昔の彼氏さんから投稿頂いた「あなたに処女をあげたかったと言った忘れられない裕子」。
三毛猫を見ると思いだす、昔の恋人、裕子・・・今も心から消えません。
本当は、裕子と一緒になりたかったです。
ずっと、どこまでも一緒に手を繋いで、人生を歩みたかったと思います。
妻と結婚して幾年月、妻も素敵な女性ですから幸せですが、でも、裕子との恋が、あれが本当の恋だったと思います。
2歳年下の裕子とは、私が22歳から25歳までの3年間、新卒社会人として、一歩踏み出した頃に付き合っていました。
3年間という長い時間を共に過ごしたから、ある習慣を裕子が私に残しました。
私の身についたその習慣、今でも何気にしてしまいます。
その瞬間ハッとして、胸が震え、裕子を思い出すのです。
裕子と当たり前のように抱き合い、唇を重ね、愛を誓った日々・・・その記憶は決して消えることがありません。
20歳の裕子は、短大時代の初めての彼氏に処女を捧げてしまったことを、いつまでも悔やんでいました。
「ああたに初めてをあげたかった・・・」
「俺だって大学時代に彼女がいたから、お互いさまさ。」
と言ったものの、本心では裕子の処女を奪った彼氏が憎かったし、嫉妬していました。
清楚で大人しくて、正統派の美人だった裕子は、どう見てもセックスなんかしたことなさそうでしたが、大切な処女膜は、すでに見知らぬ男に破られていました。
一生の思い出になる裕子の貴重な初体験は、私ではないのです。
裕子は、私に生挿入、膣外射精を許していました。
そして、基礎体温を管理して、安全な日には、膣内射精をも許してくれました。
それは即ち、前の男にもそうさせていたと考えるべきで、裕子の処女膜は、我慢汁で濡れる生の亀頭で引き裂かれたに違いありません。
そして安全日の中出し・・・まだウブだった裕子の膣に生で陰茎を突っ込み、精液を大量にぶち撒け、裕子の膣内の粘膜の襞の隅々に遺伝子を染み込ませたのです。
欲望に任せて、つい最近までセーラー服を着てた18歳の美少女に、膣内で感じるまで淫乱を仕込むほどに生殖行為をしておきながら捨てられた、裕子の膣は使い古しなのです。
3年交際した時、裕子が吐血して救急搬送されたと聞かされました。
暫く面会が禁じられ、一時回復した時、裕子は、
「ごめん・・・さよならしよ。私、長い療養が必要なんだって。ここじゃない、空気の澄んだ療養所に行かなきゃならないの・・・」
その時、裕子のご両親と初めて会いましたが、裕子との将来は諦めて欲しいと言われました。
裕子がこの街を去る日、30㎝くらいの三毛猫のぬいぐるみを渡しました。
それは以前、デート中に私と裕子に懐いてきて、裕子が連れて帰りたかったけど、鈴のついた首輪をしてたから諦めた猫に似ていました。
裕子は私の気持ちに気付いて、
「ありがとう。可愛がるね・・・」
と言って、去って行きました。
裕子の行き先は、教えてはくれませんでした。
私には、新しい人と、新しい人生を歩んで欲しいと言い残し、去って行きました。
その後、完治したのか、まだなのか・・・どこにいるのか・・・生きているのか・・・私は知らないままなのです。
そして、裕子と別れて4年後、私は30歳で、26歳の妻と結婚しました。
結婚式の数日前、意を決して裕子の実家を訪ねましたが、裕子のご両親は、もう住んでいませんでした。
あれからずいぶんと年月が過ぎました。
私の子供たちも成人し、家を離れ、私は妻と二人、定年まであと何年だねと、カウントダウンをしています。
この歳になっても、たまに妻と枕を交わします。
妻とは、それほどに仲のいい夫婦で、妻の閉経した子宮に精液を注ぎ込めば、妻は歓喜の笑みを浮かべます。
妻を、心から愛しています。
気持ちよく晴れ渡った日には、空を見上げて、裕子はどこで、何をしてるのか、どこかで生きていて欲しいと、長年思いを馳せてきました。
ともに人生を歩むことはできなかったけど、仮にも将来を誓い合った裕子が、今でも私の心の支えになっているのです。
24歳の妻が処女でなかったとき、初めてじゃなくてごめんと言った時、裕子だってそうだったじゃないかと、妻の過去ごと愛せました。
だから私は、こうして、ずっと裕子を忘れることなく、裕子がくれた妻との暮らしだと思って、裕子に感謝しながら生きてきました。
そして、これからもそうやって生きていこうと思います。

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コメント一覧 (5件)
いいお話ですね。
これは泣けます。
消息、知りたいですよね。
忘れていこう
沁みるなあ…
もういいでしょ