エッチ体験談 13,000話 突破!!

マゾ幼な妻の恥辱写真を投稿した思い出

隆志さんから投稿頂いた「マゾ幼な妻の恥辱写真を投稿した思い出」。

新婚の頃に撮影した、結衣の痴態が載った25年前の投稿誌があります。
それは、目と性器を隠すのにモザイクではなく、まだ黒塗りの時代の雑誌です。

若妻の結衣が細身の体を惜しげもなく晒し、根元まで挿入された私の陰茎の感触に、性奴の誓いを繰り返す姿が載っています。
まだ二十歳の幼な妻が、死ぬほど恥ずかしい、白濁愛液を内股に垂れ流しながら生陰茎に耽溺する姿を、全国の読者に公開したのです。

結衣と付き合うきっかけとなった出会いは28年前、結衣はセーラー服を着た高校二年生の女の子でした。
三つ編みが清楚さを醸し出し、県立高校の清純アイドルとして人気がありました。
でも、結衣は小学校高学年の頃から苛めに遭っていて、中学二年の頃にはレイプ一歩手前まで暴行され、たまたま通りかかった当時大学4年生だった私が救い出しました。
それが最初の出会いでした。

その後私は大学を卒業、就職先に通勤の都合がいいアパートに越して、結衣とは違う生活圏に住まいました。
その一年後、結衣は高校生となり行動範囲が広がって、高校二年の時に、社会人となっていた私と再会したのです。
高二の結衣は、中学時代よりも大人びてはいましたが、非常に清楚な三つ編み少女でした。
再会して半年で言い寄られましたが、女子高生と社会人の交際は憚られました。
しかし、結衣の恩人である私は、結衣の両親が公認してくれて、25歳と17歳のカップルが誕生したのです。

週末、私のアパートを訪ねてくる結衣と部屋で二人きりはマズいから、いつも外に連れ出していました。
しかし、結衣が高三の夏休み、アパートを訪ねてきた薄着の結衣に目の前で脱がれ、理性崩壊、その細身の初々しい18歳の純潔を散らしました。
美しく舟形に避けた陰唇、まだ皮を被った陰核、羞恥に頬を染めながらも、ジワ~っと濡らすあたり、いじめられっ子だった結衣にマゾの素質を感じました。
本物の女子高生、三つ編みが清楚なイメージの女の子の顔を、生陰茎で貫き、破瓜の痛みに歪ませました。

私の生陰茎からほとばしった精液を身体に浴びて以来、結衣は私に抱かれたがってお出かけデートが少なくなっていきました。
二学期が始まったら、折角なので夏の白いセーラー服姿の結衣をハンディカムで動画ハメ撮りしました。
痴態を切り取られることに結衣は非常に興奮したので、冬の紺のセーラー服でも撮影しました。
本物の女子高生が、清純であるべきセーラー服姿でさらした痴態動画は、ハイビジョンの現在と比べると画質は粗いですが、私の宝物でした。

結衣が二十歳になってすぐ、結婚しました。
県立高校時代の清純な面影を残しながらも、既にマゾ淫女の本性に目覚めた幼な妻でした。
若くして私の妻の座に収まった結衣は、昼間は清純なOLでしたが、夜は毎晩私に与えられた恥辱凌辱にマゾの本性を晒していました。
今ほどセクハラが叫ばれていなかった当時は、結衣は、勤め先では、二十歳で結婚したから、
「そろそろ旦那に抱かれても痛くなくなったんじゃないか?気持ちよくなってきた頃じゃないの?アア―ンなんて言っちゃう頃かな?」
などと言われていたようですが、新婚時代には結衣は女の悦びを知るどころか、既にマゾ快楽に潮を噴いていました。

貞淑な幼な妻OLの仮面の下に、露出マニアの素質も芽生えていました。
ワンピースの下はノーパンノーブラで出かけて、電車に座ってオヤジの前で前屈みになって乳首と陰毛まで見せつけたりしていました。
帰ると露出羞恥にグッショリ濡れて、私の陰茎を求めていました。
そんな二十歳の三つ編み幼な妻結衣が、私の生の陰茎で貫かれ、アクメに仰け反る様子をフィルムカメラで撮影して、投稿していました。
時には赤いロープで縛り上げ、膣と肛門にローターを入れて放置し、身悶えする恥辱の姿も撮影しました。
投稿雑誌の紙面を飾る自分の痴態に、結衣はトロトロと内股を濡らしました。

結婚した年の冬、温泉旅行に出かけました。
浴衣姿で晒す痴態も撮影しましたが、投稿誌で好評だったのは、雪原全裸露出写真でした。
温泉の近所にスキー場があり、極寒のスキー場そばの雪の中で、膣と肛門の二穴バイブ責めを撮影しました。
三つ編みが似合う幼な妻が、マゾ露出に目覚め、官能に果てる瞬間を投稿しました。
寒中SMに三つ編みを揺らして身震いアクメする幼な妻が、生暖かい愛液を垂れ流し湯気を立てている恥辱、立ったままで二穴オナ二―姿を占めん公開しました。
肛門に突き刺さったバイブの振動に熱い愛液を垂れ流す姿の向こうには、リフトから三つ編み幼妻を鑑賞するスキー客の姿が映っていました。
圧巻は、白銀の世界にアクメ脱糞、拡張肛門がポッカリ開いていて卑猥でした。

こんな結衣も23歳と26歳で出産、母親になりました。
子供に引っ張られるから三つ編みはバッサリ切った結衣は、暫くの間子育てでSMはお預け、ノーマルなセックスを続けていました。
やがて結衣も三十路を迎えましたが、相変わらずの幼顔で、少女のようなお母さんでした。
結衣が出産後にSMを止めて10年の33歳の頃、再び、
「あなた、久しぶりに苛めて欲しいの・・・」
と言われ、結衣を縛り上げて、陰核吸引調教を始めました。
はじめはクリキャップから始め、結衣が35歳の時にシリンダー型のバキューマーで強烈吸引、37歳の頃には、結衣の陰核は皮がむけっ放しで飛び出た肥大陰核になりました。

5年前、結衣は四十路を迎えました。
48歳の私は、精力の衰えが否めず、結衣を抱くのは週に3回程度になっていました。
上の子は高二、下の子は中二、もう、他がかからなくなると、結衣の新たな性の世界を見出しました。
それはオナニーショーで、私に淫らなオナニー姿を見られて、興奮するというものです。
両足を床について腰を落とし、ソファーに背を持たれて腰を突き出し、指をV時にして陰唇を広げて膣口を晒し、肥大陰核をローターで弄って膣口から愛液を垂れ流します。
子供が大きくなってから復活した三つ編み姿の四十路妻が、まだ清楚さを保つ幼顔でドドメ色の陰唇をめくり、皮剥け肥大という性器改造された陰核を見せつけてオナるすがたはスゴイです。
「あなた見て、私のオマンコがヨダレ垂らしてヨガってるわ・・・」
そしてディルド、最後はアナルボールを自分で入れて、自力で排泄して見せます。

現在、私53歳で結衣は45歳、上の子は大学4年、下の子は大学1年、二人とも家を離れて夫婦二人暮らしになりました。
今は、結衣に懐かしい高校時代のセーラー服を着せて、居間でM時開脚で縛り、膣にバイブを突っ込み、陰核責めの突起を剥けた肥大陰核に宛てたままロープで固定します。
そして、スイッチを入れたまま放置すれば、セーラー服を着た清楚な熟女が、M時開脚に縛られた腰を前後左右にカクカクさせます。
その姿は羞恥に満ちて、しかし結衣はその羞恥が快感を呼ぶマゾ体質なので、何度も恥辱逝きを繰り返して、白目を剥いて気絶します。

その姿を見ると、私の陰茎もそそり起ちます。
おかげで、53歳の私は、結衣を抱く日が週3回から週5回に増えました。
しかも、イキまくった結衣は全身が性感帯なので、挿入した途端に再び逝きまくります。
セーラー服姿の清楚熟女の痴態は、充実した性生活の活力となっています。
先日、夫婦の寝室の押し入れの奥から出てきた、25年前の投稿雑誌数冊を見て、夫婦の歴史を思い出したので文章にしてみました。

2 COMMENTS

匿名

後もう少しで、おたより出せるよ。少しずつで、遅くてごめんなさい。成り済まし行為で心が落ち込むと、楽しいお手紙書ける気持ちに戻れるまで、お時間がかかっちゃって、ごめんなさい。今日も見つけたけど、ずっと遅くなりすぎてるから、楽しいこと考えて、続き書いてみるね。だめな私で、本当に、本当に、ごめんなさい。

返信する

コメントを残す