元性奴女さんから投稿頂いた「あの人と暮らしたセックス部屋のある一戸建ての思い出」。
あれから何年経ったのでしょう。
私が20代前半から半ばまでの頃、もう、遠い昔の記憶です。
おんぼろな一戸建てで平屋の貸家、雨が降るとトタンの屋根がうるさかったのを思い出します。
一回り年上のあの人と、ずっと一緒に居たい、ただそれだkで一緒に暮らしていましたが、一戸建てにしたのは、セックス専用のお部屋が欲しかったからでした。
お休みの日は、朝から晩までセックスしていました。
ビールケースをひっくり返したベッドに布団敷いて、カビ臭い和室で、あの人に抱かれてイカされていました。
あの人は、私をわざと恥ずかしい格好にさせて、セックスしていました。
足を思い切り開かせて、淫らな結合部を姿見に映して、綿者自分のアソコにあの人の太いものが抜き差しされて、ビラビラがめくれる様子を見せられました。
そして、快感に淫らに喘ぐ姿を見t¥せられて、その羞恥にまで感じていました。
あの人は、一度果てると、今度は私を恥辱の姿に縛り上げ、アソコを責めました。
ローター、ディルド、バイブ、陰毛を反られてツルツルにされ、更にクリトリスを吸引されて大きくされ、そこにピアスを姦通されて、性奴に隷従することを誓いました。
あの人に性生活の全てを調教されて。そしてすべてを捧げていました。
いけない事とは知りながら、被虐快楽へ堕ちていきました。
もはや、あの人を愛してたのか、快楽が染み込んだ身体が離れられなかったのか、どっちなのか分かりませんでした。
恥辱の姿をデジカメで撮影され、その姿が雑誌へ掲載されたこともありました。
アソコの中、お尻の穴、もう、何もかも見せるような、あんなセックスはあれっきりでした。
あの人と暮らしたのは3年間、世の中は、ミレニアムに沸き、日韓ワールドカップに沸いていました。
お別れは、あの人の持病が悪化して、空気の奇麗な田舎の診療所に入ったからでした。
「俺の事は忘れろ。俺と一緒に居ると、俺を看取ることになる。俺は、おそらく長くない・・・いいな、俺を忘れて、まともな男の嫁になれ。」
「わ、わかりました・・・3年間、ありがとうございました。さよなら・・・」
あの人を見送って、クリトリスのピアスを外してあの人にお返しして、あのお家を出て、私も東京を去って帰郷しました。
あの人の言いつけ、守りました。
故里で、町役場に勤める4歳年上の男性とお見合いして、私27歳、夫31歳で結婚しました。
朴訥とした夫は、女性慣れしておらず、キスもセックスもぎこちなく、教科書通りのセックスをしました。
私は、疼く身体を必死で抑えて、夫に身体を委ねました。
夫は、女性のアソコが珍しいのか、今でもシゲシゲ眺めます。
生まれた一人娘も今年から高校生、平凡な幸せの中、暮らしています。
あの人が診療所で、いつ、どんな最期を迎えたかは知りません。
もしかしたら、まだ存命かもしれません。
遠い昔の事ですが、今も忘れられないです。
あの人が乗ってたグリーンのミラジーノ、今はめっきり見る機会が減りましたが、時々見かけると、あの頃を思い出します。

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コメント一覧 (5件)
俺も昔、戸建ての貸家で女と暮らしてた。
貧しかったけど、幸せだった。
でもある日、女が置き手紙を置いて、消えた。
一年間その家で帰りを待ったが、帰って来なかった。
俺もあの家を出た。
そんな昔を思い出したよ。
私も若い頃、新婚の元妻と戸建ての貸家に住んでたっけな。
10年住んで、家を建てることになったころ、リーマンで俺が失業、新築どころじゃなくなった。
このままじゃ家族共倒れだから、妻と娘を実家へ返しました。
そして、自分は実家を頼って南東北の故郷へ帰り、再就職しましたが、今度は東日本大震災で職場は流されてしまいました。
実家は無事でしたが、あっという間にまた無職でした。
それでも何とか頑張って働き、今はアラフィフオヤジですが、何とか生きてます。
再婚はしませんでした。
今年娘は22歳、どんなレディになっていることでしょう。
養育費も送れなかった父親に、会う資格はありません。
ただ、元妻と娘の幸せを祈るだけです。
グリーンのミラジーノ、昔乗ってた。
その頃の元カノ、思い出した。
元気かな。
元カノがミラジーノ乗ってた。
白いラインが入ったやつ。
今、どこでどうしてるかな。
ミラジーノ、思い出す人がいる。