元カノさんから投稿頂いた「SMホテルで初バイブ発潮噴きした元彼の思い出」。
東日本大震災の前に付き合ってた元彼は、アルテッツァという6MTのややこしいクルマ載ってて、ドライブ大好きだったから、いろんな所に遊びに行ってました。
高速はあまり乗らない人で、曲がりくねった道が好きな人でした。
何時間も一人で運転して、シフトレバーをカチャカチャやってました。
エンジンや廃棄の音が結構うるさいクルマで、カーオーディオついてましたが、ほとんど音楽は聴きませんでした。
あまりにも遠くまで来すぎて、食料とお酒買ってラブホにお泊りなんてよくありました。
もちろん、隠微な雰囲気の部屋だから、エッチも淫らになりました。
一度、入ったらSMホテルだったことがあって、私、初めてバイブを経験しました。
拘束椅子にM字開脚で縛られて、バイブで責められました。
消毒済みって書いてあるバイブでしたが、元彼はバイブにコンドーム被せてくれるという、そんな気遣いのできる人でした。
バイブを入れることなく、アソコを浅く抉ったり、クリトリスを振動させたりされて、もう、早く中に入れて~っていう気分にされました。
そしていざ中に入れられると、バイブの先がうねりながら、バイブ全体が振動して、気絶するほどの快感に、ヒーヒーと下品に喘いでしまいましたが、止められませんでした。
初めてのバイブ体験で、始めて潮を噴きました。
快感で気を失う経験も初めてしましたが、正直、バイブよりも元彼のおチンチンのほうが気持ちいいと感じました。
やっぱり、無機質なバイブは刺激だけで、血が通った愛する人のおチンチンのほうが、心身ともに気持ちいいです。
本当に元彼とは、いろんなところに行ったし、色んなラブホに入りました。
その元彼と別れたのは、東日本大震災でした。
元彼の実家は福島県の内陸部、長男ではなかったので、元彼は卒業した大学があるこの町に根差しましたが、建設系の仕事をしていた元彼は、故郷の復興のために帰郷してしまいました。
別れたくなかったけれど、元彼の気持ちも理解できたから、元彼を見送りました。
「幸せにしてあげられなくて、ごめんよ。」
「大丈夫だよ、私は。それより、故郷を復興させてね。応援してるからな。」
「ああ、ありがとう。それじゃ俺、行くわ。さよなら。」
「元気で頑張ってね。さよなら。」
故郷へ向けて走り去るアルテッツァの、丸いテールランプを見送りました。
元彼が帰郷して半年くらいの時、
「メッチャ忙しくて、休みがないよ。それに、深刻な人手不足なんだ。俺、頑張るよ。」
とメールが来たので、励ましのメールを返したのが、元彼との最後のメールでした。
その後はラインが主流になって、メールは仕事以外ではほとんどしなくなりました。
元彼と最後のメールを交わしたころ、なんとなく付き合い出した新しい彼がいました。
でも、デートの先々に、元彼との思い出が多すぎて、近場は何度も逝った場所だし、ちょっと足を延ばしても、行っていない場所が無いくらいでした。
どこそこに行こうよ、と言われても、元彼と何度も逝った場所だから、そこに行くと思い出して辛くて、無口になってしまいました。
この近くには、確かあんな感じのラブホがあったなあ・・・なんて、元彼との思い出が頭をめぐり、つい、彼の話が上の空になってしまい、
「もしかして、俺のこと嫌いになったかな?」
みたいに気まずい雰囲気になって、結局1年持たずに破局しました。
とても悪いことをしたなあと、でも、本当のことは言えないし、ごめんなさいですね。
その次に、今の夫に言い寄られました。
夫は、ちょっと渋い感じの一見硬派な人に見えましたが、インドア派で、鉄道好きでした。
街デートもしますが、お部屋デートが多くて、夫のアパートにずっといるなんて日もありましたから、夫のアパートに私のものが増えていきました。
化粧道具、歯ブラシ、下着類、部屋義など、タンスにも私用のスペースができました。
遠出もしますが、夫は車より電車派で、どこか目的地に行くのではなくて、電車に乗るのが目的みたいで、それはそれで面白かったです。
今は、夫と子供たちと幸せに暮らしています。
今はあまり見かけなくなりましたが、アルテッツァを見るたび、元彼を思い出していました。
元彼と過ごしたのはもうかなり昔のことなのに、思い出は鮮やかに蘇ります。
元彼は福島で結婚したでしょう。
復興は終わったのでしょうか。
スマホに引き継がれた元彼の連絡先、いつまでも消すことは無いでしょう。
もし、震災が起きなければ、生きていたもう一つの人生、その相手の思い出も連絡先も、私は消し去ることは無いでしょう。
元彼の幸せを祈ります。
感想などコメントをどうぞ!投稿していただいた方の励みになります!
コメント一覧 (1件)
私も震災で元カノと別れました。
気持ち、分かります。