初彼さんから投稿頂いた「忘れられない大学の4年間を過ごした彼女」。
結婚して、妻と子供と何気ない平凡な幸せの中暮らしてるけど、ふと、昔の彼女を思うときがある。
彼女は、大学出であった生れて初めて付き合った女性だ。
もう、20年も昔の話で、上京してキャンパスライフが始まったが、地方から出てきた俺は、都会の暮らしに怯えていた。
同じ境遇の彼女は、人目で同じ匂いを感じて、親しみを覚えた。
彼女は、柳原可⚫︎子が少し?せた感じの女性で、自分をデブだと認識してて、少しお国訛りが可愛い人だった。
訛りと言っても、方言がきついわけじゃなくて、イントネーションが独特だった。
彼女とは、学生番号が近くて、オリエンテーションの時に隣の駅で、初めて会話した学生だった。
だから、最初の顔見知りの人同士となって、何となく近しくなった。
彼女はデブ認識からモテようとする気が全く無くて、俺に異性を感じさせない接し方をしてきた。
だから、すぐに親しくなって、ゴールデンウィークには帰省せずに一緒に遊んだ。
見慣れたということでもないんだろうけど、俺は、彼女がデブだとは感じなくなっていた。
やや太めだけど、ぽっちゃりというよりは、ムッチリだと思った。
それに、柳原可奈子って、デブキャラだけど可愛いし、彼女は、ムッチリで可愛いんじゃないかって気付いた。
その気づきが、それまで感じてなかった異性を感じてしまった。
ゴールデンウィークの真っ只中、急にそれに気づいたからと言って、態度を変えるわけにもいかず、でも、女を感じた途端、馴れ馴れしくそばに酔ってくる彼女の甘い女の子の香りに股間が反応してしまった。
前屈みになって、勃起を隠していたけど、隠しきれないほどにズボンがテントを張り、彼女に気付かれてしまった。
「何に興奮してるの?まさか、私じゃないよね?」
「いや、そのまさかだ。お前、いい匂いするんだよ…」
暫しの沈黙の後、
「そ、それ…私に女を感じたってこと?」
「感じたも何も、お前女じゃん。今まであんまり意識してなかったけど、お前女じゃん。」
「それって、私とエッチしたい対象に見てくれてるってこと?」
「お前さ、結構可愛いの自覚してないのか?」
この後、俺たちは抱き合って、初めてのキスを交わした。
お互い、処女と童貞だということを確認して、お風呂を沸かして一緒に入った。
異性の裸を目の当たりにしたのはお互い初めてで、ベッドでは69の体勢になって性器を観察し合った。
観察しながら舐め合いになり、興奮マックス、俺も彼女もコンドームは持ってて、ゴムハメで処女膜を破った。
なかなか入らなくて、苦労したのを覚えてる。
破瓜の痛みに耐えた彼女の健気な姿は、今でも忘れられない。
その後、大学では仲のいい異性の友達から、明らかにデキてる二人になっていった。
オリエンテーションの後からつるんでいたから、誰もが俺たちが恋人になっているのを自然に受け入れてた。
夏休みになる頃には、彼女もセックスの快感を覚えて、アンアン喘ぐようになった。
ムッチリボディをプルプルさせながら喘ぐ彼女は、普段キャンパスで見せてる明るいキャラとはかけ離れた、淫らな一面を見せた。
俺は、それがギャップに感じて、萌えた。
女というのは、セックスするとみんな同じだとはまだ知らなくて、普段の彼女と違う彼女の姿を見られる特権を感じてた。
毎日セックス三昧の日々だったが、彼女に生理が来ると
「私が手で出してあげるよ。」
と言って、お風呂でシコシコされて、悶えながら射精してた。
真正面で彼女は俺の精液浴びて、嬉しそうにしてた。
大学2年が終わる頃、コンドーム切らしてしまって、外に出すからと生入れしたら、そのあまりの気持ち良さに、以降、生入れ外出しが普通になった。
生セックスはカリの段差がもろに膣内を削るように刺激するから、彼女のヨガリは半端じゃなくなり、ついに3年生の梅雨の頃、彼女はイクことを覚えた。
激しく仰け反って唸って痙攣した後、呆然と宙を見つめた彼女は、
「あのまま死ぬかと思った…」
って言った。
そういえば、イクって「逝く」って書くなあと、女性が死ぬほど感じることを言うんだと気付いた。
彼女とは4年間、卒業するまで続いた。
4年生の時、俺も彼女も就活を故郷でしていたから、お互い、卒業までの付き合いだと気付いていた。
でも、そのことには触れずに、愛を育んでいた。
大学4年の夏休み、帰省して故郷で就活しているとき、駅前で中学の時の担任だった女教師と再会した。
懐かしくて話してると、居酒屋で呑むことになって、まだ明るい5時ちょっと前、白木屋で飲んだ。
先生は当時四十半ば、ほろ酔いの先生に妖艶な色気を感じてしまい、
「ガキの時は気づきませんでしたが、先生って、綺麗なんですねえ。」
って言ったら、白木屋を出た後、ラブホに誘われて、人生で二人目の女性を抱いた。
先生は既婚者だったけど、旦那さんも教員で単身赴任中、欲求不満だった。
教え子との性行為に興奮しながら、妖艶な女体を披露した。
ムッチリパツパツの彼女と違い、年を重ねて弾力を失いつつある女体はどこまでも淫らで、フェロモンがヤバかった。
陰唇はドドメ色で、使い込まれ感が凄く、陰核も皮が剥けてた。
コンドーム被せて挿入、彼女と比べて緩かったが、運るような蠕動があって、20歳も年上の恩師とのセックスに興奮した。
四十路の女体の魅力にドップリはまり、帰省中、10回くらい逢引きした。
後に知ったが、先生は、教え子に偶然を装って再会して、居酒屋に誘って誘惑して、教え子食いするので有名だった。
同級生に穴兄弟が数人いた。
彼女との別れがやってきた。
2月下旬、お互いにアパートを引き払い、日暮里のホテルに二泊した。
処女と童貞を捧げ合って、友達から恋人になった二人が初めてデートした夕焼けだんだんを歩いた。
あの頃、ムッチムチだった彼女だったが、4年間ヤリまくったら、ムチッとくらいになってた。
あれは、いわゆる処女太りというやつで、女の悦びを覚えた女体は少しずつスリムになった行った。
その変わり、肌色だった陰唇は、左右非対称に伸びて、赤紫に変色していた。
4年間で彼女とは、軽く1,000回を超えたセックスをしたはずだから、若妻並みの性器になるのは当然だった。
最後の夜を過ごし、東京駅で別れた。
彼女は東海道新幹線、俺は東北新幹線、それぞれ帰郷するからもう会うこともない二人は、愛し合ったまま別れた。
「楽しい4年間をありがとう。元気でな。さよなら…」
「ずっと忘れない。初めての彼氏が貴女でよかった。さよなら。元気でね。」
泣きそうな顔の笑顔で、別れた。
今でも、彼女と出会って恋に気付いた頃に流行っていた、ケツメイシの「さくら」を聴くと、彼女を思い出す。
別れてから、メールが来たのは一度だけ、2011年の3月11日、東北住みの俺を心配して安否確認のメールが来た。
「俺は無事だよ。心配してくれてありがとう。」
って返して、それに返事はなかったけど、翌日、「良かった。」って返事が来たけど、あのとき、メールが込み合って通信障害があって、彼女の返事が実はすぐに返してたことを後に気付いた。
あれが、彼女との最後の通信だった。
だから、彼女との最後の通信が残るガラケーと充電器を、俺はご招待切に保管してある。
今でも、彼女は青春の思い出の中で輝いてる。
実はあの震災は、俺は職場ではなく、出先で遭遇した。
交通手段が断たれ、最寄りの体育館が避難所で、そこで一晩を過ごしてた。
翌日、徒歩で十数キロ先の職場へ向かうとき、一緒に歩いてた女子大生が後の妻だ。
励まし合って、歩いた。
妻は、大学を卒業して帰って来て、4月から社会人というタイミングだった。
途中で、妻の家があって、そこで別れて俺は職場を目指した。
その時、彼女からの返信が来たのを覚えてる。
先日、兄貴一家が実家に入ることになり、俺は甥っ子に部屋を明け渡すために片付けに行った。
7割方断捨離したけど、残したものの中に彼女と撮ったプリクラがある。
結婚するときに、元カノのプリクラは持っていけないとおいてったものだ。
それと一緒にSDカードもあって、中には俺と彼女のハメ撮りがズラリ、全裸でヨガる彼女、セーラー服コスプレで喘ぐ彼女、そして、3枚だけ、あの先生とのハメ撮りがあった。
甘酸っぱい思い出が蘇ったが、俺は、そのSDカードはハンマーでたたき割って捨てた。
俺は、笑顔で微笑む彼女のプリクラだけ、当時の学生証のケースに入れて、持ち帰った。
そして、彼女が幸せで暮らしていて欲しいと願った。
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コメント一覧 (2件)
元カノ、郷愁にも似た思い…
先生とのセックスのところ、俺もよく似た経験したのを思い出しました