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三つ編みセーラー服美少女と暮らした数奇な夫婦の話

真守さんから投稿頂いた「三つ編みセーラー服美少女と暮らした数奇な夫婦の話」。

私56歳、妻の智子45歳、結婚して25年の銀婚式を迎えました。
ここに、私たち夫婦の数奇な巡り合いを思い出して、書き記したいと思います。
実は、元々は、私と智子の母親がセフレ関係にありました。

33年前、大学を出たばかりの私は、就職先にほど近い所にアパートを借りました。
そのアパートの階段の踊り場を挟んだお隣が、母子家庭で母子で暮らす智子の部屋でした。
当時、智子はS6で、はじめは単なるご近所づきあいでした。

きっかけは、職場の飲み会の二次会で行ったスナックで、そこで、智子の母である美紀が接客をしていました。
お互い目で挨拶して、同僚も一緒だったから知り合いという事は隠しました。
就職して半年、23歳の私は、当時35歳だった水商売仕様の美紀の美しさに心奪われました。
それからと言うもの、私の美紀を見る目が変わっていきました。
大学時代は女子大生としか付き合っていませんでしたから、35歳のシングルマザーの妖艶さに気付いて、週末はスナックに通うようになりました。

ある日、閉店まで粘った私は、美紀と一緒に帰宅しながら幹を口説き、部屋に連れ込みました。
美紀は、スレンダー系で、ソバージュパーマがお似合いの美人でした。
一緒にシャワーを浴びて、ベッドへ、美紀のやや小ぶりな乳房が垂れかかっていたが、それは年のせいなのかなと感じたことを覚えています。
恥ずかしそうに股を開くと、女子大生とは違って、赤紫に色素沈着がかなり進んだ小ぶりなラビアがとても卑猥でした。
やさしく愛撫詩乍らクンニした後、フェラしてもらって生のまま正常位で挿入しました。
「中には、出さないでね・・・」

その後、後背位でオマンコはぐちゃぐちゃになり、内股を愛液が滴りました。
美紀のツンとつきだしたお尻が、とても魅力的でした。
「ああ~~硬い硬い、硬くていい~~」
とご満悦で、その声を聞きながら、赤紫のラビアがベロベロする挿入シーンをガン見しました。
その後、正常位に戻り、美人シングルマザーの痴態を楽しみました。
そして、思い切り美紀の身体に精液を振り撒きました。

私は美紀の熟したオマンコに夢中になりましたが、美紀には、パトロンというか、お手当てをもらって抱かれる関係の男がいました。
それはアラ還の社長さんで、当時はバブル真っ只中だったから、かなりいい金額をもらいつつ、社長の取引先の男数名との乱交もさせられていたようです。
「9人の男性に犯された時は、アソコとお尻の穴とお口で一度に3人ずつお相手して、それでも1時間かかって、グロッキーだったこともあったわ・・・」
母娘二人で生きていくために、美紀は苦労していました。

私は、智子が中学生になると、勉強を見て上げるようになりました。
スレンダー美熟女の美紀を抱かせてもらっている以上、断ることはできませんでした。
それに、智子もかなりの美少女で、大人になって色気が出たら美味しそうでした。
智子が無事に県立K校へ合格した頃、バブルが弾け、美紀の勤め先は一気に客足が落ち、閉店してしまいました。
美紀は、ある男に飼われることとなり、私に智子を託してアパートを引き払い、姿を消しました。
「智子をK校を卒業させて、一人前にしてくれるなら、智子を好きにして構わないから。智子、言われたとおりにするのよ。」
美紀はそう言い残して出ていきました。
こうして私は、○5歳の女子K校生との同棲生活をすることになったのです。

後にあるところで見て知ったのですが、この直後、美紀は裏本に出ていました。
当時30代後半だった美紀ですが、オマンコ以外は若々しくて20代半ばのちょっとケバ目のOLさんみたいでした。
一方智子はというと、美紀からいくばくかの生活費が振り込まれてくるとはいえ、私に生活が委ねられたことで、母子家庭で培った家事のスキルを遺憾なく発揮していました。
美紀とは連絡は取れるようで、K校の面談などは美紀が行っているようでした。
その時、美紀に何か吹き込まれたようで、智子は私に身体を預けてきました。

私も、毎朝清楚なセーラー服に身を包んで出かける智子にムラムラしていましたから、裸で目の前に立たれたら、我慢できませんでした。
「お母さんにしてたこと、私にもしてほしい・・・」
県立K校では、三つ編みセーラー服が可愛い清純美少女アイドルとして人気があった智子が、美紀に似たスレンダーな身体を開きました。
小ぶりだけれどツンと上を向いた乳房を優しく愛撫して、そして足を開かせてまだウブな○5歳のオマンコを拡げ、瑞々しいウブマンを舐めました。
智子は、ジワ~っと濡らしながら、可愛い吐息を漏らしました。

智子にフェラをさせると、美紀に教わったのか、美紀と似た舌使いで舐めました。
そして、智子のウブマンに生のペニスをゆっくりと挿入しました。
狭い輪くぐりのような感触が一気に解放されるようにズリっと根元まで入ると、智子は少し苦痛に顔を歪めましたが、その後微笑んで、
「嬉しい・・・いつか、真守さんの赤ちゃん産みたい・・・」
と言いました。
○5歳の美少女の処女喪失は、実はハンディカムで隠し撮りしていました。

現役の女子K生と夫婦のような暮らしをしていた私は、折角なので、三つ編みセーラー服美少女の猥褻動画を撮りたくて、セーラー服を着た智子を恥辱の格好に緊縛しました。
そして、ハンディカムで撮影しながら、智子のウブマンをバイブ責めしました。
セーラー服の襟の白いラインに三つ編みの赤いリボンが痛々しくて、薄幸少女が売られて凌辱されているかのような動画に仕上がりました。
羞恥に頬を染めながらも、与えられた快感に耐えきれず漏らす喘ぎがたまりませんでした。
そして、セーラー服をまくり上げられて小ぶりな乳房を揉まれ、生ペニスで犯され、恥辱が快楽へ返還されるマゾ性が育っていきました。

三つ編みの清純そうなセーラー服美少女は、K校では純真無垢な生娘を気取っていましたが、帰宅すれば生ペニスを欲しがる被虐マゾ娘となっていました。
そんな智子はK校を卒業すると、近所のスーパーへ就職してレジ係となりました。
トレードマークの三つ編みは、清純そうなレジ娘に見えましたが、夜な夜な私に凌辱されて、愛液を垂れ流しながら精液を浴びていました。
県立K校時代の清純なイメージを残しながら、被虐淫女の本性に目覚めた智子は、美紀の了解を取って、20歳の若さで31歳の私の妻の座に収まりました。
昼間は清純な見た目はそのままにスーパーでレジを打ち、夜は毎晩私に与えられた恥辱凌辱に、マゾの本性を晒していきました。

根元まではいった生ペニスの快感が欲しくて、
「ああ・・・おチンポのためなら、どんな命令にも従いますぅ・・・」
と性奴妻の誓いを繰り返しながら、オマンコを指で開きながら、ペニス乞いしてきました。
そして生ペニスに跨って、クイクイと腰を振り、
「ひぃん・・・あひぃぃぃぃぃ・・・」
とヨガリ狂った末に、
「孕みたいの・・・ハラボテになりたいのぉ~~」
と昔AVで見たセリフを言いながら、中出しにアクメする色妻となり、22歳と25歳で出産しました。

十数年前、VHSからDVDにダビングした智子の猥褻動画を久しぶりに見て、25周年の夫婦記念日の夜を淫らに過ごしました。
二度の出産の後、三つ編みをバッサリ切ってショートカットになった智子ですが、被虐マゾにはますます磨きがかかりました。
吸引器で1㎝まで吸い出された真っ赤に腫れたクリには、銀色のピアスがぶら下がっています。
45歳でも清純そうな可愛い顔をした智子は、暫く専業主婦をしていましたが、下の子がK校になった頃から、スーパーにパートで復帰しています。
智子は年に何人かの男にナンパされるそうで、そのたび、自分には快楽をくれるご主人様がいると、クリに通したピアスが疼くそうです。

先月、美紀の四十九日がありました。
美紀はある男に飼われた後、8年前までスナックをしていましたが、還暦を機に店を閉め、独り静かに海辺の町で暮らしていました。
のんびりと悠々自適に暮らしていた美紀との連絡が取れなくなり、心配して様子を見に行くと、美紀は孤独死していました。
私にとっては義母でしたが、かつて、男女の関係にあったので、昔の女として送りました。
そして、美紀を送った後、私と智子の数奇な運命を綴り、智子の痴態が記録されたDVDはすべて処分しました。
私はこれからも、美紀を偲びつつ、智子と生きていきます。

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