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20代の思い出

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テツさんから投稿頂いた「20代の思い出」。

俺は還暦をとうに過ぎた。俺は若い時は、そこそこモテた。しかし今は冴えないオッサンになった。体型は身長170体重83胸囲110ウエスト88でこの年齢なら普通の体型している。息子も普通サイズ

仕事は、自営営業だが冴えない。住まいも旧築でオマケニ親の痴呆が始まってキチガイになって困っています。
それはどうでも良いが。
俺は結婚してから女の陰が薄くなった。
もう男として終わりかなぁと思っている。
大学時代は1年生の8月までは高校時代からの2年生のK子と付き合っていた

K子は勿論処女で高校3年の2月に初めてのSEX
をしてから数回だけ交わったが遠距離恋愛に耐え切れずエロい話はあまりないまま別れてしまいました。
それからしばらく2年くらいはバイト仲間やボランティア仲間と食事やコンパで気をまぎ羅わす毎日でした。

忘れられないM子
大学3年の4月頃バイト先のお客様の隣りの大学の同学年のM子と仲良くなり良く遊びに行く仲にでも私はアパ-ト暮らしでしたがM子は自宅から1時間半位かけて通学していました。家の鍵は渡してありました

M子のことはバイト先の社長の奥様も知っていてあの子は遊んでいるからやめなさいと言われてしまいました。しかし、5月の連休中の日曜日の午後、M子は免許取り立てなのに自宅から私のバイト先に来る途中で単独事故を起こして二輪パンクで動けなくなり助けてコールを私のバイト先にして来ました

幸運にもバイト先の社長の車と同一車種で車とスペアタイヤを借りる約束してバイト中の休憩時間にM子を迎えに
バイト先の先輩と向いましたM子は無断で親の車を持ち出したのと事故の恐怖感で震えながら青い顔をして待っていました

幸い車は2輪パンクだけでボディに損傷はありませんでした。パンクも修理可能でバイト先の近くのGSで修理して車に同乗してM子の運転でM子の自宅までドライブしました。M子の親は初対面でしたが接骨院だとは聞いていました

その頃はまだ清い交際でしたので気楽に構えていたがM子は震えていたのが私に伝染したのか家が近づくにつれ情緒不安定に家に着いたら親が二人で待っています。親父様は筋骨隆々で強面でしたので私は緊張で口から心臓が飛び出そうでした。

応接間に上がり親父様が良くいらっしゃいましたと言ったのは覚えているが後は何を会話したか記憶がありません
帰りはM子の親父様が駅まで送ってくれることに
帰りの車の中で親父様が君を信用して娘を預けるから‘泣かすな’よと言われビビりましたが其の頃には結婚しても良いかななんて思ていたのでホッとしたのは覚えています

次の朝8時前にM子がやってきました私はパジャマ姿で朝立ち中で部屋に入れるのを躊躇してましたが合鍵を待たせていたのでズカズカと入ってきました。
昨日はありがとうと言い、いきなり抱き着いてきました、そこで気が付いたのか興奮してる?と聞いてきました。違うよ、仕方ないだろ男の生理現象だからと言いましたがムラムラして訳わかんないが興奮して股間もビンビンに!
ふと、こいつ可愛いな綺麗だな胸も大っきいしエロいことばかり思ってるとキスになりもう止められません。
巻きスカ-トとブラウスを剝ぎ取り下着姿にしてベットへ押し倒すと覚悟は出来てるかと、、、コクンと頷きました。下着を剝ぎ取り私も裸になりゴム無いけどというと今日は大丈夫だけど外へ出してと

慣れてるなと思いバイト先の奥さんが言ったことを確認するように久し振りのマンコに見入ってると結構ピンクで奇麗に濡れていました
ここまで来たらもう戻れない。生で挿入、気持ちいいのだがM子は痛い痛いと大騒ぎに予想に反して処女でした。見ると相当痛かったのか涙目に、、、もう泣かされたと言うが目が笑っている。出血を確認しておなかの上に出して終了。二人で登校中、今日は授業は何限までと聞かれ3限目までそれからは家でレポ-ト仕上げると返事をして分かれた

3時頃レポ-トの下書きを確認しているとM子はレジ袋を持って変な歩き方でやって来て何かが挟まったままみたいと言い、朝はチョット気持ち良かったかもと言いまだ出来る?ゴム買って来たよと言い誘って来ました。
二人ともやりたい盛りですから即スイッチオン朝と違い時間があるのでゴムを付けてゆっくりと二回戦目へM子も朝と違い痛くないようで朝は濡れ方が足らなかったかも知れないがシャワ-も風呂もない安アパ-トなので汗だくにならないようにしてゴム射した瞬間ア~と行って気持ち良い表情お互いスッキリ

その日以降、毎朝8時に家に寄ってSEXして学校へ行く毎日、通い婚状態に毎日猿のようにSEXあっという間に百回ほど致した、イク事を覚えたM子。
その年の夏の終わりに、M子の親から旅行に誘われて付いて行く事にM子の親とM子の弟と私たちの5人で宮城の温泉旅館に二部屋取ってあり並び部屋でした食事は親の部屋で軽く飲みながら当時、下戸の私ビール1杯でフラフラ春先はありがとう、逃げずに家まで送ってくれてありがとう娘をどうかよろしくお願します。と言われ嬉しいやら恐いやらこの辺りで卒業即、結婚かなと思いました

その夜やりたい盛りなのに夏休みでSEXがチョット開いていたので二人で発情
親の目を盗んで久々に生SEX親が隣で寝ている興奮であっという間中出し
エッという顔のM子小さな声で今日は危険日、出来たら責任とると言うと嬉しそうにしていた
それが恐怖の3ヶ月の始まりだった、1ヶ月半生理が来ない。M子大学は辞めたくないしかし堕すにしても先立つものが学生には用意出来ない。
とりあえず産婦人科へ行こうと言うと超不機嫌、診察は死んでも嫌と、手遅れになると学校休まないといけないし親に秘密に出来ないでしょうと言うも断固拒否この頃も毎朝アパ-トに来ていたがもちろんSEX無し
子供出来ていたら今後どうしようと毎日ブル-、私も欠席がちにこれが後に大きく歪を残すのだがその時は気付けなかった。
20日くらい過ぎたある朝この時までもM子は毎日アパ-トに寄っていたが今日は学校休んで付き合ってと言い上がって来ない
着替えて玄関に向かうとM子は駅の方に歩いていて慌てて財布を取りに駅に着くと切符を渡され4駅先の乗換駅へ電車の中ではうつむいたまま一言もしゃべらない、、、後を付いて行くと乗換の切符を渡され顔を見たら超緊張していたそこから数駅電車で移動改札を出てついて行くとあれだけ嫌がっていた産婦人科に着いた。
客待ちでM子は出来ていたら産むから宜しくお願いと言い診察室へ
消えて行った10分くらいだが永遠の時間に感じた、色々M子との思い出と反省が頭を駆け巡る
M子が出て来て顔は安堵の表情、声の掛け方に苦慮していると生理不順でしょう言われたよと言い良かった殺生しなくて済んだとポツリ
明日はここに寄るから遅くなると言い、支払いを済ませ駅で別れて、私は学校にM子は自宅に向かった
帰りの電車でドット疲れがでたが緊張が解けて半分はホッとしていた、授業とバイトはうわの空でも夕飯時は涙が止まらない変な喪失感が湧いてきた、バイト仲間は不思議そうに見ていた。

次の日、10時ころM子は何時ものように穏やかな表情で入って来た。
結果は??血液検査も異常なし。ずっと我慢してたからしよう!
同一人物かと思うほどの豹変。ゴム無いと言うと買って来た。
という始末かなり妊娠疑惑が重圧だったんだろう。
パパっと下着を脱ぐとベットに入り手招き
ベットの近くに行くとパンツを下げられパクッと咥える。今までは頼んでもしてくれなかったのに、、、
この日から前のように毎朝、私と情熱的にSEXをしてから授業に行く生活に
たまに朝来ないと授業終わりに寄ってSEXして帰って行きました。
交際は東京、横浜、湘南、箱根、日光など日帰り旅行で楽しみました
そんなSEX三昧の日々が過ぎて季節は春になりそれぞれ4年生になりましたが、私は過日の問題で出席日数が足らず単位保留で留年確定、M子の方は無事に卒業予定となりました。何があっても女子の方が精神、強いな
と思いました。

そこで将来についてM子のと話し合い1年遅れるけど結婚しようという話に。
私もM子も理系の大学なので卒業研究と論文は卒業の必須事項
M子は授業は減るが学校に拘束される時間は増える。毎朝アパ-トへは来る
が疲れるからとSEXは毎日しなくなったが、M子は私を中心に生活していて
気が付けば日曜日に来るようなり、立てばSEX、濡れればSEX
するようになったのでSEXの回数は変わりませんでした。
かえって増えたくらいです。体の相性も含め非常に良い関係でした。
夏が近くなり、気晴らしに何処かに連れていってと言われて思案したが
結局M子が予約を取ってきた戸隠高原のペンションへ
数年前ボランティア活動で訪れた事がありちょっと土地勘があり
戸隠神社の奥社や森林植物園などでデートを満喫して宿泊施設へ
向かいました当時ブームだったペンションそのものでした。
チェックインして汗だくの体が気持ち悪いので先風呂を頂く事に
初めて二人で入る風呂、嫌でも興奮状態に見慣れた裸ではあるが
いつもと違う環境で見るM子の裸体は綺麗だった。勿論MAX状態に
ちょっと悪戯して指でおっぱいを付くと尻餅を付いて秘所が丸見えに
ツヤツヤ光ってました四つん這いになったので後ろから挿入ちょっと待って
ゴム無し駄目です。とやんわり拒否、この前の婦人科検診の診察台で内診
はもう恥ずかしいから嫌だと言い同意して中断して食事へ
食事中に前にも言ったけど責任を取る覚悟は変わってないと伝えると
学生のうちは子育ての覚悟が出来ないから我慢してと言われて
解った生は我慢すると約束
そのまま交際は順調に過ぎてM子の就職先が決まった。
最初は研究職を探していたがまだまだオイルショックの余韻が厳しく
女子の研究職は大学院卒でも難しい状態の世の中でした。
それでも実家を出て暮らしたいM子は印刷関係で妥協する形で
都内の会社からの採用通知を貰った。
2月にM子の家探しが始まるもM子の給与と私の仕送りとバイト給与では
安全な風呂付住宅は諦めざるをえなかった。私のアパ-トも契約したしたまま
なので結婚が無ければ貯金しないで済むが私の卒業を待って1年位で挙式
となればそれなりの蓄えが必要と言う結論になり悩んだ上で
結論を出すと家賃は3~4万下町でも風呂付は無理でした。M子一人になる
事を考えると安全が一番と江戸川区の駅から5分の交番裏の物件に決めた
(今ならオートロックの1DKとかなら安全でしょうが40年前にはそんな物件無
かった)
私のアパ-トから3日がかりでM子の荷物を半分くらい引越先へ二人でバック
に詰めて運ぶ、1年半位の間でよくもまあこんな量を持ち込んだとびっくり
衣類、専門書、生活雑貨などで私の荷物は後回し3往復してもまだまだ有った
が少しづつ運ぶことに、家具や調理家電は住まい近くで配達可能な店で調達
今ならニトリIKEAなんだろうが。2Kの4畳半6畳には3往復分の荷物で溢
れていた押入れに収納して住むのは10日ほど先なのでわたしのアパ-トへ
引き上げてきた。引越祝いに食事に行き、銭湯で汗を流すとスッキリし欲情
して来た勿論、合体むさぼりあうように交わった
4月になりM子は会社へ私は大学へM子の住まいから通っていた。
完全に同棲状態M子は慣れない仕事でストレスを抱えていたと思う。
私はレベルの高い研究を選択してストレスを抱えることに
それでもM子は毎日6時ごろ帰宅して食事の支度と洗濯を楽しそうに
していた。お互いストレスを解消するために獣のようなパワフルなSEX
で愛情より快楽目的のSEXでお互いの体を使ったオナニ-みたいでした。
昼間の疲れを癒す筈のSEXが疲れを残すようになり
生活も雑になってしまいました。それでもM子は尽くしてくれ休みの日は
各所にデートに出掛けていました、5月ある日突然話があると言い外で話が
したいと深刻な顔、何だいここでいいじゃんと言うと都合が悪くなると貴方は
SEXで誤魔化すからと言いました。
もしかしたら別れ話と思い身構えていると転職したい研究職に近い仕事
給料もいいし、ここからは少し遠くなるが通えるしでも残業はあるので今迄
の時間では帰れないけど我慢できる?一緒に過ごせる時間も減るけど
良いかなと目を輝かして話す。
この頃、私も就活していて私も研究職狙いでしたのでいい話じゃないかと
背中を押しました。エッ意外と言い、嬉しそうに採用通知を見せました。
何だ決まっているくせにと言うと反対したら辞めるつもりだったと、
この選択が地獄への分かれ道でした。次の月から毎朝、楽しそうに通勤
していました。確かに6時ご頃の帰宅が9時頃になりたまに酒臭い状態でした
しかし私は居候なので文句を言いせんでした。食事を作って
待っていたしかし、この頃からSEXにM子が消極的に今迄は長期休暇
以外は2日空くとM子から誘ってきたのに週1以下に新しい仕事のストレス
からかと思い暫くほっておきました。精神はほっておくと決めたが体は疼いて
帰宅が早かったある日、遂に手を出しました。ゴム無いから嫌と言ったが火が
ついてしまった私は口とアナルがあるじゃないかと言うと渋々
ロ-ションを使うことなく挿入M子も私も初体験でしたが喘ぎ声をだしていた
ので気にせず腰を振り中だし
しかし本能で愛し合うような、SEXのパッションがありませんでした。
ただの私の排泄行為でした。抜くと精液がピンクになっています申し訳ない
思いで顔を見ると、満足した’ごめんね’と言い私の罪悪感が最高に俺こそ
‘ごめん’と言ったが微妙な空気だった。物思いに耽る面持ちでした
その晩は強く抱きしめて眠りについた。
翌朝は至って普通の面持ちでいつも通りに駅までの道歩いて別れた
ここから年末近くまではなにもなく過ぎた。というよりより一層親密に
良い関係だった。遊びにもよく出かけた。それで、チョット気を抜いたかも、
12月初旬に卒論の中間検査があり8割方出来ていなければいけない
のに贔屓目に見ても4割方しか出来ておらず進捗率50%このままでは
また1年待たせてしまう、またまた超ブル-になりピリピリこれを感じた
M子は頑張るだけね。この発言にイライラする私、文句を言うと私の時は
‘声も掛けてくれなかった’と’私は我慢してたの’と怒り心頭の様子まずい
展開です
仲直りの為にSEXに持ち込む為に飲みに誘う、しかしながら気づかれ
失敗、前にも失敗したのに学習できない私、そんなことしなくてもスッキリ
させるよと上手のM子、私だけかもしれないが男はダメダメですね!
仕事に生き甲斐を見つけたM子の精神は強かった。性欲が強い私とこれ以上
付き合いきれんと思ったか今日で最後のSEXだから生で良いよとここで
思い直せない情けない私リスク承知の上のM子を思いやる事が出来
なかった、またまた排泄行為に及んでしまった、妊娠すれば私の手に戻ってく
るだろうと勝手な期待の種付けの為のSEXでした。

次の日
「私たち、少し距離を置かない?離れて暮らそう」
とM子に言われた時、ついにこの時が来たと思いました。
M子と付き合って約3年、当然のようにM子に寄り添うようなふりで
より掛かっていたのは私でした、M子の献身さにずっと甘えていたのです。
別れて暇になった毎日を研究で現実逃避してた。悪い学生の見本です。
人生で一番、勉学に没頭して年末にはほぼ論文が完成した
指導教官は驚いていた年明けには卒業可能判定でした。
M子とやり直すチャンスは有ったのですが禁をおかしてしまいました
ある日離れて暮らそうといわれていたのにM子の住まいで待っていました
今ならスト-カ-行為です
それでも帰ってきたM子はそろそろ限界で来ると思ったと言い食事を用意して
くれました。そして最後のお別れSEXでした。これが最後のM子の姿でした。
初めてかもしれない愛情を込めたSEXの良さを二人で味わいました。
M子ももう少し早く貴方の苦悩が判ればと言い私も君の苦悩を理解する事が
出来ればと、言って二人で泣きました。そして、もう泊める事は出来ないから
終電前だから帰ってと言いお互いに鍵を返して別れました
あの時と思うことは有りましたがそれはお互いまだ若かった故の事と
今なら判りますが気持ちは後悔が続いている。その後私も就職しましたが
研究職の夢が忘れられず1年後に大学院の試験を受けて同級から2年遅れ
て大学へ戻ることにM子には感謝しているが別れたことで完成した卒論が
評価された結果でした懺悔の日々でしたが前のバイト先にも戻り
段々とM子の事を忘れていきました。ただ下半身はなかなか癒されずにいま
した。その時又隣りの大学の4年生のF子と仲良くなりましたが深い仲には成
らずじまい。高校生の時から知っている看護学生H美とSEXはしたが体は満
たされても心が満たされずM子の事を忘れたふりしていると気が付きました
F子、H美申し訳ない
忘れられないF江
私は25歳になってから自動車教習所に通った
4年生の学生さん2人とタッグを組んで効率よくキャンセル待ちを利用して
短期に卒業という作戦その時同じキャンセル待ちで知り合ったのがF江
○松学舎大学の2年生だが別の大学を1年で退学して入りなおした強者
家も歩いて行けるほど近くて教習の合間よくお茶したりしていた。
だが2年生で22歳だがとてもエロイ体をしていた
死語だがトランジスタグラマ-なF江
バストサイズとカップは付き合ってから解った事だが
私たちが先に卒業して免許が来て私は親からクラウンを借りて乗り回して
F江の教習所の送り迎えをしていたその時流れで食事や遊びに行き
アパ-トにも遊びに来るようになり自然にSEXしました
この時ブラのサイズ表示を見てびっくりH157cmなのにB85Gカップ
やはり処女で最初はマグロでしたが恥じらい混じりだったSEXも、次第に快感
を覚え69になってお互いの性器を弄り合い、舐め合い快楽を貪るように
なっていったこの時から段々、M子の喪失感が無くなってきた
2年生でも22歳、同級生の披露宴に呼ばれたと言い送迎することに和服姿に
チョット、ドキドキしました。帰り道に宿泊施設の近くを通った時に指で胸を
押してみたら自分で着られないからダメと言いながら目が潤んでました。
取り敢えず家に一旦送ると何時ものスタイルで出てきて和服で何も食べて
ないからお腹が空いている。と言うのでファミレスで食事中ちょっと異変が
顔色が青くなりつらい表情に家に帰るかと聞くとまだ一緒に居たいと
アパ-トに着くが歩くのも辛そうな様子おんぶして連れてゆきベットに寝かすと
丸まって唸っている。大丈夫かと聞くと生理用品と痛み止め買ってきてと、
薬局に行き探していると店主の好奇の目が痛い今どきならコンビニ、ス-パ-
ドラッグストアで済むが当時は薬局でしか売っていないのでマンツ-マン
でまるで罰ゲ-ムですが唸っているF江の為頑張って買って帰る。
痛み止めを飲ませると初まちゃった自分で
出来ないからタンポン入れてと言う、ベットにバスタオルを敷いて寝かすが
丸まってしまい仰向けにすると痛い痛いと言うちょっと我慢してと声をかけて
足を開くときれいな秘所から血が出てるそこにタンポンを宛がい差し込むと
大人の玩具のようです興奮してMAX状態になるが如何ともし難い、
30分程で薬が効いて穏やかな表情でごめんね恥ずかしい思いさせたね。
と言い笑い綺麗で興奮したと言うとお風呂無いから無理ねと言うのでお風呂
の有る所へ行くなら?と言うと行った事無いからラブホ行こうと私は勝手
知らない薄暗い奇麗でない所へ連れて行くのは嫌でしたので昼間から使
えるビジホへ向かうエッて顔したが構わずチェックインWの部屋に入り早速、
風呂へ和式の広い風呂でした二人で入るには十分な広さでした。
興奮MAXですが同じ失敗は出来ないので興味の無いふりをしたが湯船
に浸かっていると我慢してるでしょ。
と見透かされてしまうでもここはビジホ、ゴムも無いしさっきまでの様子では
我慢が当然でしょというと、F江は今迄は生理が始まると2~3日トイレに行く
のも辛かったけどSEXするようになったら痛み止め飲めば普通に暮らせるよう
になったからと言いチョット後ろ向いてと言いました。向き直った時には抜いた
タンポンが手に、恥ずかしいから見るなと言いましたが。準備できたよ今日なら
中でも良いよと言いシャワ-で股間を流していますが時折、肩が細かく痙攣
している様に見えます。早く頂戴と言い前屈みになるとピンクの秘所が
ツヤツヤ光っています。早く、、、恥ずかしい挿入してくださいと、こんなF江
初めて見ました。その日は時間がくるまでゆっくりと休み休み愛のあるSEXを
心から楽しみました。この頃から結婚を意識していました。
この頃はF江は私の紹介したレンタルレコ-ドの店でバイトしていました。
駅への道すがらに私のアパ-トがあるのでバイトの日は必ず寄って食事を
共にして気が向けばSEXしていました11時までには家に送って行った
私は学位論文の編集に忙しくてF江にかまう余裕がなくF江に誤字のチェックを
してもらっていた。文学部のおかげで編集校閲は楽してました。
その後無事、論文審査を通過して無事に修士号を貰いました
が就職は貯金をする為、研究教育職は諦めて給料の良いシステムハウスへ
マァそれは給料分ブラック企業でしたが目標の為、自分なりには頑張りました
F江はまだアパ-ト近くでバイトしてました平日のバイトのある日は
食事を共にしていました。週休二日制でしたので土曜日は家事をして日曜日
にF江とデートにこの時には自分の車が有りましたのでほぼドライブデートで
箱根、日光、軽井沢、房総に出掛けていました。F江も免許が取れていたので
二人で出かけるのが楽しくてSEXは半減してました。
その年の夏、実家近くの神社の夏祭りにF江を招き両親に会わせて結婚への
準備を始めました。が多分此れがF江を苦しめたと思う。
まだ遊びたい盛りの時期ですからまだまだ友達といたほうが楽しいかった
のではないか秋になるとバイトを友達の紹介のところでしたいと言い出し
浅草近くのアパレルメーカ-へ変えた、仕事内容はオーダ-メイドの
スタジャンなどの検品袋詰めなどをしていたようだ。ここで反対でもすれば
良かったのだが束縛で失敗した過去が邪魔して理解あるふりをして放置
年末が近くなりクリスマスの相談したらバイト仲間とスキ-に行きたいと、
イラッとして口論にまたまた大事になる前に芽を摘めなかった。
F江は私は結婚してとも言っていないし今は結婚したくもないと、、、
またやっちゃいました。それっきりF江とは連絡取れずじまい
女心の構って欲しい時と構って欲しくない時の見極めが下手すぎる私
その後、手紙が
『私、申し開きできないことしてしまったから別れて下さい』とだけ
泣きました、気がつくと次の朝でした、会社に休むと伝え
車で当てのない一人旅をしました
M子のときもF江の時も冷静な彼女たちに寄り添った判断だったかと思うと。
ただ、自分の都合を押しつけていたと思う
彼女たちの方が冷静な判断したと思う。あのまま上手く切り抜けても
長くは付き合えなかったのではないかと今だったらもう少し余裕を持って
愛せたかもしれないが、かけがえのない思い出をありがとう
K子、M子、F子、H美、F江みんなが私を育ててくれた。
F江の誕生日で思い出がこみ上げてここに記す。
それぞれ還暦近くなりますが幸せを祈る。
あまりエロイ話でなくすみません

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みんなのエッチ体験OGP

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