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支店長と美貌の愛人の恥辱写真を撮影した昭和の頃

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ニコンF3さんから投稿頂いた「支店長と美貌の愛人の恥辱写真を撮影した昭和の頃」。

これは昭和末期のお話です。
東北新幹線が開業した翌年、当時私は26歳、東北のある地方都市に転勤になりました。
当時、買い替えてまだ半年だった、コロナ1800GT-TRという結構速い5MTのセダンで東北道を北上しました。

このクルマ、当時、ターボかDOHCかの論争に終止符を打ったクルマで、4000回転からドッカーンと加速するじゃじゃ馬でした。

転勤先では、支店長の第二秘書のような仕事をさせられました。
当時はハラスメントなどという概念もなく、オフィスでの喫煙も普通で、夜の街にもいかがわしい店が多くありました。
支店長には愛人がいて、カメラ扱いに長けていた私は、支店長と愛人の性行為を撮影する業務もしていました。
もちろんフィルムカメラで、オートフォーカスなんかではありません。
使用したカメラはニコンF3、絞り優先AEが使えました。
フィルムはネオパンSSというモノクロフィルムで、ネガにさえできれば、暗室で自分で焼き増しができました。

支店長の愛人は私と同じ年齢で、百合子と言いました。
女優の山本みどりさんに似たかなりの美人で、地元のお嬢様女子大を出た美貌の才媛でした。
しかし、卒業後に支店長の目に留まり愛人へ、しっかりと淫らに躾けられていました。
裸になると、巣のスタイルも素晴らしく、支店長が麻縄を持っただけで、内股を濡らすほど疼く発情女でした。
支店長は百合子をМ字開脚で縄化粧を施し、ビラ肉を広げましt。
秘肉を弄られると、牝汁がダラダラと滴り、身体と心が堕ちていく様子がわかりました。
バイブを挿しを開脚で晒し、私はその淫らて美しい百合子の痴態を撮影しました。
この後、父娘ほどの年の差の支店長と百合子の恥悶えな肉の交わりを撮影しました。
百合子は支店長の黒肉棒に乱れ果て、四肢を突っ張らせて逝き惑いました。

百合子は、普段は普通にOLをしており、社内で私とすれ違っても無反応でした。
もちろん私も同じように、知り合いではない素振りをしました。
百合子は、社内の若い男性の憧れのマドンナで、支店長の愛人だと知っている人はごく少数のようでした。
ある日、百合子と支店長の痴態撮影が終わった後、ズボンの下の勃起を百合子に握られ、ウットリと見つめられてしまいました。
支店長に促され、私も肉棒を晒すと、百合子に跨られて腰を振られました。
支店長の精液が残る肉壺に、私の精液が送り込まれました。
こうして支店長が楽しんだ後は、私が百合子を楽しむようになりました。

山本みどりさんに似た美貌の持ち主とねんごろになれば、身体だけでなく、心も欲しくなりました。
しかし、支店長の緊縛中出し愛人に調教されている以上、その気持ちは抑えなければなりませんでした。
いくら美しくとも、中身は恥辱に濡れる被虐の変態なのです。
でも、同い年で肌を重ね合えば、まんざら他人でもないような気持ちが芽生えていきました。
それは、百合子も同じようで、次第に切ない交わりになっていきました。

そんな時、私に転勤の内示がありました。
東北の地方都市での暮らしは3年で終わり、私は百合子に別れを告げました。
最後、支店長の計らいで、最初で最後、二人きりの夜を過ごしました。
美しくも性玩具に飼い馴らされた29歳の百合子には、大人の女の色香が漂いました。
長年の愛人生活で赤紫に歪んだビラ肉は、まるで若妻のようでした。
最初で最後のクンニリングスをすると、肉棒舐めて挿入乞いしました。
私は、甘美な愉悦に蕩ける百合子と最後の交わりをしました。

美貌の才媛に無慈悲な滅多突き、乳房は揺れ惑い、肉のぶつかる音と、牝汁が空気とともに肉壺から噴き出す卑猥な音が、猥褻なハーモニーを奏でました。
普段は上品な別嬪さんが、男性社員のマドンナが、あられもない格好で性乱に悶え狂い、ヨガりまくりました。
底なしの絶頂の中、自らビラ肉を剥き拡げて、中出しを懇願しました。
私は、最後の精液を百合子の肉壺に注ぎ込みました。
「好きでした・・・」
「俺もさ・・・」
もう、離れ離れになる二人が、抱き合った耳元で、相思相愛を確認しました。

百合子に見送られて、百合子のマンションを出ました。
最後、見つめ合ってキスを交わし、
「今度、生まれ変わったら・・・」
「ええ、その時は・・・さようなら・・・お元気で。」
「さよなら・・・」
アパートに戻り、翌朝、彼の地を去りました。

そして、関東の都市を転々とし、結婚し、離婚して再び独身に戻り、52歳で再び東北の彼の地へ、支店の次長という立場で舞い戻りました。
23年ぶりの街は懐かしく、そして、百合子はどうしているか、思いを馳せました。
元妻のところにいる娘も成人し、養育費も終わった私は、バーのママを時々抱いていました。
彼の地へ赴任して2年が過ぎようとした3月の金曜日の午後、週末会議の最中に強烈な揺れに見舞われました。
東日本大震災・・・私たちは、通常業務を切り上げ、一般社員を帰宅させました。
関東に住む娘からの安否を心配するメールに、「パパは無事だよ」と返しましたが、返事は届きませんでした。

本社からの支援物資が届き、社員に配り終え、残りを幹部で分け合い、更なる余剰物資は地元自治体へ届けました。
その時、ボランティアで支援物資の整理をしていた綺麗な中年女性と一言二言話をして、ふと胸の名札を見て・・・
「百合子・・・さん・・・」
相変わらず山本みどりさんに似た、上品な淑女でした。
百合子もバツイチになっていて、娘さんと暮らしていました。
とりあえず連絡先を交換して、名刺を渡してその場は別れました。

結局私は、気楽な独身次長ということで、本社から復興支援の特命を受け、2018年3月の定年を彼の地で迎えました。
百合子とは再び男女の関係になり、閉経した肉壺に五十路精液を注いでいました。
百合子の娘が嫁いだ2014年に百合子と57歳同士で再婚、現在は定年後に嘱託で復興のお手伝いをしております。
因みに、私の娘も嫁ぐとメールが来たので、養育費を振り込んでいた口座でお祝いを送りましたが、その後は音沙汰なしです。
そんな私は、還暦を過ぎた今も、百合子を抱いております。
それは、百合子の痴態を撮影した写真をカンフル剤としているからでもあります。

昔、支店長の愛人だった百合子の緊縛SМなどの性行為写真は、良く撮れているものは、自分で焼き増しして保管していました。
その枚数約100枚、のちにそのモノクロの猥褻写真は、一枚ずつスキャンして、電子データとして保存し、写真自体は処分しました。
百合子を抱く前、私はその電子データを眺めて、かつて欲望のまま穢された山本みどりさんに似た美貌のマドンナに嫉妬しながら勃起するのです。
そして、離れ離れになるときに相思相愛になれた百合子と、手に手を取って残りの人生を歩んでゆきたいと思います。

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