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童貞(粗チン)と処女(粗マン)の物語

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ム(79)さんから投稿頂いた「童貞(粗チン)と処女(粗マン)の物語」。

童貞(粗チン)と処女(粗マン)の物語

インタネットを見ていると『童貞と処女で結婚された方 – 教えて!』 と言うようなタイトルを見付けて、俺たちも処女と童貞で結婚した口で当時では〝現代の奇跡〟と、からかわれました。


式の一週間前に池袋駅前の書店で「ヤングのためのハウツーセックス」との題名の本を買い込むも実践的には解らず新婚旅行初夜へと、緊張しきった二人は成功?出来ず身体を触れ合うだけだった。
私はオナニーの経験はあるが、彼女はその経験さえ無かったのか、如何していいか分からないのは私以上だったと思う。


付き合っていた時で際、手をつなぐのも稀でキスなんてもっての外だが結構楽しいつきあいだった。
結婚した年令を言い忘れました。 私が31歳彼女は29歳

私は童貞といっても、小学低学年の時2階を間貸ししていた家族に一歳下の女の子のMちゃんが居て、昼間は親兄弟の留守の時「お医者さんごっこ」をやった事も有り。
今思えば〝ごっこ〟と言っても、かなり本格的だったのが役に立つのかもしれません。


座布団を尻の下に敷き股を広げ、指で開き〝ちょびと〟出た三角を触ったりピンク色の内側に〝ちんぽ〟をくっ付けたり、当然挿入は出来ない物のホットドッグの様に開いた〝まんこ〟にウインナーを挟むようにして腰を押し付け上下に擦る遊びは、ドキドキしながら二年間ぐらいしていた。
ある時は合せあった股が温かいのに気がついて見るとMちゃんが腰を持ち上げながら少しお漏らしをした事もある。

 三年生の頃、犬の交尾を見て隣のおばさんが「その内、子犬が産まれるね」と、教えてくれた、それからはMちゃんとの遊びもしなくなった。
五年生の頃には、ちびの私と発育のいいMちゃんとは背丈が逆転していた。


誰もいない両家共有の廊下でMちゃんが私の腰に温かい下半身をくっ付け、「前は、あの遊びしたよね」と、誘って来たが、あれをすると赤ちゃん出来ると思い、「ダメだよ」言い放った。
Mちゃんには〝あの〟遊びは、快感が在ったのだろうか、オナニーの様な事もしていたのか、あの遊びはMちゃんに悪い影響になってないかと、大人になった私は回想し心配する。

中学に成って、教会に行くようになり、キリストの戒めの“汝、姦淫するなかれ〟の言葉が気になり、思春期の私を苦しめた、女性の事を思うのも、性器を触ったりするたびに、「神様、罪深い私をお許しください」と懺悔の毎日だった、自慰と言っても包皮から亀頭少し出して指先でちょっと触ってカウパー線液をだして二・三秒の快楽が、射精だと高校二年まで思っていた、先に言ったように、体も小さく陰毛も高一の終わり頃に生え始め同級生が千摺りとか性の話に付いて行けないと同時にキリストの例の戒めに耐えかねてきた。

高三の頃、寝ながら亀頭を少しずつ剥きカウパー線液で触っているといつもより長くこすっている、快感に自制が効かなく尿意が、尿意がと起きてトイレに間に合わない枕元に先程飲んだ牛乳瓶がある、其れを持って腹ばいに瓶に小便?を脈打つようにお尻の方から快感が押し出てきた、幸いに尿だったら牛乳瓶では溢れて仕舞っただろう。


発育の悪い?私の陰茎は牛乳瓶に緩々と入る、瓶の底には乳白色の見たことのない草の匂いか、木の葉のような匂いの液体をみて、一瞬何かの病気かと思ったが、あの快感は何、久しぶり「神様、お許しください私は悪魔に身を委ねました」と懺悔と体がおかしく成ってしまったと感じ、あくる朝は起きられなかった。


学校も休み、昨日の快感をもう一度と試してみた、昨日より強く握たり亀頭をカウパー液で擦る、擦る度尻が引けるように快感が、最後は精液をタオルで受けたその夜から熱を出して本格的に寝込んでしまった。
もう、こんなことは二度とやるまいと思った。……が

家の近くに住んで居た同級生の妹さんと通勤のバスで度々一緒になり親しくなる二十八歳ごろから付き合い始め映画見る程度でも、気持ちが通じ合うので結婚。  そして冒頭に至る。

新婚二日目も至らず、旅行は笑いがとどまる事無く観光、三日目に性交し、処女の証を認めた、彼女も余り痛がらず、私も強烈な快感があるかと思っていたが、SEXって、こんなもんかと二人共SEXに執着無く儀式はおわった。

昨夜は性交が出来なかったので「小野小町の様に穴が無いんじゃないか」と冗談に妻と笑い話をした、其れを旅行の報告を兼ねて実家で、妻は母親に「穴が無いんじゃないの」と言われたと、話したら入浴の時、母親は其れは大変、有るか無いか見て上げると本気で言ったそうだ。〝この母親有りてこの娘有〟余り性に対しても他のことにも頓着しないのが最大に良い所だが。

新婚性生活は、粗チンで体力も無しテクニックも無く早漏と四重苦の私、妻も淡々と事を続けるとは言えチンポにも疲労?擦れて痛く、今のようにインタネットが発達していれば知恵を拝借できるもの、薬局でコッソリ打ち明けてみた、〝挿入が痛い〟とチュウブ入りのくすりを勧められた、男性に塗ったのか妻に塗ったのか忘れてしまったが少しは解消するもの私の体質では一日に二回戦すれば次の日は休み、二日続ければ次の日は熱を出す、

だからと言って嫌いではなく好きな方なので困る、望めば決して拒まず応じてくれる、前戯も無く少し触って挿入、射精しておわる私の身勝手な行為だが妻は其れなりに感じていたのかな、日活ポルノの様に〝あぁ いィ うぅ えぇ ぉお〟と声を出して腰を持ち上げるか、悶えさせたいが、四重苦(粗チンで体力も無しテクニックも無く早漏)ではままならぬ。

何時でも応じてくれる妻にも三つの禁じ手がる有り
第一は、全裸にならない、上半身は何かを纏っている、理由は隣に子供が寝ていて何時起きるかわからない。
第二には、マウスtoマウスのキス、舌を入れるなんて以ての外。


第三は、性器を舐める事。舐めようとすると手で覆い、膝を強く閉ざして絶対舐めさせてもらえません。
なぜだか分からないけど、羞恥心が強いのか、強引にする事は良い事でないので以上の三つは私も強要しなかった。

そして30年淡々と月3,4回のSEXを続けその間に3人の子供も儲けるも、正に淡々とした夜の性生活だった。
その後前立腺肥大の疑いで投薬治療で勃起も無く陰茎は人差し指程度に細る、稀に出来そうになったから急いで挿入しようとすれど門前で衰退。


今日も駄目だったかと十年間八十歳に近付き、せめてもう一度妻にしてやりたいの気持ちで、ED治療薬を恐々購入し試したら挿入射精まで出来た時の二人の驚き、その一声を密かに伝えたいと、ED薬の購入レビューに(Next‐Lにム(79)の名前で)投稿してしまつった。

ED薬の使用であるが、若かった頃の負けずに、月4,5回と和合。
素裸に成った事も無い妻も冬でも全裸になり、性器も嫌々舐めさせて貰えたが今では自分から喜んで舐めさす迄に変わってきた、若い頃は「SEXのどこが好いの」と言ったようにマグロ状態だった、私は妻が不感症ではないかとさせ思った事も有った。

今では行為中に声も出し、首を左右に振り快感に耐え、求める様に時折腰さへ上げる、こんな姿は若い頃観る事も体感する事も殆ど無かった。
「せめてもう一度妻に」がこんな羽目になるとは、私もそれに呼応す様に頑張る昨今である。
終わった後、妻が「この歳(私80歳妻77歳)で○○している人って居るのかね、」と私は「居るんじゃないの」と。

二人の健康状態なら後一二年は出来るかな。

粗チンと粗マン、今が最高の性生活……さて今夜も

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