元夫さんから投稿頂いた「純朴な田舎っぺだった元妻に思いを馳せた日」。
澄子と別れたのは30年前、私25歳、澄子26歳でした。
八重歯とエクボが可愛い幼顔の澄子は、歳上には見えませんでした。
職場で出会い、いつしか愛し合うようになりました。
初めて結ばれたのは、私23歳、澄子24歳、澄子は処女ではありませんでしたが、身体も幼児体形で幼顔とマッチして、未成年を抱いているようでした。
でも、オマンコはしっかり開発済みで、薄っすらと赤らんだビラがそれなりの経験とを示していました。
本気で愛し合う私たちは、初めから生で交わりました。
私が就活をしている頃、バブルが弾けていましたが、まだ誰も気づいていませんでした。
就職した頃、風呂湯試験を抱える銀行が出始め、それが不動産バブル崩壊だと気づいた頃には、すでに手遅れでした。
結婚話が出ていた私と澄子でしたが、会社が経営破綻して職を失い、結婚どころではなくなってしまいました。
澄子は、失業して実家に戻ることになり、短大時代から8年住んだ県庁所在市を離れました。
最後のセックスは、澄子のオマンコを記憶に刻み込むような、切ない交わりでした。
ホテルを出て、お別れのキスを交わし、駅で澄子を見送りました。
「残念だけど、私たちは別々の道を歩きましょう。さよなら。元気でね。」
「ああ・・・澄子も元気でな。さよなら・・・」
新幹線の改札を抜けた澄子は、エレベーターに乗ると手を振りました。
私も手を振って澄子を見送りました。
手を振る澄子が、やがて見えなくなると、涙がとめどなく溢れてきました。
私は、澄子を心から愛していましたから、身体を半分もがれた思いでした。
あれから私はJAに再就職し、30歳の時に26歳の農家の娘さんと結婚しました。
妻はいかにも農家の娘さんらしく垢抜けなくて、見るからに田舎っぺでしたが、24歳で処女でしたので、責任を取る形で結婚しました。
私は、妻との間に二児を儲けた後、純朴妻に少しずつ淫らを仕込み、クリを吸い出し、数年を費やして真っ赤に肥大化させました。
妻のクリは完全に皮から剥き出しになって、まるで小さなペニスのようになりました。
私は、某クリニックで妻の肥大クリにピアスを通し、マゾ妻に仕上げました。
パンツの上からクリピアスを撫でれば、妻はたちまち濡らして、根がトロンとなりました。
それまでは垢抜けない純朴顔だったのに、急に女の顔になりました。
妻はブサイクではないのですが、澄子と別れた後、多少妥協して付き合ったら処女だったことで結婚したので、愛情よりは性欲が夫婦の絆になっていました。
純朴で従順な妻は、私の導きに素直に応じ、クリピアスを光らせる変態マゾ妻になりました。
クリピアスを弄られて、ヨガりまくってイキまくる、その痴態は普段の純朴お母さんからは想像できないほど淫らです。
しかし、結婚して18年の頃、妻が実家から戻ってこなくなりました。
その頃の妻は、クリだけでなく、ビラビラにもピアスが通るド変態マゾ妻になっていたのですが、実家のお風呂から出てきたとき、母親に性器ピアスを見られてしまいました。
女性にとって、性器改造を受け入れたということは、何を意味するか、同じ女として妻の母はショックを受け、後日、私に離婚を迫ってきました。
妻の父も激怒して、
「娘を性の玩具にするために嫁に出したんじゃない。」
と言って殴られえました。
ある日、仕事から帰ると褄と子供たちの荷物は無くなっていて、姿も消えていました。
テーブルには書き込み済みの離婚届けがありました。
不思議と、涙が出ませんでいた。
18年間連れ添った妻がいなくなり、子供たちも消えたというのに、哀しくなかったのです。
それが、なぜなのか、今も答えが出ていません。
私は、市役所に離婚届を出して、妻が元妻になりました。
さよならお言わず、お別れしたのに、何の感傷もありませんでした。
私は、18年暮らした戸建ての貸家を出て、元妻の実家から離れた場所に住みました。
そこは市街地に近く、交通の便がいいので、気分を紛らわせるように街に出る機会が多くなりました。
離婚して2年の50歳の時、私はある店で、澄子と運命の再会をしました。
25年ぶりの再会でしたが、相変わらず八重歯とエクボが可愛くて、一目で澄子と分かりました。
「澄子・・・」
澄子は私だと気づくと、じっと私を見つめた目から、涙をこぼしました。
失業した後、田舎へ帰った澄子は、28歳でお見合い結婚しましたが、浮気されて40歳で離婚、その後、娘さんの短大進学に合わせて、48歳の時に県庁所在市へ舞い戻っていました。
私が離婚する前の年、澄子がこの街に帰ってきていたのです。
お互い独り身と知ったら、一つになったのは言うまでもありません。
再会したその夜、澄子とラブホへ入りました。
51歳の澄子と50歳の私、25年の時間を経て、再び抱き合い、唇を重ねました。
お互いの身体を見つめ、
「年取ったわね・・・」
と言って笑いました。
澄子の薄っすらと赤らんでいたオマンコは、12年の結婚生活で紫色になっていましたが、ビラビラは小さめで荒淫さは感じませんでした。
澄子のオマンコを眺めて、元妻には悪いことをしたなと思いました。
吸い出されて皮からはみ出たクリは、二度と皮の中には戻りません。
不可逆な性器改造、元妻にごめんと心で謝りました。
クンニして、フェラされて、澄子に生で入れましたが、
「不純だけど、まだ、生理があるから・・・」
「ああ、中には出さないよ・・・」
25年ぶりに一つになった嬉しさに浸りながら、澄子の喘ぎを愉しみました。
澄子は、再会した店の近くのスーパーマーケットで働いていました。
その職場の近くのアパートに、短大を出て社会人になった娘さんと暮らしていました。
別れた頃には携帯電話はありませんでしたが、再会して、スマホで連絡先を交換して、頻繁に会うようになりました。
澄子が私のアパートにやってくるのは週3回、素敵な時間を過ごしていました。
再会して2年、澄子は53歳で完全に閉経、毎回中出しするようになりました。
そして一昨年、澄子の娘さんが25歳で嫁いだのと同時に、私と澄子が再婚しました。
新しい戸建てを借りて、二人の生活が始まって2年、今は56歳の澄子と55歳の私が、何十年も連れ添った夫婦のように仲良く暮らしています。
56歳の澄子の身体はまだそれほどハリを失っておらず、ビラビラが紫色なだけで、若々しい女体をしています。
でも、その紫色のビラボラに囲まれたオマンコは、使用感が漂ってとても卑猥で、官能的なオマンコだと思います。
長年のセックス経験が滲み出て、入れたら気持ちよさそうに見えます。
実際、最高の入れ心地で、次第に感じてくると、八重歯の可愛い幼顔を歪めて、56歳なりの喘ぎを見せてくれます。
心から愛する炭琴の結婚生活は、とても幸せです。
先週末、澄子とショッピングモールで買い物をしていました。
すると、見覚えのある女性が、ガラスの向こうを横切っていきました。
元妻でした・・・
7年ぶりに見た元妻は51歳でしたが、56歳の澄子よりも老けて見えました。
勝手に居なくなって、慰謝料も養育費もない離婚でしたが、疲れ切った表情の元妻を見て、胸が軋みました。
別れた子供たちも成人してるし、それほど心配していませんでしたが、やつれた元妻を見て、心配になりました。
先日、仕事の帰りに元妻の実家に寄ってきましたが、真っ暗だったし、誰かが住んでる気配がありませんでした。
元義兄が農家を継いでいたはずですが、見ると庭には雑草が生い茂り、納屋の農機具は錆びついていました。
元妻の実家は、没落していました。
でも、元妻がどこに住んでいるかもわからないし、連絡先も消してしまいましたので、もう、どうしようもありませんでした。
私は、JAにいる機動力を使って調べたら、元義兄は3年前に亡くなり、その後、元義父母が施設に入るために田畑を売却、元義姉は元姪っ子と家を出たようです。
元妻は、頼っていた実家を失い、おそらくは施設にいる元義父母の生活費が、JAの個人年金と国民年金だけでは賄えず、身を粉にして働いているのだと思います。
元妻の力になってあげたい・・・その気持ちはありましたが、連絡の取りようがありませんでした。
それに、私には新しい妻がいる・・・空を見上げ、純朴な田舎っぺだった元妻を想いました。
「幸せにしてあげられず、ごめんよ・・・」
そう呟いたら、別れた時には無かった涙が、頬を伝い落ちました。

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コメント一覧 (6件)
あなたには、なぜ、別れた時には涙が出てこなかったか、知る必要がありそうですね。
忘れていこう
今更だね
切ない…
泣ける…
これは切ない…