健太さんから投稿頂いた「遠い昔の故郷での淫らな記憶とバブル時代の狂気の徒然」。
五十路のオヤジです。
私が子供の頃、東北の地方都市に住んでいました。
田舎とはいえ、私が中学生の頃に開通した新幹線の駅がある街で、母子家庭の私は、市街地のど真ん中に鎮座する小高い山裾を流れる小川沿いに建つ戸建ての貨車に住んでいました。
私は、父親の顔を知らず、週に何度か紳士が母を訪ねてきたのですが、S学校高学年になると、その時は私は数時間家を出ていなければなりませんでした。
今は、それが意味するところを理解できますが、幼かった頃は、特に冬は居所がなくて、近所の小さな公園で震えていました。
そんな私を見かねて、公園の裏にあるアパートのお姉さんが部屋に入れてくれました。
当時、私はS学5年生だったと記憶しています。
そのお姉さんは、凍える私を抱きしめてくれました。
幼いながらに、お姉さんはいい匂いがして、勃起してしまいました。
お姉さんは笑いながら、ズボンの上から勃起を撫でてくれて、
「可愛いわねえ・・・ズボンとパンツ、脱いでごらん。」
と言われて、長に勃起を晒しました。
お姉さんは、仮性包茎の皮を完全に剥いて、当時は珍しかった化粧用のウェットティッシュで恥垢を拭いながら、
「お風呂に入った時は、こうやって皮を剥いて、石鹸で洗わないとダメよ。」
と言いながら、亀頭をウェットティッシュで拭いてくれましたが、私はあまりの快感にアヘアヘ状態だったのを覚えています。
あれは、S学男児に対する亀頭責め、感じる男児を見て楽しんでたんだと思います。
それは、母を紳士が訪ねてくると毎回行われるようになり、私がC学1年の晩秋の頃、亀頭責めからの手コキで精通しました。
内股がザワザワしてきて、
「なんか変・・・お股が変・・・」
と言うと、お姉さんは察してティッシュを亀頭にあてがい、ダラダラと溢れる精液を受け止め、
「ボク、大人になったね・・・」
と言うと、射精を終えてもビクビク脈打つ陰茎にコンドームを被せ、お姉さんも下半身を脱ぐと、仰向けになって陰茎を膣口に誘導、私は⚫︎3歳で童貞を卒業しました。
不思議なもので、陰茎が膣内に挿入されると、教えられたわけでもないのに腰を振り出したのを覚えています。
私がC学生の頃、新幹線が開通、東京への修学旅行で初めて新幹線に乗りました。
お姉さんで女を知った私でしたが、お姉さんは私がC学を卒業すると同時に、
「私ね、東京で働くことになったの。だから、今日でお別れ。元気でね。バイバイ。」
「お姉さん、さよなら・・・」
凄く淋しくて、部屋で泣いたのを思い出します。
進学した高校は県立で、当時は男子校でした。
学校の帰り、公園の脇の道路を通るとき、お姉さんがいた部屋を見つめて、お姉さんを思いました。
高校1年の夏休み、午前中だけ補習があって、その帰りに街をぶらついて本屋に入ると、中学の同級生の聡子と再会、中学の時とは違うセーラー服が妙に大人びててドギマギしました。
中学時代は子供っぽかったのに、色気を感じて眩しくて、誘われるままに一緒に帰りました。
聡子と休みの日に会う約束をして、私が住んでた貸家の裏の小川の向こうにある小高い山でデートしました。
小高い山には、ところどころに小さな集落があり、街なかにあって里山でした。
少し上ると、坂の両側に10軒くらいの集落があって、その中の1軒の茅葺の家の鍵を聡子が持ってて、中に入ると、
「ここね、お父さんの実家で、一昨年までおばあちゃんが住んでたんだけど、今、施設に入ってて空き家になってるの。上がって。」
エアコンなんてなかったし、結構暑くて、階段を上がると小部屋があって、
「この部屋に小さいときにお泊りしたんだ。」
と言うと、聡子は私の前に立ち、
「健太君・・・好きだよ・・・」
と言って、キスしてきました。
お姉さんとはセックスはしましたが、キスは聡子が初めてでした。
自然にしたが触れ合い、絡まりました。
当然、勃起して来て、お姉さんとのセックスで培ったために、自然に聡子の胸を揉み始め、スカートの中に手を忍ばせ、パンツの上から淫裂をなぞりました。
見つめ合い、服を脱ぎだす二人、裸で抱き合い、聡子の足を開かせ、ウブな膣口を覗きました。
脱いだズボンから財布を出して、お姉さんからもらったコンドームを取り出し、陰茎に装着して聡子の処女膜を貫きました。
こうして、私と聡子は結ばれたのです。
私と聡子は、夏休み中は、小高い山でデートし、あちこちにある祠や神社の裏でキスしました。
そして、聡子の祖母が住んでた家の2階でセックスに励みました。
夏休みが終わると、当時は土曜の午前中に学校があったから、午後からセックス、日曜は午前中からセックスに励みました。
その後、高校を卒業すると、聡子は地元の国立大学へ、私は東京の私立大学へ進学しました。
学費は、母を訪ねてきた紳士が全部出してくれたので、きっとあの紳士が乳なんだと思います。
聡子と最後のセックスをして、
「健太君・・・お互い、頑張ろうね。いつかまた会えたら、笑ってお話しできたらいいね。」
「聡子、元気でな。さよなら・・・」
「さよなら健太君。元気でね・・・」
聡子に見送られて新幹線で東京を目指しました。
私が上京した頃、空前の好景気で、後にバブルと呼ばれた時代でした。
大学生も狂ってて、合コンで一気飲みして急性アル中で救急搬送される学生もいたような、今でいうパリピ状態で、ノリで初顔合わせでラブホで交わったり、セックスのハードルが低い時代でした。
大学のサークルは旅行クラブに入ってましたが、半分ヤリサーのようなもので、部員の女の子のうち最上級生以外とは、おそらく全員と関係してたと思います。
バイトもセックス目当てで、奇麗なOLのお姉さんや、お色気たっぷりの人妻OLとタイ液まみれのセックスを繰り広げていました。
あの頃は本当に狂ってて、旅行クラブの合宿と称して旅行先で同じ旅館に泊まるんだけど、いけにえの女子大生を寄ってたかって凌辱して、その様子を8ミリビデオで撮影してました。
酔っ払ってる後輩の女子大生に、男子学生数人が寄ってたかってヤりまくりました。
オロナミンCのボトルにコンドーム被せて、それを膣と肛門の両方の穴に挿入したり、中にはアナルセックスに挑む者もいました。
しかも、そんな事されてる女子大生が、感じまくって喘いでいました。
男子学生2人に両方の穴を同時に犯されながら、呂律が回らない、だらしなくヨダレを垂らして喘いでる女子大生は教育学部、数年後は清楚な出で立ちで教壇に立ったわけですね。
また、別な女子大生は裸で大の字に縛られ、男子学生に股間を凌辱されていました。
いろんな野菜などにコンドームを被せて、膣にバナナ、肛門にキュウリを入れられて感じて大笑いされている動画などが、股間のアップで撮影されていました。
また、女子大生数人を並べて大の字に縛って、一人ひとり、股間のアップで陰唇広げたり、陰核の皮めくりあげたり、性器比べされた後、挿入されて味比べされる動画もありました。
まだネットんどない頃、デジタルコンテンツが流出なんて考えもしないアナログな時代だからできたことで、うら若き乙女たちが玩具にされていました。
このようなバブル時代の狂ったサークル活動は、次第に変化しながらエスカレートして、後に完全ヤリサーのスーパーフリー事件に発展していったのです。
私が社会に出た頃、世間がバブルが弾けたことに気付き始めました。
就職は故郷に戻らず、そのまま東京に残りました。
27歳で24歳の妻と結婚して、二人の子供を儲け、来年、結婚30年を迎えます。
今年、久しぶりに故郷に行ってきました。
7年前、年老いた母を引き取ろうと思いましたが、東京には来たくないと故郷の施設に入り、一昨年亡くなりました。
遺言に従い、本家の墓に埋葬しました。
本家の墓は、昔住んでた戸建ての貸家の裏手にある小高い山裾にあり、今年、三回忌法要で帰郷した際、少し、懐かしい街なみを歩いてきました。
故里はだいぶ変わってて、山裾にあった小川は20年くらい前に地下化されて、大きな幹線道路になっていました。
戸建ての貸家は今年行ったら無くなってて、更地になってました。
昔の記憶をたどって、小高い山に登り、聡子と身体を重ねた茅葺の家は、何やら集会所みたいな施設になってました。
高校時代は毎週昇ってた坂でしたが、この年になって登るとかなりきつかったです。
帰り道、バスに乗らずに歩いてみました。
公演の裏手にある、あのお姉さんが住んでたアパートは、新しい軽量鉄骨のアパートになってて、聡子の実家を探しましたが、記憶が曖昧でわかりませんでした。
高校を卒業してから、聡子には一度も再会することはありませんでした。
あんなに激しく愛し合った仲なのに、聡子の顔も思い出せなくなっていました。
「聡子・・・また会うことも、笑ってお話しすることもできなかったなあ・・・」
そう呟いて、故郷を後にしました。
私にとって、故郷に拘りがないのは、実家が存在しないからだと思います。
だから、盆と正月くらいしか帰ることがなく、母には淋しい思いをさせてしまいました。
年に何度か、母が演劇鑑賞で上京した時は、数日間私の家に泊まって、孫と遊んで帰ってましたが、子供たちが大きくなると、長居することも無くなっていました。
母が亡くなり、もう、帰郷する機会が激減しました。
そんな故郷に、久しぶりに母の三回忌で帰郷して、色々思い出に耽ったので、記憶に残る故郷の記憶と、バブル時代の狂った学生生活の一部を書き記してみました。
長文、失礼しました。

感想などコメントをどうぞ!投稿していただいた方の励みになります!
コメント一覧 (2件)
いい話ですね。
里山の風景が目に浮かびます。
あれ?
それ信夫山じゃない?
祖父の家があって、子供の頃遊んだ記憶があるよ。