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幸せに生きていると信じている女子C学生だったあの子

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石巻さんから投稿頂いた「幸せに生きていると信じている女子C学生だったあの子」。

当時、大学進学で宮城県石巻市に住んでました。
大学3年の夏、夏期講習してたバイト先の生徒だったC二の女の子に最終日に告られて、当時は彼女いなかったし、幼気さに思わず萌えて付き合いました。

私は特にロリコンではありませんでしたが、大人と子供の中間の思春期の女の子の魅力にハマりました。
もう少しでお盆帰省する頃、一人暮らしのアパートに呼び込んで、その蒼い果実をいただきました。
○4歳になったばかりの初々しい素肌を惜しげもなく晒し、まだ膨らんでいる途中のような乳房と、超美麗なオマンコを御開帳しました。

恥ずかしそうにする少女のオマンコを広げ、処女膜を覗き込み、そして、丹念に舐めていけば、大人の女と同じ透明な愛液を垂れ流しました。
勃起したペニスを驚いたように眺め、触れ、握り、舐めるように促せばペロペロと舐める様子がまるで子供で萌えマックスでした。
生のままゆっくりと挿入し、○4歳の純潔を散らす場面に立ち会ったことは、今でも忘れられない思い出です。

C学のセーラー服のままセックスしたこともありますが、あれは萌えを通り越して、危険な雰囲気になりました。
女子高生のセーラー服に比べて、公立C学のセーラー服って妙に幼くて、小学生よりは大人なんだけど、発育途上な雰囲気がたまりませんでした。
そのくせ、大人の女みたいに感じてアンアン喘ぐようになっていくのですから、そのアンバランスが興奮させました。

やがてお互いが学校を卒業するときがやってきて、少女は石巻にある高校へ進学、私は福島県郡山市にある就職先へ旅立ち、別れました。
仙台市で最後のデートをして、少女が欲しがってた筆記具を買って進学祝いにしました。
「ありがとう。大切にするね。さよなら。元気でね。」
「さよなら。勉強、頑張れよ。」
新幹線の改札を抜けた私に手を振る少女の目が潤んでいましたが、やがて私の目も潤みだして手を振りながら背を向けたら、二度と振り返らずホームに向かいました。

郡山市で新しい恋をして、結婚して、第一子が生まれた春先の金曜の午後、職場で強烈な揺れに見舞われました。
建物は耐震で、キャビネットも転倒防止だったから職場は無事でしたが、瞬停を繰り返した末に停電、全員自宅待機命令が出ました。
アパートに帰ると、妻が幼子を抱えて震えていました。
やがて復旧した電気にテレビをつけると、ショッキングな映像が流れていました。
特に石巻の映像は、津波火災が起きていて、阿鼻叫喚・・・あの子は・・・今年成人するあの子は無事でしょうか・・・そんな思いが駆け巡りました。

私は、あの子を探しに行くことはしませんでした。
彼女の実家は確実に流されているけれど、時間的に家にいたとは思えませんし、彼女が高校を出た後の進路も知りません。
ただ、仙台駅の新幹線改札前で手を振るあの子の寂しそうな笑顔だけ、覚えています。
毎年やってくるあの子のお誕生日には、心で「おめでとう」を言っています。
今頃、幸せなお母さんやってるだろうと思っています。
私は、あの子に出会ったことに感謝して、いつか、偶然出会うことがあれば、笑って思い出話をしたいと思っています。

大学時代に使ってた、古い携帯電話に貼ってあったセーラー服姿のあの子とのツーショットのプリクラ・・・あの子が幸せでありますようにと願い、リサイクルの箱へ入れてきました。
「さよなら、幸せにな・・・」
あの子は、必ず生きて幸せに暮らしていると信じて・・・

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