お兄ちゃんさんから投稿頂いた「再婚同士の家族のなれの果て」。
妹の初体験は12、まだランドセルを背負っていた。
相手の男は47歳、俺の実父だった。
当時大学受験で継母と東京に出て、当時37歳だった継母で初体験をしていた頃、妹は12の処女を散らしていた。
俺は受験で上京して初体験、アパート探しで上京して2回、引っ越しで2回の計5回、大学入学前に継母とセックスした。
その後も、俺が東京にいることを利用して、継母は俺のアパートを宿にコンサートや演劇を観に幾度となく上京して、俺と激しい交わりをしていた。
まさか、その間に血の繋がらない可愛い妹が、まだ性も未開発の幼い妹が、父にマゾの魂を叩きこまれていたとは知らなかった。
帰省するたび、お兄ちゃんお兄ちゃんと慕っていた妹は、俺が大学を卒業して実家に戻って社会に出た時は、セーラー服の似合う可愛い女子K生だった。
「お兄ちゃん・・・私、お兄ちゃんのお嫁さんいなりたかったな・・・」
妹のマンコを初めて見たのは、妹が23歳の時だった。
俺は結婚2年で、妻が出産で実家に戻った時だった。
妹が、
「お兄ちゃん、私、お兄ちゃんの事ずっと好きだったんだ。だから、今、お義姉さんがいない今、お兄ちゃんい抱かれたい・・・」
そう言って広げた妹のマンコのグロさに驚いた。
「私ね、亡くなったお父さんに処女を奪われたの。S6の時・・・その後も、お母さんがお兄ちゃんの所に行ってるときに縛られて、アソコを悪戯されて・・・マゾっ娘にしてやるって・・・クリちゃんも吸われて・・・」
妹のビラビラはハミ出てこげ茶に変色し、クリの突端は赤く腫れて完全剥けきり状態だった。
ハミ出たビラを広げると、まるで花びらのようにマン穴の周りを飾っていた。
「23歳の女の子とは思えないっでしょ・・・でも、彼はあまり女の子とお付き合いしたことない草食さんだから、あまり気にならないみたい・・・」
ヒクヒクしながら淫汁を噴き、卑猥な音をたてた。
「ハァ・・・キモチイイヨお兄ちゃん・・・」
父が亡くなったのは俺が24歳の時、妹はK3・・・
12から18歳までの義理父娘交尾で、父に弄ばれつくし、しゃぶりつくされ、伸びて変色した妹のマンコを愛してやった。
「アアン、アンアンアァアン・・・お兄ちゃん、好き・・・」
血の繋がりは無いとはいえ、ずっと兄妹として生きてきたから、後ろめたさが付きまとった。
父のチンポを咥えて掻き回された妹のマンコを愛したのは、妻が出産して戻る3か月間、計25回だった。
妹は25歳で結婚して、今は45歳になっている。
元々親の再婚で兄妹になったからか、父が亡くなり、俺も結婚して家を出たこともあり、妹が結婚してからは疎遠になっていた。
後に継母と妹は同居して、俺は妻子と家を建てて、俺と妹の距離は、新幹線の駅を挟んで南北に直線で20㎞離れた。
父が亡くなった時、継母には土地と建物を相続してもらった。
俺は、妹と預貯金を折半して、継母の亡き後の遺産は放棄した。
先日、継母が亡くなったと聞いて、生まれ育った懐かしい家を訪ねた。
妹に下の子が生まれたと聞いてお祝いに行った時以来だから、実に15年ぶりの再会だった。
疎遠になっているとはいえ個性上は兄妹、戸籍上は母親の告別式に出て、涙した。
母に対する涙なのか、男女の関係にあった女に対する涙なのか、わからなかった。
「あのね、お兄ちゃん・・・」
妹が話しかけた。
「お母さんね、お兄ちゃんに会いたがってたんだ。お兄ちゃんの話する時、遠くを見た目で・・・あのね、もしかして、お兄ちゃんとお母さん、私とお父さんみたいに・・・」
俺は、妹の目を見て、ゆっくり頷いた。
結局、俺達家族は、親子兄妹で全て交わりあっていた。
そして、家族の絆を壊して疎遠になってしまったのかもしれない。
「じゃあな、達者で暮らせよ・・・」
「お兄ちゃん・・・永遠の別れみたいに言わないでよ・・・」
「そうだな・・・じゃあ、またな・・・」
「うん、またね・・・」
妹の目が潤んでいた。
もしかして、父が妹を犯さなかったら、俺と妹は今頃・・・などと考えたが、家に帰って愛妻を見たら、もう、俺から妹に会いに行くことも無いだろうなと思った。
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コメント一覧 (1件)
もう、会わない方がいい。
会う必要もないし、会うべきじゃない。
赤の他人に戻ったのだから…