賢哉さんから投稿頂いた「ナイスバディのミスキャンパスと過ごした淫らな日々の思い出」。
私の初体験はK校1年生の夏休み、相手は当時45歳の伯母、と言っても、父の兄の奥さんだから血縁関係にはありませんでした。
伯母の家は高校の通学路途中にあって、一人娘の従姉は大学進学で家を出ていて、昼間は伯母一人でした。
進学校だったから、夏休みも7月中は補講があって、午前中は学校に行っていました。
学校の帰り、叔母の家の前を通ると、伯母が昼飯食っていけというので、冷やし中華を食べて、食後に横になってゴロゴロしていました。
すると、座ったおばのスカートの奥が見えて、つい、勃起してしまいました。
今考えると、あれは伯母の誘惑だったんだと思います。
わざと見せつけて、甥っ子の若いペニスを狙ったのでしょう。
勃起を気付かれ、ズボンの上から撫でられてI6歳のペニスは暴発寸前、ズボンとパンツを下げられ、コンドームをk部せられて、騎乗位で童貞を卒業しました。
夏休みの平日、毎日叔母の手解きを受け、女体の扱いを学びました。
そして伯母に、
「賢哉、お前、オチンチンデカいね。」
と言って物差しで測られ、長さが17㎝あるのは大きいんだと知りました。
夏休みが終わっても、時々伯母と関係していました。
I6歳で大人の女を知ると、高校の女教師や保健師に女を感じてしまうようになり、女子高生に魅力を感じなくなりました。
そして、K校を卒業して、大学進学で上京、大学では、同じアパートに住む2学年先輩のメッチャ綺麗でお色気お姉さんに恋をしました。
女子大栄とは思えない大人びた先輩は、あの若さですでに妖艶な色香を漂わせていて、聞けば昨年、ミスキャンパスに選ばれたと知りました。
女体を知ってる私は、臆することなく先輩に接したら、とても可愛がられるようになりました。
折しも先輩は恋人だったイケメン先輩が卒業してフリー、可愛い新入生を誑かしに来ました。
私はそれに乗っかり、お姉さんが教えてアゲル的な流れで、下半身を脱がされ、
「まあ、いい物持ってるじゃない・・・」
と17㎝砲に跨られて騎乗位で童貞卒業するフリをして、腰振る先輩がどこで感じてるかを把握、今度は攻撃に転じました。
「えっ?ええっ?・・・ああっ!ああ~~・・・」
先輩は仰け反り、四肢を突っ張って痙攣、アクメに昇天しました。
「嘘でしょ・・・チェリー君じゃなかったの?」
この日以来、外では先輩後輩でしたが、二人きりになれば、先輩は私の性奴隷でした。
ミスキャンパスの先輩は、大人びた端正な顔立ちでぱっと見アラサーOL、かなりの美人で、身長は165cmあり、スリーサイズはB88、W59、H86のナイスバディでした。
黒髪ロングで、鼻筋がスッと通ってて、少し垂れ目なところがセクシーでした。
すっかり17㎝砲の虜になった先輩は、私のペニス欲しさに外でも甘えるようになってしまい、学校中に関係が知れ渡ってしまいました。
先輩は私の言ううことはなんでも聞き入れたから、ハメ撮りもできました。
ビデオカメラの前で、亀頭を咥えこみ、吸い付くようなフェラを見せたり、クリをぐりぐり弄りまわすオナニーを披露しました。
一見アラサーOLですが、若いので肌はハリがあり、ムチムチのボディーと程よい巨乳もプルンプルン、男の性的な欲望が爆発する上玉でした。
先輩はセクシーな容姿でドエロなセックスをするから、最高のハメ撮りが楽しめました。
一心不乱にフェラする姿や、自らオマンコを広げて誘う様子は、ミスキャンパスのイメージが崩壊する淫乱さでした。
ミスキャンパスの美貌がフェラしてる時の表情はたまりません。
それは、こんな綺麗な顔して、勃起ペニス大好きなド淫乱なんだなと感じさせます。
もちろん先輩とは生セックス、正常位でオマンコの天井を擦りつければ、ヒーヒー大ヨガりでナイスバディを喘がせます。
髪を振り乱し、?カップを揺らすその姿は、まるで若妻役のAV女優でした。
思えば先輩とは、セックスばかりしていました。
同じアパートだったから、毎晩一緒に寝てましたので、朝、先輩が朝起ちに跨って一発、それから講義に出かけました。
昼休み、先輩と部屋に戻って二発目、午後の講義に出て夕方、サークル活動の前に部屋に戻って三発目、夜は風呂場で四発目、そして寝る前に五発目なんてこともありました。
特に寝る前のベッドでのセックスは、ゆっくりじっくり前戯してからハメてたから、最高に盛り上がって先輩のヨガる悲鳴が絶叫レベルで完全燃焼してましたが、声は外に漏れてたでしょう。
安全日が土日に当たると、抜かずの三発で先輩が白目を剥いていました。
先輩のイキ顔を眺めながら、?カップを揉んだり、乳首を舐めたりしていると、先輩の中で再び勃起しました。
先輩も求めてくるから、激しく交わりました。
抜かずの三発の後は暫くインターバルを置き、買い物に出たり飯食いに行ったりして、帰るとまた中出しセックスを繰り返しました。
夜寝る前には、オマンコとペニスがヒリヒリしていました。
若いって凄いなと、今は思います。
先輩は関西のとある名士のご令嬢、だから卒業後は東京を離れて帰郷しました。
2年間ヤリまくった先輩のオマンコは、すっかり人妻並みのグロマンになってしまいました。
最後のセックスを終え、お別れのキスを交わした時の先輩の泣き顔、初めて先輩が可愛いと感じた瞬間でした。
「先輩、さようなら。どうか、お元気で・・・」
「賢哉も元気でね。本当は、ずっと一緒にいたかった・・・さよなら・・・」
新肝炎祈った先輩は、ドアが閉まるとき、口がアイシテルと動いたのが分かりました。
この2年間、先輩は私に一度も愛してるとは言いませんでした。
そんな先輩の気持ちを考えた時、私は初めて胸にこみあげるものを感じて、涙が零れました。
先輩が私の涙を確認した直後、新幹線が動き出しました。
先輩がいなくなって、私は先輩を性奴隷のように扱っていたのに、いつしか愛していたんだなと気づいたのです。
美しいミスキャンパスと付き合えていたのに、なぜもっと大切にしてあげられなかったのか、後になってとても悔やみました。
「もう、遅いんだよな・・・」
そう呟きながら、先輩とのハメ撮りを記録したDVDを片っ端から叩き割りました。
大学の後半、私は彼女を作りませんでした。
というか、私は、セックスの仕方は知っていても、恋愛の仕方がわからなかったのです。
バイト先のOLさんや、パートの人妻さんとセフレ関係になってたり、大学のキモオタが主催した温泉巡りサークルに参加したりしました。
実は、それは非モテ男女の乱交サークルで、モテない男女がセックスを愉しむ場でした。 男子はキモオタ、女子はブスばかりだったけど、ブスの全裸とか、ブスがオマンコ広げて犯されて、ヒイヒイ喘ぐ姿って、結構萌えました。
凄いドブスにも17㎝砲を挿入してあげて、思い切り喘がせてあげたこともありましたが、どんなにドブスでも、デブスでも、喘ぐ姿は女なんだなと思いました。
結局、恋愛経験ゼロのまま地元に戻り、就職しました。
就職先で、高校の同級生だった女性と再会して、
「高校の時好きだったんだよ。」
と言われて、なんだか嬉しくなって付き合い、ほのぼのとした恋愛をして、25歳同士で結婚しました。
妻は特に美人でもブスでもないですが、そんなごく普通のどこにでもいる女性が、夫婦の営みになるとエロくなる、なんだか、そこが凄く萌えポイントに感じます。
結婚して10年、私たちは35歳になりましたが、セックスという行為が非日常でありながら、夫婦生活の日常に存在する興奮に気付き、飽きずにヤッてます。
そして、顔は普通の妻ですが、身体はかなりのナイスバディで、毎回妻を抱きながら、ふと先輩を思い出しているのです。
あんなにイイ女だったのに、私はセックスしか頭になくて、先輩を喘がせて、ミスキャンパスの乱れた痴態をただ楽しみたいだけで、愛してあげなかったことを悔いるのです。
その分、妻にはたくさんの愛情を注いでいます。
セックスさせてくれてありがとう、お礼にいっぱい気持ち良くしてあげるからねと、射精を我慢して、妻を喘がせています。
先ほど、古い手帳に挟まってた先輩と写したプリクラを見て、懐かしく思い出していました。
今は、どこでどんな暮らしをしているのか分かりませんが、先輩の幸せを祈りながら、ここにプリクラで思い出した、先輩との思い出を書き残したいと思います。
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