被るんです。
私がその中学校での教員生活にも慣れてきた5月頃。その帰宅する生徒の群れの中に、B君を見かけました。その時初めて、B君が部活をしてる事を知ったんです。
私はその時
(あ、あの子も部活やってたんだ。何部なのかな?)
と、ただ何となく感じてた程度でした。自分の教え子であるとしても、よそのクラスの生徒でしたから、その時は深入りするほどの感心は湧かなかったんです。
やがて、運動系の部活は夏の大会が近くなると、練習も厳しくなったりしてた様子で。
私が顧問だった合唱部はと言うと、学校同士で競う合唱コンクールは秋に始まるので、まだこの時期はいつもと変わらずでした。
合唱部では、部員の生徒達に“今月の課題曲”というのを毎月決めさせて、部員達をアルト、ソプラノ、テナー、バスといった各パートに割り振って。1ヶ月かけて、私がアレンジし直した楽譜を元に、課題曲の合唱を極めていく。それを毎月してたんです。
そして、7月の期末テストが終わった頃でした。
放課後の午後6時半過ぎ。いつも通り合唱部も終わり、合唱部の部員の生徒も全員帰宅の途についたので、私も帰宅する事にして。
音楽室の鍵を職員室に返してから、職員用玄関に向かって廊下を歩いてたんです。
「あっ、せい子先生が居る!せい子先生、助けてください!」
と、少し遠目の所から、男子生徒に呼び止められたんです。
私を呼んだのは、私が担任するクラスの男子生徒(C君)で、サッカー部の子でした。体操服姿で、私に駆け寄ってきて。
C君から
「B君が部室棟の階段から落ちて、足を痛めて動けなくなった。」
と言われたんです。
部室棟に行くには、一旦校舎から外に出なければなりません。教員だった私と、生徒のC君は玄関が違うので、私は一旦C君と別れて、職員用玄関から靴を履いて部室棟まで走りました。
部室棟は校舎とは別の小さな建物で、校庭の隅っこに建てられた2階建てのプレハブでした。野球部とかサッカー部など幾つかの運動系の部が、部の備品や生徒の荷物の保管場所にしてました。
サッカー部の部室は、部室棟の2階の一室でした。2階を利用する際は、プレハブの外階段を使って行き来する構造だったんです。
B君は部活を終えて帰宅する際に、誤ってその階段で足を滑らせたらしく、階段下の地面まで転げ落ちてしまったんですよね。
私がその現場に着くと、何人かの生徒が階段付近で、うずくまった体操服姿のB君を心配そうに取り囲んでました。
C君いわく、サッカー部の顧問の先生は、タッチの差で校舎を出て帰宅してしまった後で、他の先生を探してたら私がいたので声をかけたとの事でした。
私には医療の知識なんて無いし、でもその場にいる教員は私だけでしたから。私が急いで何とかしてあげないといけないので、私にできる事、すべき事をとにかく考えました。
私は、うずくまってたB君の上体を抱えて起こしてあげて、頭を打ったりしてないか、どこが痛いのか、B君に聞いて確認して。
B君は右足の足首の辺りを両手で押さえて、とても痛そうでした。靴を脱がせたら、ソックスの上からでも分かるくらい、めっちゃ腫れてました。
中学校から車で5分程度のところに病院があって、外科もやってたのを思い出しました。夜間外来もしてたはずだから、この時間ならまだ間に合うと思い、スマホで電話をかけました。
幸い病院の受付は空いていて、私はB君の状況を伝えて、今すぐ伺うので準備をしておいてくださいと頼みました。
救急車を呼んだほうが良いですか?と他の生徒から言われたけど、そこまで大袈裟じゃないと思えましたし、救急車を待つよりも、私の車で病院まで運んだ方が早いと考えたので、私は周りの生徒達を
「もう大丈夫だから、あとは私に任せて。君達はもう帰りなさい。」
と言って帰らせつつ、B君を背負い、駐車場に向かいました。
私は体力的には非力な方だと思うんですが、脳からアドレナリンが出てたのか、B君の体が重くて大変だったとか、そういう記憶はありません。
ただ、背負ったB君の体がずり落ちるんです。B君が私の体に腕を廻してしがみ付くのを、恥ずかしがってなのか、女の私への配慮なのか、力強く私の体に掴まるのを躊躇してる感じだったんです。
B君の両腕が私の肩にかかって、肘から下が私の胸にちょうど触れちゃう形だったみたいだったので、思春期の男の子なら余計に躊躇っちゃいますよね。
私はB君に
「私の胸なんか気にするな。胸に触れても良いから、しっかり掴まってないと落ちるよ。」
と言って、ようやくB君の腕に力が入って。
私の小さなバストが、B君の腕でムギュッと潰されたけど。手で鷲掴みされてる状態でしたが、事情が事情なので、私も気にしてなんかいられないし、気にするべきでもないと考えてました。
C君は、B君の荷物を持って付いてきてくれて。C君は、B君と仲が良くて、親友同士って感じでした。心配そうに
「僕も付いていきます。」
と言ってたので、何かあったときは女の私一人だけよりはマシだろうと思ったので、C君にも病院まで付いてきてもらう事にしました。
私は、B君を助手席に、C君を後部座席に乗せて、車を走らせました。
B君はスマホを持ってたので、その間にB君に、家に電話をかけて状況を伝えさせました。B君いわく、お母様が保険証を持って病院まで迎えに来てくれるとの事でした。
一足早く私達は病院に着いて、すぐ診察してもらいました。診察中は、私は待合室で座って待ってました。
やがて、B君のご両親が到着して。とても丁寧にお礼を言われました。
「ウチの息子が迷惑をかけてしまって。」
と言われましたが、私は教員として当然の事をしただけですし
「迷惑だなんてとんでもないです。B君が悪いという話ではありませんから、怒らないであげてくださいね。」
と言ったんですけど。
「息子の不注意でお騒がせしてしまいました。私からお詫びさせて頂きます。息子の担任でもない、サッカー部の顧問でもない先生が、こんなにまでしてくださるなんて。」
と言われて、ちょっと照れ臭かったですね。
B君の診察も終わり、病院でB君と別れました。私は最悪、骨折でもしてるんじゃないかと心配だったんですが、軽い捻挫で全治二週間程度だと知り、少し安心しました。
私は、C君を家まで車で送ることにして、C君を助手席に乗せて病院を後にしました。
C君は私が担任してたクラスの生徒ですから、すっかり顔馴染みの関係だったので、そのとき車の中で、C君と他愛のない会話をしてたんですが。
C君が唐突に
「アイツ、せい子先生におんぶされながら、せい子先生のオッパイ揉んでましたよね?」
って言いだしたんです。
まあ確かに腕は触れてた、というか押し潰されてた記憶はあったけど。私もB君の事で頭がいっぱいだったので、揉まれてたかどうかまではハッキリと記憶に残ってなくて。
「えー、本当に?手は当たってたけど、揉まれてたかなぁ?私の小さいオッパイなんて、揉みたくなるかしらね?」
って私が返すと、C君は
「めっちゃ揉み揉みしてましたよ!背負われてた間、ずっと揉んでましたよ!せい子先生、気づいてなかったんですか?」
と、C君に冗談抜きの表情で言われました。
私は、思春期の男の子だから、今日みたいなときくらいは仕方ないかなぁ。どうせ大した胸じゃないし、減るものでもないし。まあ良いか。って思ってたけど。
C君がおもむろに
「アイツ、せい子先生のことが大好きなんですよ。悪い奴じゃないんで、怒らないで許してあげてください。僕は許せないけど。」
と言ってきたので、私は
「別に怒ってないよ。偶然、私の胸に触っちゃっただけじゃない?多分そうよ、そうゆう事にしといてあげよう。」
って言いました。
「Bの奴、せい子先生のオッパイ触りやがって、許せないからアイツの裏話を先生にバラします。僕が言ったことは内緒にして、ここだけの話で聞いてください。僕、Bとたまにエッチな話するんだけど…。」
とC君は前置きして
「アイツ、せい子先生のことが好き過ぎて、せい子先生の夢をたまに見るって言ってました。夢の中で、せい子先生とセックスして、アイツ、3回くらい夢精したって言ってました。」
とか言ったんです。
え~、いくら本当の話だとしても、B君の友達でしょ?私にそれ、話しちゃうの?って私は思ったけど。
夢精って、挿入してもいないのに眠ったまま
で射精しちゃうわけですよね?それって、どれくらい気持ち良いのか、どういうメカニズムなのか、そもそも射精の気持ち良さを知る術が私には無いので、イマイチ分からないんだけど。
私はC君に
「思春期の男の子は夢精しやすいって、たまに聞くけどねえ。夢精って、気持ち良いのかな?先生、よく分からないわ。男子は皆、夢精とか経験してるの?」
って聞いたら、C君は
「めっちゃめちゃ気持ち良いですよ、夢精を皆が経験してるかは知らないけど。僕も夢精しちゃったことがあります。ヤバいくらい、マジで気持ち良いですよ。」
って言ってました。
「今の話、内緒にしてください。アイツ、せい子先生のことが本気で好きなんです。だから、オッパイ揉まれたからって嫌いにならないで、許してあげてください。僕は許せないけど。」
と言われました。
私は許してあげてたし。それに、夢の中にまで出ちゃうほど私を好きでいてくれる人がいるなんて知って、ちょっと嬉しい気持ちになれました。
そうこうするうちに、C君の家の前に着いて、C君を降ろして別れました。
と、B君との話もこれで一段落かと、そのとき私は思ってたんですけど。
そうはいかなかったんです。
私が介抱したこの一件が決め手になっちゃったみたいで、私はB君に完全に惚れられてしまったんです。
後日、音楽の授業が終わった直後に、手紙が入った封筒をB君に手渡されました。
手紙は3枚で、全てB君の手書きでした。介抱した事へのお礼が書かれた1枚と、あとの2枚は、私への想いがびっしりと書かれた、私宛てのラブレターだったんです。
B君が中学校に入学して初めての全校集会で、新たに赴任した教員を紹介する場面があり、そのとき登壇した私を見て、B君は一目惚れしてしまったんだそうです。
B君にとって、その一目惚れが初恋だったらしくて。初めて生で見た女性を好きになって、とても衝撃的な出来事だったみたいです。
教員と生徒という関係や、年齢差もあって、諦めるしかないと思って、ずっと我慢して。それでも心のどこかで諦められなくて、どうする事もできない日々を悶々と過ごしてたそうで。
私は全っ然、気付けてませんでした。鈍いのかなぁ、私…。
そんなある日、B君が階段から落ちて怪我をして。足を怪我したB君を私が担いでたとき、とても頼もしくて、カッコ良く感じたんだそうです。
そのとき私の胸を揉んだとか、その辺については書かれてませんでした。まあ、そりゃそうでしょう。
ラブレターの中でB君は、もし私に恋人がいないなら、僕を先生の恋人にしてほしい。将来は先生と結婚して、一緒に家庭を作りたい。とまで書いてました。
まだC学一年生なのに、結婚とか将来のことまで考えてるなんて。わりと大人の恋愛観だなぁって感心しました。B君はそんな成熟した恋愛観を持ってたから、大人の私に恋をしたのかも知れませんね。
私は25才の誕生日を間近に控えた時期。B君も私と同じく7月生まれで、誕生日が2日しか変わらず、まだ⚫︎3才になる直前でした。
ラブレターを受け取った時点では、私とB君は、24才の大人と⚫︎2才の子供だったんですよね。
私はそれまで、大人と子供の恋愛なんて成立するとは思ってませんでした。
それが男性教師と女子生徒だったなら、この年齢差でも、この人間関係でも、ケースバイケースで恋愛に発展することも、有り得なくはないでしょう。
でも、逆ですからね。女の私が年上の側で、この年齢差で、しかも教師と教え子という関係で。普通なら、教師の側から恋愛を断るなりして、そこで終わる展開になるんだと思います。
でも、恋に落ちると盲目になってしまうという私の悪い癖は治っておらず、ここでも出てしまったんです。
その悪い癖のせいで、不倫恋愛という過ちを前の中学校で犯して左遷されたばかりだったというのに。
恋愛が下手なのは自覚してますけど、相思相愛になってしまうと、私は本当に後先の分別がつかなくなっちゃう性格なんです。
私自身、何度も書きますが、決して自分はショタコンではないと今も思ってるんです。それなのに、B君の容姿が私のタイプだった事もあり、私もB君が愛おしくて、もうたまらなくなってしまって。
そんな生徒からラブレターを貰って、私も気持ちが舞い上がっちゃって。もう完全にその気になっちゃったんです。
私は女としても、教員としても、不適合者で失格だったと言えるかも知れません。
かつて教員間の不倫恋愛という禁断の関係に興じてしまった事への、負い目や反省があったにも関わらず…。今度は、教え子との恋愛という禁断の関係に走ってしまったんですから。
私は、結婚前提かは取り敢えず別にして、秘密で付き合う事を条件に、B君の気持ちを受け入れてOKしました。
それからは、敢えて学校ではお互いに目を合わせず、表向きは話もせず過ごしてたけど。
メアドとLINEは交換してたから、そっちで頻繁にやり取りしてました。
休日は私の車で、他の生徒達の目を避けるように遠くまでドライブして、一緒に居られる貴重な時間を楽しんでました。
夏休みになると、既にB君も⚫︎3才になっていて。相思相愛であれば、合法的にセックスで愛を確かめ合うことが許される条件が整っていたので。
B君は年齢的にはまだ子供と言うか、思春期の真っ只中の少年ではありました。けど、私の夢を見て夢精してたくらいですから、自分でオナニーして射精とかも、多分もう出来るようになってたんでしょうし。
体はもう大人として十分に機能できる状態なんだし。もうC学生なので恋愛相手の女性とセックスしても、全然おかしくない時期でしたし。
私は私で、25才にもなれば生殖の適齢期でしたから。しばらくセックスもご無沙汰してたので、セックスしたくて仕方ない状態だったのもあって。
7月の最後の日だったと記憶してます。8月1日の登校日の前日でした。私は、部屋にB君を誘って、お互いに合意の上で、B君と初エッチに及びました。
狭いシングルベッドの上でしたけど。お互いに裸になって、まずは前戯から教えてあげました。
B君は、私の膣がかなり下向きだったことに驚いてました。膣の位置はもっと前で、ちょうどぺニスと同じ辺りにあると思い込んでたようです。
既にカチカチに固く勃起してたB君のぺニスに、ゴムを着けてあげました。
B君のぺニスは発育途上って感じで、その頃はまだ特別に大きくなかったです。亀頭もサーモンピンクで綺麗な色で、エラの形は結構ハッキリしてるぺニスでした。
エラという表現で正しく伝わるのか、私は正しい言い方を知らないので分からないけど。矢印みたいな形のぺニスなんです。
⚫︎3才の少年らしく、大きさはそこそこでしたが、形は一級品と言えたかも知れませんね。
それに、凄く固くてビックリしました。肉の棒と言うより、鈍器って感じでした。
私は仰向けになって、両足を開いて。その足の間に、B君の体が割って入ってきて。熱いぺニスを膣の入り口に突き立てられて、そのまま私の中へと進んできました。
B君の童貞を頂戴した瞬間は、私も胸が高まりました。B君が、生涯で一度きりの大事な相手に私を選んでくれたこと。その喜びは今も忘れられません。
私はB君と、両手の掌を重ね合わせました。そして、お互いに指をギュッ!と組み合わせて。
B君に
「せい子先生の手、こんなにちっちゃいんだね。」
と言われました。私は
「B君の手、おっきいね。」
と言って返しました。
B君の手は、もう私よりも大きくて、指も太くて、男らしい頼もしさを感じさせるものでした。もう大人の手っていう感じでしたね。
正常位で挿入されながら、B君の体が覆い被さってきて、抱き締め合いました。
私の小さな胸は、B君の胸板に乗られて潰されて、私の右胸には、B君の心臓の鼓動が伝わってきました。
とても早い鼓動でしたから、B君はきっと凄く緊張してたんだと思います。
私とB君は、背丈がほとんど一緒か、私の方が少し高そうなくらいだったのに。私が背中に両腕を廻して抱き締めたB君の体は、私よりも大きくて、とても暖かかったです。
背丈が同じでも、女性と男性とでは、骨格や肉付きが全然違うんだなって、改めて感じましたね。
まだ子供だと思ってたのに。⚫︎3才にもなれば、もう子供じゃないんですね。私が思ってたより立派で、かなり大人に近い体格になってました。
B君が、ゆっくりと腰を揺すり始めて。
ぺニスが固いうえに亀頭のエラが張ってたので、膣の中を擦られるのが気持ち良かったけど。
B君は初心者だったから、動きがぎこちなかったのは仕方ないんだけど、そのぎこちなさが、私を最初に抱いた元彼のセックスに似てて、なんか懐かしかったですね。
B君は吐息のような唸り声をあげて悶えると、すぐにイってしまって。
ぺニスが私の膣の中で、ピクッ、ピクッ、とB君の吐息と同じリズムで痙攣してました。
その後に膣からぺニスが抜かれたんだけど、ゴムを被ったそのぺニスを見て、私はその先端に溜まった精液の量の多さに、とても驚きました。
その先端は、溜まった精液でピンポン玉みたいに大きく膨れてたんです。ゴムの先っちょにピンポン玉を入れたかのようでした。
思春期の男の子って、きっと代謝が活発でしょうから、年齢に似合わず精液の量も多いのかも知れませんね。元彼やA先生の量と比べると、2倍くらいは出ていたように見えました。
1回目の射精であんなに出ちゃうなら、精巣に精液が溜まれば、エッチな夢を見て夢精しちゃってもおかしくないわね。と、思わず納得してしまいました。
B君は初体験だったせいか、B君は射精までが早かったけど、射精からの回復もとても早くて。私が用意した5個入りのゴムは、たった30分前後で、あっという間に使いきってしまいました。
それ以降は、B君とプライベートで合うのは月に2回程度でしたが、合うと必ずセックスしてました。
覚えが早い年頃なのか、B君は回数を重ねる毎に、目に見えてセックスが上手になって。射精するまで少しずつ長く保てるようになっていって。
いろんな体位もすぐに覚えて、セックスの時間は徐々に伸びていって。
ぺニスも、セックスをこなす度に大きさを増してる感じがしました。
B君のぺニスの形も、私に合ってる気がします。私としては、ぺニスは太さや長さよりも、固さと形が重要だと思います。
B君のぺニスは、膣内で感じるエラの引っ掛かり感が強いんです。これは私がセックスした元彼やA先生のときと比較しても、ハッキリと違いが感じられたところです。
肉茎とエラの段差が大きくて、形がクッキリしてて角が立ってるんです。それが膣の内側を擦るんです。特にぺニスを押し込むときより、引かれたときの刺激が、もう堪らなく気持ち良いんです。
私が膣の中で一番感じるところは、入り口寄りの浅い部分です。B君はピストン運動のとき、ぺニスを抜ける直前まで引いて、今度はぺニスの根元まで押し込んで、出来るだけ最大のストロークで打ち付けてきます。
これは初体験のときも、夫婦となった今の営みのときも、変わってないです。いつも腰をリズミカルに弾ませるような、躍動感ある責め方をされます。
私はそのスタイルの責めが、敏感な膣内の入り口付近まで満遍なく刺激してくれるので、とっても好きです。
B君のセックスのセンスの良さなのか、私との相性の良さなのか。B君との5回目のセックスで、私は1ラウンド目で、初めてB君に中イキさせられて。
もうその頃には、B君は自然にセックスをリードして、流れを自分で組み立てて、大人さながらにセックスが出来てました。
抱かれてる私も、相手がローティーンの少年だなんて忘れてしまうほど、男として頼もしく成長してました。
私をイカせるコツを、このとき掴んだのかも知れませんね。その日の3ラウンド目で、脳イキまでさせられてしまいました。
いつもB君は、私を可愛がりながらセックスしてくれました。本当に、私を大事にしてくれてるって感じられて。
そんな性生活も学校の外での話。私とB君以外は、誰も知るよしのない話でした。当然、誰も止めに入る人なんていません。
セックスが上手くいくと、仕事も上手くいく。あのA先生がしきりにそう言ってたのを思い出します。B君とのセックスが充実してた頃の私の学校での生活は、順調そのものでした。
私が顧問をしていた合唱部は、秋の合唱コンクールで地区優勝こそ逃したものの、あともう一歩というところまで登り詰め、特別賞を頂きました。
合唱部が何かしらの賞に輝いたのは、学校が創立されて以来、これが初めての快挙だったんです。
B君もまた、学業の成績は常に優秀でしたし、一年生にしてサッカー部でレギュラーに定着してたようです。
そんな甘い生活は翌年も続いて。二年目の夏休みには、私とB君の二人だけで茨城県の大洗まで、二泊三日で海水浴に出掛けました。
A先生と伊豆まで不倫旅行したときと、シチュエーションが似てました。さすがに青姦はしませんでしたけどね。
その代わり、大洗間での道中で立ち寄った公園の駐車場で、私のジムニーの狭い車内で、座席を全て倒してカーセックスしました。
白昼だったので、車内といえど人目は気になりますから、全裸にはならなかったけど。
この頃には、プライベートでは私はB君のことを”てる君”と呼び、B君は私を“せっちゃん”って呼んで、お互いにあだ名で呼び合う仲でした。
⚫︎4才になってたB君は、もう背丈が私を完全に上回っていて、私から見れば大人と変わらない風格が漂ってました。
そして、その年の12月。B君にLINEで
「せっちゃんと今度、中出しでセックスしたいです。お願いです!一度でいいから、やらせてください!」
と、大胆にお願いされたんです。
大人の私を絶頂させられるほど上達したんですものね。きっと精神的にも成長して、男として自信も付いてきてたんだと思います。
ゴムを使って避妊したセックスに慣れてきたところで、生エッチにステップアップしたくなった気持ちも分かるけど。
私は直感的に感じたんです。私達にも、いよいよそういうタイミングが訪れたんだなって。B君は、私の体に“俺の女”としてマーキングしたがっているんだなって。
私との生エッチを懇願したのは、私がB君から、自分のモノとして認められた証です。
私だって、B君を男として認めてあげたい。“私の男”として認めてあげなきゃ。そう感じました。
教員と生徒という間柄なんて、もう関係ありませんでした。愛し合ってる以上、生エッチは正当な行為で、究極の愛情表現です。
私も最初は、一瞬迷ったんだけどね。すぐに迷いは消えました。お互いに本気で恋愛してるんだし、私も本音ではB君の精子を膣の中で直接受け止めたい願望があったから。
子作りとかは抜きにして、女として、当たり前の願望だと思います。
一度くらいなら…と甘く考えてしまったんです。私の悪い癖ですね。
私はB君にLINEで
「生エッチしたいなら、私を妊娠させる事を恐れずに、覚悟を持って、本気で抱いて欲しいの。
私が、てる君の赤ちゃんを産むのは無理だとしても、てる君には、何も恐れずに本気で、私と赤ちゃんを作るつもりで抱いて欲しいの。私が妊娠しても、何とかなるから。何も心配しなくて良いのよ。」
と返信して、B君も了承してくれたんです。
B君は大胆にも
「ありがとうございます!僕の射精で、せっちゃんを妊娠させたいです!」
なんて返してきました。
そして冬休みの初日、クリスマスの日の午後でした。私の部屋で、B君と初の生エッチをしたんです。
このときは安全日ではありませんでした。もろに危険日ではなかったけど、どちらかと言えば、わりと危険日寄りのタイミングでした。
当然、私は妊娠も、中絶も、覚悟してたんです。
ゴムを着けてないぺニスは刺激に敏感になるのか、1ラウンド目のB君は早々に果ててしまって。
B君が
「めっちゃ気持ち良い!気持ち良い!生のセックスって、なんでこんなに気持ち良いの?チ◯コが溶けちゃう!」
って連呼しながら正常位でピストン運動をしてるうちに、すぐに
「もう出ちゃう!」
と叫んだので、私は反射的に
「出すなら、私の奥で出しなさい!奥まで入れてっ、早く!」
って言って、急いで両足をB君の腰に絡めて、B君の後ろで足を交差させて、ギュゥッ!とB君の体を引き寄せました。
まるで立体パズルが綺麗に組み合わさったみたいに、私とB君の体がひとつに合体してました。
次の瞬間、私の膣を深々と貫いた固いぺニスが、ピクッ!ピクッ!と脈を打つように痙攣し始めて。
「せっちゃん、気持ち良い!あっ!あっ!出てるっ!せっちゃんの中で出てるっ!」
B君は上ずった声でそう言いながら、盛んにキスをしてきました。
私は
「てる君、上手よ、とても上手よ!出来るだけ奥で、そのまま、出し切るまで絶対に抜いかないで。」
と言いながら、B君のキスに応じていました。
B君の射精は、とても長く感じられました。
あの、ゴムの先端がピンポン玉みたいに膨れるほどの量の精液が、今まさに自分の膣の中で植え付けられてるのを、私は頭の中でイメージしてました。
やがて、射精が終わったのを物語るように、私の膣内で、収まったままのぺニスが萎えて縮んでいくのを感じました。
それでも、B君は私の体を放さず、ぺニスも抜かれず。私もB君の体に絡めた両手両足を放さず、正常位で合体したまま、しばらく余韻に浸るようにディープキスを交わしていました。
すると、B君の若さというか体力は凄まじくて。すぐにまたぺニスが勃起を始めて、膣内で大きく膨張して、再びピストン運動を始めたんです。
B君はしばらく私を正常位で責めたあと
「せっちゃん、まだイッてないよね?今度はせっちゃんの大好きな体位で、頑張って僕と一緒にイカせてあげるから。」
と言って、物凄い力で私の体をひっくり返して。
四つん這いになった私を、バックから激しく突いてきて。
「今日のてる君、凄っ!凄いわ!
あ、そこよ、あっ、あっ、あぁ、ああぁっ、あああああああぁっ、ああっああっあぁーーーっ!
そこ、そこっ、そこよっ、そこっ!もっと亀頭でそこ擦って。いいわ、もっといっぱい突いて!イクッ!イクッ!」
というふうに私は悶えさせられて。
今度は、B君がイク前に私が中イキです。私も久しぶりの生エッチで、とても興奮してしまって。そのせいか、中イキが脳イキにレベルアップするのが、いつもより早かったように感じました。
私が中イキしてもお構い無しという感じで、B君のピストン運動は止まりませんでした。
イッてる最中で痙攣していた私の腰を、まるで力ずくで押さえ付けるように、ガッチリと私の下半身をホールドしながら、私の後ろから、下腹部を私のお尻にペチペチと激しく打ち当てて。
「せっちゃん、愛してるから、愛してるから。本当に、赤ちゃん出来ても良いんだよね?いっぱい精子を出すから、一緒に赤ちゃん作ろうね!」
と言いながら、私を責め立てました。
一度射精を果たしたあとは、次の射精まで長く持つとか、男性にはそんな特性があるみたいだけど。女は逆で、一度イッてしまうと、次の絶頂は早く訪れるようになるんです。
私の眼球が、勝手に裏返り始めて。もう脳イキに向かって一直線です。たぶん眉間にシワが寄って、白目をむいて、酷い顔になってたと思います。
私は
「あぁ、ああぁっ、もうダメ、またイクッ、あっ、イクッ、あっ、イクッ、なんでそんなに上手なのよ、てる君!赤ちゃん出来ても良いのよ、てる君の赤ちゃんなら出来ちゃったって良いのよ。
一緒に赤ちゃん作ろうね、あっ、来た!来た!脳が壊れる!イクッ!イクッ!イクッ!」
とか言ってしまってたのを覚えています。
B君も
「せっちゃん!めっちゃ締まってる。そんなに締めたら、気持ち良い!気持ち良いぃーっ!
もう僕もイクッ!せっちゃんと一緒にイクッ!また出る!出る!出る!出る!出る!あっ!…あっ…あっ…あっ…あっ!」
と言って、私のウエストの括れの辺りに両手を掛けて抱き寄せるようにして、膣の奥までぺニスを突き入れて動きを止めてました。
また、膣の奥でぺニスが、長い脈打ちを始めました。
そんな感じで、2時間半か3時間ほど愛し合ってたと思います。その間に7ラウンドくらいしました。もちろん全て膣内射精でした。
26才の女と⚫︎4才の少年のセックスなんて、不釣り合いかも知れないけど。
それはもう、最高でした。
それが、C学時代のB君と生エッチをした唯一の日でした。私も教師である事を忘れて、壊れるくらい乱れてしまったけど。愛し合って二年目の集大成って感じの、最高のセックスができたと思います。
それにクリスマスでしたからね。これくらい燃えるのがちょうど良かったのかな?って思っています。
そして、年が明けて三学期になって。
1月の下旬に、初めて悪阻が私を襲いました。あのクリスマスでの、たった1日だけの生エッチで、B君の赤ちゃんが私の子宮に宿ったんです。
私は産婦人科に行って診察を受けて、妊娠してるのが確定したのを知ったとき、思わず
「嬉しい!」
と口にしてしまいました。
B君との愛の結晶を授かったことが、素直に嬉しかったんです。
女教師が、教え子の赤ちゃんを身籠ったなんて、とんだ不祥事なのにね。
私は妊娠したら中絶するつもりで、生エッチをしたはずだったのに。いざ妊娠したら、産んでみたいという強い気持ちが表れたんです。
本当なら中絶すべきなのは分かってても、A先生と不倫して妊娠したときと同じことを繰り返すのに、何故か抵抗がありました。
また中絶するのか?女として、それで良いのか?人知れず、散々悩みました。誰にも相談事できない話でしたから。
そして、私は出産して未婚の母になる決心をしたんです。
未婚の母になる以上は、教員という仕事は続けるわけにいきません。私は、一身上の都合というありきたりな理由で、その年度いっぱいで教員を辞めました。
私はB君にLINEで妊娠したことは伝えずに、別れ話を持ちかけて、私から一方的に恋愛を終わらせたんです。
本当は、終わらせたくなかったんです。けど、私がまだC学生のB君の赤ちゃんを産んだら、B君にどんな心理的な影響を与えるか分からなかったから。
B君のことを考えると、赤ちゃんが出来て産むと決めたことは、伝えないまま別れてB君の前から消えるのが最善だと考えたんです。
後日、B君に直接会って、どういう事なのかと追い詰められました。
私は
「教員と生徒の恋愛なんて、やっぱり無理なのよ。」
とだけしか言えませんでした。B君には、本当に申し訳なく思いました。B君にしてみれば、何が何だか分からない心境だったはずです。
私は身勝手な酷い女だと、つくづく感じました。
私は父親未詳という形で役所の手続きをして、母子手帳を作って。
教員を辞めてからしばらくは産休状態で、貯金を切り崩しながら生活をして、その年の9月に、私は未婚のまま27才で女の子を出産しました。
その後、パートの仕事に就きました。ある通販サイトのオペレーターの仕事でしたが、職場の雰囲気も良くて気に入ってたんですけど。
それも長く続かなかったんですよね。
その年の年末の時期になって。ある日、上司を含めた会社の人達との飲み会に出席したました。
私は子供を24時間対応の託児所に預けていたので、帰宅は遅くなっても問題なかったんです。でも、子供を夜まで待たせたくなかったから、最初は出席を断ったんですけど。
私の直属の上司だった課長に、しつこく出席を求められて、最終的に私が折れる形で出席しました。
私は、お酒は特別強いわけではないけど、どちらかと言えば強い方だと思います。お酒は大好きですし。なのに、その日に限って、梅チューハイ一杯だけで酔いが回ってしまったんです。
酔いが回ったというか、頭がクラクラして、立とうとしても立てなくなって、急に眠たくなって、そのまま寝ちゃったんです。なので、飲み会での記憶はほとんどありません。
飲み会で私の隣に座ってたのは、例の課長でした。あまりこんなふうに考えたくはないんだけど、酔いの回り方があまりにもおかしいので、もしかしたらだけど、課長が私の梅チューハイに薬か何かを混ぜたのかも知れません。
目が覚めたら明け方で、知らない部屋のベットの上でした。
そこはラブホテルの部屋でした。私は何も着ていない完全な裸の状態でした。
私の隣では、全裸の課長が寝そべっていました。
課長は目を覚ました私を見るなり
「あ、起きた?もう僕の用は済んだから。もう君は帰ってもいいよ。早く帰らないと、子供、預けっぱなしでしょ?あ、今日は仕事休んでいいから。」
と言われました。
「君、思った通りのいい女だね。とても気持ち良かったよ。もし子供が出来ちゃったら、教えてくれよ。中絶費用は俺が払ってあげるから。」
と言われました。
私は飲み会で眠ってる間に、上司にお持ち帰りされて、知らないうちに中出しでレイプされていたんです。
私は、泣きながら逃げるようにホテルを出ました。本当にとてもショックでした。レイプされてたときの記憶はないんですけど、それでも心はズタズタに傷つきました。
幸い妊娠には至らなかったんですけど、私はこの一件で精神的に不安定になってしまい、仕事を辞めました。
それから私は、性的な面で不運に見舞われるようになりました。
次の仕事として選んだのは、小さな町工場の事務員でした。そこで、工場の中にあった社長室に呼ばれて、勤務中だというのに、社長にレイプされたんです。
抵抗すると、何度も顔を叩かれました。そして、力ずくでねじ伏せられて、無理やり何度も膣内射精されました。
「お前を見てるだけで、毎日ムラムラさせられてるんだ。お前が色気を晒してるのが悪いんだ。最初に見たときから、いつか犯してやろうと思ってたんだ!けしからん女だ!こうしてやる!こうしてやる!」
と言われて、私は何も悪いことをしていないのに、他にも女としての尊厳を踏みにじるような酷い言葉を浴びせられながら、下着まで引き裂かれてレイプされたんです。
まだ最初にレイプされたときの傷すらも癒えてなかったのに。B君を捨てた私が、神様に罰を与えられたのかも知れません。
その職場も、それがきっかけで僅か1ヶ月足らずで辞めました。その後、妊娠してるのが分かり、急いで中絶しましたけど、心はもうボロボロでした。
それから数ヶ月が経った5月の中旬に、私は夜の公園で、見知らぬ二人組の痴漢に襲われて、公演の近くの工事中の建物の中に引きずり込まれて、夜が明けるまでレイプされました。
夜が明けるまで、というか、私が気づいたら夜が明けてたという事なんですけど。
服をビリビリに裂かれて、暴力を振るわれて、動画か写真か分からないけど、レイプされながら撮られてました。
変な薬を腕に注射されて、それが何なのか分からないんですけど、頭がボーッとして抵抗も出来なくなって。幻聴や幻覚まで起こりました。
レイプされてる間は、物凄い快感に飲み込まれて。快感しか頭に入ってこなくなってて、何度も絶頂させられました。
失神を繰り返してたみたいで、記憶が飛び飛びです。最後に気がついたときには、その場には裸の私しか居なくて、空は明るくなりかけてました。
後日、妊娠検査薬で陽性が出て。もちろん中絶しました。私は、僅か一年足らずの間に、3回もレイプされたんです。
レイプされた記憶は今も鮮明ですけど、その詳細は書くことが出来ないです。こうして手短に経緯を書いただけでも、過呼吸になりそうになって、何度か中断しながら書いきました。
その後、一時は精神的に酷く病んでしまっていたと思います。
精神科とかカウンセラーのお世話には、なってません。本当はお世話にならなきゃいけないとは思うけど。他人に面と向かって詳細を明かす勇気がありません。
レイプされてからは、しばらくは人間不信に陥ってしまい、玄関から外に出ることすら困難になりましたが、女手ひとつで娘を育てる立場としては、そうも言ってられませんでした。
託児所の行き来や買い物など、怯える自分にムチを打って、必要最小限の外出はしてました。
何度も自分を責めて、何度も死のうとしました。
でも、可愛い娘を見る度に、死ぬのを思いとどまることが出来ました。私がいなくなったら、娘は一人ぼっちになっちゃうし。私を救ってくれたのは、娘の無邪気な笑顔でした。
その後は、レイプされた経験はありません。
精神をすり減らしながら無理して外出をしてたのが、功を奏して。捨てる神あれば、拾う神ありで、たまたま音楽関係のレッスン教室の求人募集を見つけました。
給料もそこそこ良くて、しかも正社員の募集でした。私は音楽の元教員という経歴を買ってもらえて、応募しに向かったたその日のうちに面接して、その場で採用してもらえて。
そして、月日が経って、昨年の8月のことでした。私は未婚の母のまま35才になって、娘も小学二年生になってました。
休日で娘と一緒に家にいたそのとき、玄関のチャイムが鳴りました。
私がドアを開けると、そこには背が高くて若い、スーツ姿のイケメン男性が一人立っていました。
その顔を見て、すぐに誰なのか分かりました。
「てる君!どうして!?」
驚いた私は思わず、そう大声で叫んでしまいました。私が教員時代に恋愛関係を育んだ、あのB君だったんです。
B君は、私と別れてからも、ずっと私のことを想ってくれてたんだそうです。そして、大人になったら私を探して、一緒になろうと思い続けてくれていたんです。
大学を卒業して社会人になったB君は、働いて得た収入で探偵に依頼して、一年近く私を探してくれていたんです。
「せっちゃん、久しぶり。全然変わってないね。」
とB君は言ったあと
「ずっと、せっちゃんを探してたんです。やっと会えたんです。僕と、もう一度やり直してください。お願いします。」
と言って、頭を下げられて。
「私はもうオバサンだよ?それでも良いの?」
と私が聞くと、B君は
「せっちゃんは、オバサンじゃないよ、今も若くて可愛くて、あのときのままだよ。僕は、せっちゃんじゃないとダメなんです。せっちゃん以外の女性では、ダメなんです。」
って、言ってくれました。
私は
「じゃ、私と、あのときの続きをしてくれるの?許してくれるの?」
と聞きました。もう私は嬉しくて半泣きでしたけど。
B君は、あんな酷い別れ方をした私を、笑って許してくれたんです。
私は
「じゃ、紹介しなきゃね。マユカ、こっちに来なさい。」
と言って、部屋の奥にいた娘を呼びました。
「マユカ、この人がマユカのパパだよ。血が通ったマユカの本当のパパなんだから、ちゃんとご挨拶しなさい。
てる君、この子が、あのクリスマスの日に、てる君と愛し合って、私が身籠って産まれた子供なの。てる君の血が通ってる、てる君と私の子なのよ。」
って言って、娘をB君に紹介しました。
娘は
「あたしのパパなの?」
と言って、嬉しそうにお辞儀してました。
B君は驚いた様子でした。私が妊娠してたことすら伝えてなかったから、まさかあのクリスマスでのたった1回のセックスで、自分の子供が出来てたなんて、全く知らなかったんですね。
B君は
「せっちゃん、あのとき、赤ちゃんが出来てたの?うわぁ、やった!こんなに大きくなって。マユカちゃん、待たせちゃったね。せっちゃん、産んでくれてたんだね、ありがとう!」
と言って、とても喜んでくれたんです。
一度離れて別々になった剣と鞘が、再びあるべき姿に収まった。私は、そんな気分でした。
それから恋愛が再スタートして。私は未婚の母になって以来、両親から勘当されて疎遠だったんだけど。両親に事の経緯を正直に伝えたら
「その人を、今すぐにでも合いに来させなさい。」
と言われて。
久しぶりに帰った実家で待っていた両親には、叱られるだろうなと思ってたんだけど。
凛々しいスーツ姿のB君は、もうあの頃の少年だったB君ではなく、頼もしい大人のB君でした。正座して、丁寧に
「せい子さんを、僕にください。お願いします。」
と言ってくれたんです。
両親は怒るどころか、父は土下座するように頭を下げて
「娘を…せい子を…どうか幸せにしてやってください。」
と言ってくれました。
婚約して、すぐに挙式する日取りも決めました。挙式と言っても、盛大なものではなく簡単な式でしたけど。
同時に、B君が私の家で同棲して、親子3人で暮らすようになって。
娘が寝静まったあとに、毎晩のようにセックスして愛し合いました。もちろん避妊はせずに。入籍前だったけど、もう夫婦同然ですから、本気で赤ちゃんを作るための、堂々とした営みです。
B君は、未だに私以外の女を知らないのだそうです。
そして入籍する直前の事でした。嬉しいことに、昨年12月に私はお腹に、B君との2人目の子供を授かったことが分かりました。
そして、その一週間後に、私とB君の双方の両親に見守られながら、神社で結納を済ませる形で挙式し、翌日に入籍しました。
思えばB君のご両親とは、足を怪我したB君を運んだ病院で顔を合わせて以来の対面でしたが、私のことを覚えてくださっていて。
B君のご両親から
「あのとき、絶対に良い奥さんになれる女性だと感じてました。まさか、うちの息子と結ばれて、一緒になってもらえるなんて。息子は幸せ者です。」
なんて言われてしまいました。
今は、とても幸せです。もう本当に、信じられないくらいに。
今年の9月には二人目の子が産まれて、4人家族になっていると思います。
心を病んでた時期に、死ななくて良かったと思います。生きるよう踏みとどまらせてくれた、いつも笑顔でいてくれた娘に感謝です。
そして、私を愛してその娘を私に授けてくれた“私の男”。B君改め、私の旦那にも感謝です。
私はもう35才ですが、妻としてはまだまだ新人です。旦那にとって良き妻になれるよう、子供にとって良きママになれるよう、これから精進していきます。
以上、私の秘密のエピソードでした。思ったより長い告白になってしまい、ごめんなさいね。ご一読ありがとうございました。
皆様にも、幸あれ!それでは失礼いたします。
終わり
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コメント一覧 (3件)
長編小説を読んでる感じでした。
文章力すごいですね!
長編にしてはスラスラと読め、状況が頭に入ってきました。
これから生まれてくるお子さんも含めた4人で幸せな家庭を築いて欲しいと思います。
せい子です。まさか私の告白にコメントを寄せて下さる方がいらっしゃったなんて、とても嬉しいです。ありがとうございます!
文中では妊娠2ヶ月と書きましたが、告白を書き終えてから、数日迷って投稿してしまい、掲載されるまでタイムラグもあったので、掲載されたときはもう妊娠3ヶ月の3週目でした。
早いもので、今は4週目の終わりで、明日から妊娠4ヶ月。もう少しで安定期です。今はまだ悪阻が酷くて…何とか頑張ってますけど。
改めて自分で書いた告白を読み返すと、誤字もあってりで反省もあります。ちゃんと伝わるか不安だったので、褒めてもらえて嬉しいし、なんかホッとしました。
今は、病院の先生の許可を得たうえで、旦那にゴムを着けてもらって、ほぼ毎晩営んでます。
と言うのも、旦那はまだ若いだけあって性欲が旺盛みたいで、毎日私を抱かないと我慢できない、と言うか耐えられないみたいなので。
妊娠中だというのに、旦那は私がイクまで放してくれません。私も貧欲なので、脳でイカせてもらえるまで、つい…。寝かせてもらえない毎日が、未だに続いちゃってます。
いずれお腹が大きくなってくれば、それも出来なくなると思うので、私もこの際、今のうちにいっぱい愛されておこうと思っています。
私の加齢との絡みもあるのでどうなるか分かりませんけど、旦那はまだ若いし、相変わらず射精の量が物凄いので、2人目の子を産んだあとは、3人目にチャレンジしてみたいなぁ。と思い、旦那と計画しつつ。
とにかく今は、2人目の子供を無事に出産することに注力しなきゃですね。娘のマユカも、新しい家族が増える日が待ち遠しくてたまらない様子です。
娘を産んだときは、娘が大きい赤ちゃんだったので難産で、その影響で私の骨盤が広がっちゃったんですけど。
そのおかげで、2人目の出産は多少楽になるんだそうです。
娘を産んだときは、親に勘当された未婚のシンママで、とても不安でした。でも今は旦那がいてくれます。旦那という存在が有ると無いとでは、安心感が全く違うんですね。
本当に、今は幸せ過ぎるくらいに幸せです。