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元妻の恥辱の姿が掲載された27年前の投稿誌

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元夫さんから投稿頂いた「元妻の恥辱の姿が掲載された27年前の投稿誌」。

私には、25年前、結婚わずか4年で別れた元妻がいます。
4歳年下で、結婚は私25歳、元妻21歳とかなり早い結婚でした。
出会いは私が大学4年生で、元妻が高校3年生、I7歳の処女を貰いました。
三つ編みがトレードマークの清純な可愛い乙女でした。


従順な女で、何でも言うことを聞いたから、辱めたらその羞恥に濡れ、もしかしたらマゾなのかと思って、調教のまねごとをしたらハマりました。
三つ編みの可憐な現役女子高生が、セーラー服着てマゾ発狂しました。

元妻には最初からコンドームなし、生陰茎を根元まで挿し込まれ、
「ああ・・・どんな命令にも従いますから、気持ちよくしてください・・・」
と性奴の誓いを繰り返しました。
当時はまだデジカメが無かったので、死ぬほど恥ずかしい白濁液が噴き出す有様をハンディカムで撮影しました。
現役女子高生のセーラー服マゾ動画、凄かったですね。

私が大学4年生だったこともあって、高3の元妻とは毎日会えましたから、毎日元妻をマゾ調教しました。
なので、高校を卒業して就職した頃には、県立高校時代の清純なイメージを残しつつ、淫女の本性に目覚めていました。
県立高校時代から、清純アイドルとして人気があった元妻は、就職先でも清純アイドルで、誰もが処女を疑いませんでした。
私も元妻も社会人になったら、毎日はあえなくなり、調教も週末だけになると、元妻は恥辱行為の渇望に疼くようになりました。

元妻の方が我慢できなくなって逆プロポーズ、元妻の両親は元妻の逆プロポーズに私が応じた形になったので、渋々結婚を許しました。
元妻の職場は、元妻の結婚に大騒ぎ、元妻の処女を疑っていなかった若い社員は、元妻ロスに陥ったそうです。
若くして私の妻の座に収まって、昼間は清純なお嬢さんのイメージはそのままに、毎晩私に与えられる恥辱凌辱の快楽生活にマゾの本性を晒しました。

暫く子供は作らずマゾ調教をtづけました。
間違いは、元妻に少しずつ露出癖が育ったことでした。
恥ずかしい姿を誰かに見られたい・・・清純な三つ編みお嬢さんんの下に露出マニアの性癖が育っていった元妻は、本格的な変態となっていきました。
人妻となってもまだ20代前半、三つ編みが似合うその見た目は清純そうですが、
「このオチンチンに出会って、私は変わった。」
とどんな恥辱にも嬉々として応じ、ブレザーとスカート姿で楚々として出かけても、その中身はノーパンにノーブラで、
「ああ、内股におツユが垂れてきた・・・いやらしい男性たちには、私がノーパンでアソコ剥き出しで、濡れちゃってるのばれちゃってるんだわ、きっと・・・」
なんて言いました。

元妻は、恥辱の姿を見られることで、変態妄想を爆発させました。
陰唇を指で押し開きながら、陰茎乞いしてくる有り様で、その恥ずかしい姿を撮影して、投稿誌に載りたいと言い出す始末でした。
私は、調教されてマゾ発狂する姿は、私だけのものにしたかったのですが、どうしても全国の男たちに自分の恥辱の姿を見られたいと言ってききませんでした。
あれは27年前の冬、山間の温泉旅館に旅行した時のことです。
元妻は、雪の中で全裸になって、膣穴と尻穴に2穴バイブを入れられて、三つ編みの似合う清純妻がマゾ発狂に果てる様子をカメラで撮影しました。

寒中マゾ調教に身震いアクメする持つ編み幼な妻、かじかんだ身体を温めようと、生暖かい剃毛済みの淫裂にバイブを当てて、立ったままでオナニー姿を撮影しました。
膣穴と尻穴に突き刺さったバイブの振動に、熱い愛液を垂れ流す姿をの上には、スキー客がリフトで行き交う様子も撮影しました。
旅館では、自分で拡げた淫裂と尻穴にピンクローターをめり込ませ、2穴振動快感に濡れる様を撮影しました。
27年前はまだデジカメが無かったから、未現像フィルムのまま投稿、目と陰部にモザイクがかけられた元妻の痴態は、投稿誌の紙面を大いに賑わせました。

数回にわたり、元妻の痴態が掲載されました。
決定打は、高校時代のセーラー服着た三つ編みの元妻の痴態で、元妻に憧れてた高校時代の男子生徒が、あまりにも変わらぬイメージのその痴態写真に気づいたのです。
それが義父母の耳に入り、投稿がばれて大激怒、元妻は連れ戻され、離婚させられたのが25年前でした。
私29歳、元妻25歳、性癖が招いた哀しい別れでした。
泣きながら私に手を伸ばして、連れ去られるようにアパートから実家に連れ戻されていった元妻の泣き顔、25年過ぎた今でも忘れることは無いです。

私もアパートを出て、元妻の実家から離れた場所に住みました。
元々サディスティックな性癖ではない私は、33歳の時に現在の妻と再婚しました。
妻は知り合いの姪っ子で私より8歳年下の当時25歳で、短大時代にレイプで処女喪失という壮絶な過去を持っていました。
男性恐怖症で、恋愛できず引きこもっていましたが、離婚後、他人にとても優しくなっていた私と話す機会があって、心開くようになりました。
そして、私とならうまくいくんじゃないかと交際を打診され、付き合うようになりました。
私は、経緯を考え、妻をベッドに誘うことなく、婚姻届けを出しました。
従って、新婚初夜が初めての営みになりました。

現在、再婚して21年、私も54歳になりました。
元妻と別れて以来、元妻とは一度も会っていません。
元妻があれからどうなったのか、気になるけれど、それを知るすべもありませんでした。
先月、仕事でずっと近寄っていなかった元妻の実家のあたりに行きました。
25年間、決して近づかなかった街・・・元妻の実家があった場所には、比較的新しい3階建ての集合住宅が建っていました。
コンビニの道を挟んで西側ですから、場所は間違いなく元妻の実家があった場所でした。
奥の旗竿地だった土地と合わせて集合住宅になっていました。

「あいつ・・・今どこで何してるんだろう・・・元気でいるのだろうか・・・」
そう呟いて、元妻の実家があった街を離れました。
別れて25年・・・元妻のことは一日たりとも忘れたことはありません。
今年50歳の元妻・・・たとえ再開しても、元妻と気づくことはないでしょう。
先日、ずっと封印してたジュラルミンケースを開けました。
中には、27年前に出版された元妻の恥辱の姿が掲載された、5冊の投稿誌です。
私は、それを持ち出して、河川敷で燃やしました。

少しずつ灰になっていく雑誌・・・元妻と別れた後、見ることもできなかったけど、捨てることもできずに封印した雑誌が、元妻の思い出とともに消えていきました。
「別れても、好きだったんだよ・・・」
灰になった27年前の投稿誌に、皮から汲んできた水をかけました。
「じゃあな・・・お前のことは今後は、もう、考えないことにするよ。別れて25年、もう、いいよな・・・」
ふと目を閉じると、三つ編みの元妻が見えましたが、課がのっぺらぼうでした。
「ふふ・・・お前の顔も忘れちまったよ・・・さよなら・・・」
河川敷を後にした私は、今の家族を大切にしていこうと誓いました。

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