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元妻と過ごした5日間の思い出

元夫さんから投稿頂いた「元妻と過ごした5日間の思い出」。

元妻と別れたのはもう20年前、俺31歳、元妻は29歳、結婚期間は4年だった。
会社の同期で、俺は大卒で元妻は短大卒採用、元妻は短大卒をハンディと捉えて、そこを埋めるべくかなり仕事を頑張っていた。
それに比べて俺は、まだ学生気分が抜けない男だった。

元妻は裕木奈江に似た可愛い美形で、学生気分が抜けてない俺は、軽々しくアプローチえおかけた。
なぜか元妻は俺を受け入れ、週末は一緒に過ごすようになり、やがて男女の関係になったら、その身体の相性の良さに離れられなくなった。
もっとも、元妻にとっては俺は二人目の男だったから、比較するサンプルが少なくて、俺が前の男より女に献身的なセックスをしただけだと思う。

元妻はスレンダーだが、乳はCカップあってそこそこの揉み応え、気に入ったのはお尻で、スレンダーながら大きめで、特に後ろ姿はセックスしたくなる体形だった。
後背位がやたらエロくて、大きめのお尻をくねらせて、尻穴ヒク突かせて喘いだ。
内腿を愛液が滴る様子も卑猥で、普段の社内での真面目そうな可愛い美形OLのイメージはなかった。
元妻は性器そのものが好きだから、前戯も69が好きだった。
性器好きが高じて、射精を見るのも大好きだったから、元妻が生理になると手コキ射精を観間近に察された。

俺27歳、元妻25歳で結婚した。
毎晩性器の見せ合いから弄り合いで前戯が始まるセックスをしていた。
夫婦仲は良かったが、仕事ガンバル人間の妻は短大卒のハンディを埋めるべく仕事に邁進してて、子作りは先送りされていた。
そんな中、元妻に転勤の打診があった。
広島に新支社を立ち上げるためのプロジェクトメンバーに推されたのだ。
考慮期間は半年、元妻は悩みに悩んでいたが、どう見ても将来を考えたらいい話だった。
俺は、離婚届を書いて、元妻の背中を押してやった。
東京と広島で子無し夫婦を続ける意味は無いと思ったのだ。

元妻は更に悩んだが、
「お互い、将来のために夫婦を解散しようや。お前は仕事に、俺は新しい家庭を探すよ。子供も欲しいしな…」
と言ったら、
「分かった…踏ん切りをつけさせてくれて、ありがとう…」
と言って、離婚届を眺めた。
夫婦最後の夜、30分くらい69をして別れを惜しみ、翌朝、最後の食事をして元妻を見送った。
「元気でな。頑張れよ。さよなら…」
「あなたも元気でね。さよなら…」
元妻は東京駅へ、俺は会社へ向かって別れた。

1年後、今度は俺に仙台支社へ転勤の内示があり、東京を離れた。
転勤して半年の頃、仙台支社のあるビルの異なる階で働いていた今妻と出会った。
美形だが地味で少し陰のある薄幸美人で、交際して暫くしてベッドに誘ったら、過去に付き合っていた男性にマゾ調教を受けていたことを明かした。
今妻は大学1年の秋に2年先輩と初体験するも、先輩の卒業で別れて、落ち込んでいた心のスキを突かれたようだった。
上手に口説かれ、少しずつ被虐の心を植え付けられていった。
やがて、恥辱行為に秘穴から甘い汁を垂れ流すマゾ女子大生になった。

手足を拘束され、大股を開かされて乙女の羞恥心を煽られた。
柔肌に軋む荒縄の期待だけで濡れてしまう、変態娘にされていた。
ディルド、バイブ、生イチモツで子宮口をくすぐられ、気を遣った今妻は、大学卒業記念に乳首と秘豆にピアスを通されてしまった。
別れのきっかけは投稿雑誌で、今妻に内緒に隠し撮りされていた猥褻マゾ画像が、素人投稿雑誌に掲載されているのを大学時代の男友達が発見し、
「これ、お前じゃないよな?」
と指摘された掲載写真は、乳首と秘豆にピアスを光らせて縄化粧に恍惚の表情をした今妻だった。
目にモザイクがかかっていたが、今妻は自分と分かり、無断投稿で揉めて関係が終わった。

3年間のマゾ調教を終えた今妻は、ピアスを外したが、マゾの心がなかなか消えなかった。
俺に抱かれている時も、たまに、
「おチンポ入れて…」
とか、
「ザーメン中に欲しい…孕ませて…」
などと言うセリフを口にした。
今妻のマゾの心が消えた28歳の頃、34歳の俺と結婚した。

俺は仙台支社の中での異動で長らく仙台に暮らした。
娘が一人生まれ、その娘が幼稚園の時に東日本大震災を食らった。
幸い内陸部だったから津波被害は無かったが、復興に追われて激務となった。
岩手や福島もカバーしたから、人手が足りずに本社から応援をもらった。
復興に目途が付いたのが6年前で、その1年後の5年前、俺は復興の記録を本社の研修の特別講演で発表した。
研修は5クラスあり、5日間講演した。

その初日の研修受講者の中に、元妻がいた。
講演しながら何度も目が合って、間違いなくお互いの存在を確認した。
初日の研修終わり、46歳の俺は44歳の元妻と15年ぶりに話した。
俺は仙台で結婚して女の子のパパになって、以来ずっと仙台にいることなどを話した。
元妻はずっと広島にいて、40歳の時にバツイチ子持ち男性と結婚していた。
俺と元妻は、5日間、研修後の時間を共に過ごした。
昔のデートコースをたどったり、店に行ってみたり、二人で暮らした街を歩いて、懐かしさに浸ってみたりした。
それは、泣けるほど愛しい時間だった。

最終日、元妻は広島に、俺は仙台に帰るため一緒に東京駅へ向かう途中、何度も見つめ合い、このまま別れれば、多分もう一生会えない…という思いが募っていた。
嫌いになって別れたわけじゃないから、やっぱり好きな気持ちが蘇っていた。
東京駅、喉まで出かかった誘い言葉を呑み込み、
「じゃあな。再会できてうれしかったよ。もう、会うこともないだろうが、達者で暮らせよ…元気でな…さよなら…」
元妻は瞳を潤ませて、
「さよなら…元気でね…」
と言葉を震わせた。

その後、俺は一度も振り返らず、東北新幹線の改札を抜けた。
E5系の窓に映る俺の顔を見て、
「これで良かったんだ…これで…」
とずっと呟いていた。
今日、復興の講演資料が出てきて、5年前の再会を思い出した。
そして、元妻は元気でいるかなと…

5 COMMENTS

匿名

よく思い止まったなあ…
思い出の地に2人で行ったら、想いが溢れてしちゃうでしょ?

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匿名

悲しいけれど、それでいいんだ!
お互いに先に進んでいるんだからね。
頑張れよ!

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