としおさんから投稿頂いた「犬越路紀行」。
犬越路は、易しかった。
ガイドブックを読むと、危険極まりないように書いてある。
ここはかなり危険だ。落石が頻繁に起こる。随所で崩壊している。ベテラン向きのグレードだ。初心者には勧められない(東海自然歩道30選 塚本義次著)。
傾斜のきつい容赦ない登りが続く。ハードコースの連続(おうふく東海自然歩道 今野銀河著)。
丹沢の峠の中で最もユニークな存在。急峻で険しくて深い。路は、あると言うは名ばかりで、これを越すこと自体、まさに一つの登攀だ(丹沢記 吉田喜久治著)。
また、ある紀行文には、渡渉を何度も繰り返さなければならない、とある。
地形図を見ると、犬越路は、どちらから登っても、谷を登って谷を下る。天候には相当左右されるルートなのは分かる。しかし仮にも「東海自然歩道」だ。一般のハイカーが、通れない道を選定するだろうか。
先の文章を読んだらどう思うだろうか。ハイキングを趣味にしている程度の人では、尻込みしてさそまうに違いない。
今回やってみて、ハイキングをやるほどの人なら、犬越路は、誰でも行かれます。
天候に配慮さそたり、落石に注意することは当たり前で、高尾山や、石老山のような低山に登るときでも同じで、犬越路に限ったことではない。必要以上に恐怖心を煽るよいおなことは書かないで欲しい。
冒頭の一行は、それらへの反発ではない。
花々や、小鳥のさえずり、日陰沢のせせらぎ、山桜あり、ミツバツツジがほころび始めている。恐怖心を感ずるような箇所は、1ヵ所もなかった。のんびり歩ける峠道だった。
信玄は、肺病でありながら、この犬越路を越えたという。軍用犬を先頭にして越えたというのが、犬越路の名の由来になったという。
ゆっくり歩いても、二時間もあれば、峠に着く。
紀行文や、ガイドブックのオーバーな表現やウソを見破るには、やって見るしかない。自分の足で現場に踏み込んでみるしかない。
5月6日。晴れ。
今回、茨城の笠原サヨさん、51歳が同行してくれることになった。スミレのような床しさがある。
芭蕉の、山路来て なにやら床し スミレかな、を彷彿とさせます。
前の夜、鶴屋旅館に泊まることにした。
入浴の時、われ等二人を夫婦だと思って、
「一緒に入って下さい」という旅館もあります。
言われないのに、「一緒に入ってもよろしいですか」とは聞きにくかった。別々に入るしかない。
部屋に戻ると、和室には、すでに二組の布団が敷いてあった。それを寄せてくっつけた。
サヨさんが、風呂から戻ってくるまで、布団に入っていた。5月といっても、この数日は、冬に戻ってしまった。寒さに敏感なサヨさんのためにも、暖かくなると思った。
部屋のテレビでは、北朝鮮のミサイルの報道をしきりに流していた。
こちらのミサイルも臨戦態勢といかなければ………。
サヨさんが、バスタオル一枚を巻き付けて戻ってきた。見えている肌は雪のように白い。サヨさんは、岩手の生まれだそうだ。そして、柳腰が楚々としている。豊満なエロティックさにない色気をかんじた。
布団に滑り込んでくる前に、着けていたバスタオルをかなぐり捨てて、
「電気消して」、と言ってすがり付いてきた。
暗ければ、男が何でもしやすいとでも思ったのだろうか。
「愛してりりよ」耳を噛む前に囁いた。
サヨさんは、ボクの背中に両手を回してしがみついてきた。
耳に息を吹きながら、耳たぶを唇で挟んだり、そっと噛んだりした。
ぼくたちの初めてのとき、サヨさんは、
「主人と一生分やっちゃった………」
唇が首筋をなぞった時、サヨさんは、右足を大きくボクの腰に巻き付けてきた。
サヨさんの股間が目一杯開かれているのを想像した。
「サヨちゃん、お乳ちょうだい」
乳首をまだ吸わないで周りの膨らみに唇を這わした。
「若いお乳だね」
乳房は、お椀を伏せたようで、張りがあり、若いままだ。ご主人に一生分愛されたからに違いない。ぼくは、それを打ち消すよいおに、左の乳房に手を添えたまま、右の乳房を「ちゅうちゅう」吸い続けた。
「気持ちいい、気持ちいい」
乳首に移ったとき、ウーンと呻きながら仰け反るのが分かった。
窓に道志川から吹き上がってくる風が当たってあおる。
乳房からほんのりと香りがする。
少しずつ、体をずらして行った。女性にとって一番恥ずかしいことをするために。
サヨさんは、腰を競り上げてきた。
〈そうか、サヨちゃんは、じれったかったんだ〉
「オマンコ舐めて❗」
唇を張り付けた。
「いい、いい、いいよー」
ガランとした和室に響き渡った。
「感じちゃうよー」
舐め上げる度に、ピクン、ピクンと体を弾けさせた。
どうなってるだろうか。蜜のアリカを探しにいった。そこは、乾いたスリコギをも飲み込みそうになっていた。
舌で壺のヘリを撫でまわした。
サヨちゃんは、腰を競りあげながら、
「もう来てちょうだい、早くちょうだい」
これが欲しいのかい、と壺口にあてがった。
陰茎を押し込むほどのこともないのだが、女には挿入の衝撃が欲しいのだと言います。
一度、根元までいれてから、一気に抜いて、満身の力を込めてググググっと、挿入してやりました。
サヨちゃんは、すぐに爆発しました。何度も何度も峠を迎えました。ご主人とはやらないという後交為でやりました。犬越路に因んで………。
難しいという犬越路も無事に登り終わりました。
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コメント一覧 (10件)
20数年前の話になりますが、私も西丹沢の檜洞丸から犬超路コースに、30歳近くも年上の伯母の山行に同行した忘れられない思い出があります。
単独山行では不安だという伯母に山行の同行を頼まれて、箒杉にある民宿に前泊。
着替えの伯母の下着姿の欲情してしまい、隣で寝ていた伯母の布団で、半ば強引に困惑する伯母に童貞をささげると同時に、近親相関をしてしまいました。
民宿なので、大声で怒号を上げることができず伯母は困惑したまま、根負けして受け入れてくれたのですが、翌日早朝出発にもかかわらず4回も性交してしまい、睡眠不足と体力消耗で山行途中わずか数時間で、2人ともバテてしまい、伯母は、「まさか、私があなたと関係を持つなんて、あり得ないわ」の連発で、下山するしか選択できない状況でした。
昨晩に、閉経した伯母からコンドームは使わなくても大丈夫・・・の一言が、脳裏から離れずに興奮してしまい下山する途中に、沢の開けた場所がありそこでも我慢できずに、登山道から外れた場所で、ブヨに刺されながらも、昨晩と違い、初めて聴いたこともないような喘ぐ伯母をバックで性交してしまったをことを思い出しました。
伯母とは、連泊や前泊で山登りに行くという口実で密会していましたが、誰にも言えない懐かしい思い出です。
追記
地名表記間違っておりました。西丹沢の登山口 箒杉ではなく箒沢です
先ほど伯母に、確認のLINEをしたのですが、箒沢ではなく中川温泉の信玄隠し湯旅館だったのでは?とのことですが、記憶が前後しております
大倉から塔ノ岳まで登り山小屋で1泊、丹沢山から檜洞丸、犬超路コースで下山し、バスで中川温泉で宿泊した記憶がありますのでそれと混乱?
真面目な大学講師だった当時の伯母は男性経験が乏しく、山登り以外で、2人で密会するホテルのAVでは驚喜するレベルで、信じられないの連発。
「お父さんとこんなことしたことないわよ!」
と、口淫も拒否されていましたが、20数年前からの伯母との禁断の関係を両親や伯父や従弟らが知ったら卒倒するでしょうね。
単なる伯母の山登りの同行しただけなのに、突然予期せぬセクシーとは無縁の下着姿とノーブラに興奮してしまい理性が暴走し人生が変わってしまいました・・・・・
バードパーティー様へ
私どもの山行記をお読み頂まして、誠にありがとうございます。
そして、あなたの伯母様との初交から、めくるめくような山中での性交に新鮮な勃起力を得てしまいました。登山のご愛好家に拙文がお目に止まりましたこと、嬉しく思います。
バードパーティー様
犬越路紀行をお読み頂まして、誠にありがとうございます。
コメントにあります伯母上との初交から山中での性交に新鮮な勃起力を得てしまいました。登山のご愛好家に拙文がお目に止まりましたこと、嬉しく思います。
当時のこと、色々と、忘れていた記憶が蘇りますね・・・・
睡眠不足かつ体力消耗で目指した檜洞丸ですけど、民宿を早朝スタートして、橋を渡り、登山道をスタートして10数分でペースが落ちる有様でしたよ
なんとか板小屋の沢の河原に到着したときにすでにお互いバテている状況。
河原で小休止のはずが、リュックを置くともう立ち上がるのが怠い、で早々下山を選択したのですけど、とりあえずEPIガスを組み立てコーヒーを飲むために中腰で水を沸かす、伯母のフィールドパンツから腰パンの小豆色のパンティーと汗だくのTシャツから透けるスポーツブラの後ろ姿に、またもや興奮し理性が崩壊し、伯母の生暖かい膣内と伯母の衣類や下着に2度も暴発してしまったのです。
脳裏にリフレインする、昨晩寝床で妊娠を気にする初心な私に言われた、もう閉経してるから生理は無いのよの一言も、違った意味で興奮させられていたのも事実です。
最後は、2人で疲弊した体力で下山し、箒沢のバス停にたどり着いた記憶があります。
バードパーティー様へ
コメントがダブりました。すみません⤵️
バードパーティー様へ
あなたの体験記は、ご投稿なさっていらっしゃいますか?
としお様
20数年前の記憶を、伯母と思い出しながら近日投稿してみたいと思っております。
箒沢のビジターセンター先のつり橋を渡り檜洞丸に向かったものの、当時の私も伯母も睡眠不足と体力消耗で、板小屋沢に到着するのが限界で下山を選択したのを思い出しました。
登山者が少ない西丹沢ですので、私は困惑し、嫌がる伯母のフィールドパンツと使い古した小豆色の色気のないパンティーを強引に脱がし、スポーツブラの中のBカップの乳房を揉みながらバックで挿入しました。が、当時の私は、童貞喪失の翌日。
経験値がないので、強引に伯母の火照る膣に挿入してわずか数分で白濁液を膣内に放出し、若気の至りか?萎えないので、まだ我慢できずにそのままストロークしながら再度放出し、泣き叫ぶ声とは違う伯母の悶える声を聴きながら静寂な沢の音だけのする空間で、絶頂間を満喫するだけでした・・・・
実は、下山した後に小田原駅の駅前の喫茶店で
「あなたが、私にやったことは、間違っているのよ?この先どうするのよ?私には主人がいるのよ!」と延々説教を受けてしまいました。
バードパーティー様
、
リアルな、山中での性行為は、刺激的です。大学講師の伯母上の熟れた陰部は、なんて想像を逞しくしてしまいます。投稿を期待しています。尚、ボクには、教師をしている妻がいます。恥ずかしいですが、妻の恋人を許してしまっています。
バードパーティー様
笠原サヨさんは、ご主人と一生分愛された後、間もなくご主人は、亡くなりました。若いサヨさんに食指を伸ばしてくる男が多かったようです。
俗に50、ゴザかじりと言います。ご主人から、これでもかというほど夫婦生活の喜びを味わったといいます。オトコなしでいられない体になっていたわけです。ご主人の部下がよく呑みにかきていた、その部下と自然に結ばれるようになったと話してくれました。彼が焼き餅やきで、山へ行くと詮索するようになったと言います。山へ行くと決まると毎晩、サヨさんの家に来て性交をせがむのだと言います。
そんなサヨさんと東海自然歩道を歩くようになりもした。ボクが静岡、彼女が茨城ですから必然、泊まりの日程になります。最初が肝心だと思い定めていました。後で、サヨさんが言うのに、「拒むつもりが、かえって合わせちゃったみたいね」。まあ、お互いにその積もりだったのかもしれもせん。以後、高尾山から始めて、静岡の竜爪山まで来ました。