直人さんから投稿頂いた「母と近親相姦中出しAVに出演した思い出」。
私が実の母と男女の関係になったのはC3の夏でした。
私がC3になると父が単身赴任になり、月に一度しか帰りませんでした。
そんなC3の夏休み、母が買い物に出かけたあと、トイレに行くと、途中の脱衣所に母のパンツがあって、思わず匂いを嗅いでしまいました。
ツーンとする刺激臭、思わずペニスを出して、母のパンツでシコシコ、とそこへ母が忘れ物を取りに戻り、玄関ではなく勝手口から入ってきて、モロに見られてしまいました。
固まる二人、沈黙を破るように母が勃起したペニスからパンツをどけて洗濯籠に戻し、
「受験勉強に集中させるためだから、お母さんが直ちゃんの性欲処理をしてあげる。」
母は私に、
「お部屋に戻って裸になってなさい。」
と言うと、夫婦の寝室からコンドームの箱を持って私の部屋に入ると、裸になって股を開き、オマンコを思い切り広げて見せました。
「これが見たかったんでしょ?」
当時40歳の母のオマンコは、ドドメ色のビラビラに縁取られていました。
「弄っていいの?」
頷く母のオマンコに、指を突っ込んだり、クリを摘まんだりしていたら、母の艶かしい声がしてきて、勃起ペニスにコンドームが被せられ、騎乗位で童貞を卒業しました。
こうして○5歳の私と、40歳の母が結ばれました。
私は、あっという間に精液を搾り取られてしまいましたが、母にコンドームを好感されて、今度は正常位で腰を振り、この日、昼間3発、夜2発の射精をしました。
こうして、私と母は毎晩交わりました。
母と一緒に風呂に入り、母をクンニして喘がせ、中坊のカチカチペニスでヨガリ狂わせました。
母の彷徨う乳房、歪む顔、捩りながら上気する身体、母のそんな姿に興奮しました。
月に一度、父が帰ってくるのは安全日を狙ってでした。
私は、父が帰ってきた夜は夫婦の寝室の前で、母の喘ぎを聞きながら切なくうなだれていました。
父が帰ると、すぐに母を求めましたが、母は父と同じように生挿入中出しを許しましたが、父の精液が残るオマンコを舐めさせてはくれませんでした。
母のオマンコ深くにペニスを挿入して、母の子宮に射精するときは、その狂気の背徳感にゾクゾクしました。
こうして私は、高校の3年間も母と関係していました。
高校に入ると、生入れ外出しを覚え、コンドームを使わなくなりました。
大学進学で上京した私と入れ替わるように、父が戻ってきました。
私は、まるで恋人と別れるような寂しさの中、母に別れを告げて実家を離れました。
大学では女子大生や女子行使の彼女もできて、処女喪失も経験しました。
そんな私が大学3年の9月、父が亡くなってしまいました。
悲しみの中、もう一つの問題がありました。
それは、あと1年半ある大学の学費と生活費でした。
父の生命保険はそれほどなくて、母は、一大決心して、以前スカウトされたことがある熟女AVの出演を決めました。
私は反対しましたが、
「あなたのためよ。1年くらいで辞めるから。」
と言われては、どうしようもありませんでした。
AVデビュー当時、母は46歳でしたが、老け顔メイクと衣装とヘアスタイルで、51歳というプロフィールでした。
当時のAVはまだVHSで、レンタルで借りてきて母の作品を見ましたが、一見、母ではないような気がしました。
なるほど、こうやって出演すれば、身バレしにくいんだと感心しましたが、裸は、中高生の時に私が愛した母の女体そのものでした。
母のデビュー作は、母親の親友のキレイな五十路おばさんとセックスする青年と言うストーリーでした。
20代後半くらいの若い男優とキスする母、男優に愛撫されトロンとした表情になる母、男優にクンニされてビクビク感じる母、そしてセックスシーン、強烈でした。
お尻を両手で掴まれ、バックから突かれ、母の乳房が揺れました。
気付けば、私はペニスを握りしめていました。
お互いの身体を貪り続ける若い男優と母、母親の友人と息子という設定ですが、その年の離れた男女のセックスは圧巻でした。
いつの間にか、私のペニスからは精液がダラダラと漏れ出て、母のAVで射精して、恐ろしいほどの賢者タイムに襲われました。
その後も、母の作品を見ました。
学ランを着た生徒が五十路女教師とデキてしまう作品は、自分の過去と重なりました。
うだる暑さの夏休み中の教室で、お互いの肉体を絡ませあう母と男優は、汗だくでした。
女教師役の母はグレーのスーツ姿で、タイトスカートが我が母ながらムラムラでした。
五十路美熟女教師の肉付きのいい太股とお尻に、生徒は大興奮でフル勃起です。
先生の方から騎乗位でペニスを挿し込み、ハァハァと息を荒げて、激しく濃厚に絡み合って愛し合う教師と生徒は、玉の汗を垂らしながらイキ果てました。
母は、AVスタッフに実の息子と、かつて近親相姦関係にあった過去を話してしまいました。
デビューから1年、約束通り引退する母の引退作で、実の母子相姦をAVにする規格が持ち上がりました。
私は拒否しましたが、学費を払っても余るギャラを聞いて、受けてしまいました。
設定は52歳の母と27歳の息子で、結婚して家を出る息子と記念の安全日中出しセックスを記録するものでした。
私は、普段女将を下ろしてメガネなのですが、22歳の私が27歳に見えるようにオールバックにして、母と交わりました。
、
メイクした母は何だか艶めかしくて、欲情してしまいました。
思いを抑えきれずに母に抱きつくと、懐かしい香りに包まれました。
母を脱がせつつ私も脱ぎ、五十路設定の母のオマンコを指で弄りました。
カンペで「69で舐め合って」と指示があり、私と母は69でフェラとクンニで悶えました。
十分に濡れたオマンコに、久し振りの母とのセックスに興奮してカチカチになったペニスを挿入しました。
「お母さん・・・お母さん・・・」
「ああ・・・あああ~~~」
腰を振る度に、母の喘ぎ声が漏れ、私に抱きつきました。
母のオマンコは愛液を垂れ流しながら、キュッキュッと締め付けてきました。
愛する息子の生ペニスにピストンされているうち、母はすっかりAVモードに入って私にお尻を向けてお尻を突き出し、バックからも突かれて乳房を揺らしました。
久しぶりの息子とのセックスに、母はかなり感じてズブ濡れ、
「お母さんのオマンコに精しだしてぇ~~」
という母にバックのまま射精、息子の精液を受け入れました。
ペニスを抜くと、精液が糸を引きながら逆流し、愛液と混じって母の内股を伝い落ちました。
そこに「この母子は、かつて近親相姦関係にあった実の母子です」とテロップが流れました。
一昨年67歳で急逝した母の三回忌を終え、実家を片付けていたら、22年前の母と私の母子相姦AVが出てきました。
私は、パッケージの写真を破り捨て、VHSテープを引き抜き、母と私の近親相姦ビデオを処分しました。
44歳の私は、妻と子供たちに見られないうちに処分できて、ホッと胸をなでおろしました。
そして仏壇に向かい、手を合わせ、
「母さん、あんなもの遺してて・・・」
と呟いたら、
「お前と母さんが愛し合った記録だから、大切に取っておいたんだよ・・・」
と言う母の声が聞こえたような気がしました。
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コメント一覧 (2件)
良かったですね❗️。母親と初体験セックスをしてもらって、しかも、大学の学費を払うために、AV女優としてデビューして、引退記念に、本当の近親相姦セックスで撮影してね❗️。本当にものすごくうらやましいしものすごく良かったですね❗️。しかも、母親が亡くなってから、遺品を整理していたら、引退記念に撮影したVHSテープが出てきてね❗️。母親は、息子との近親相姦セックスを大切に保存していたんだね❗️。でも、それを処分するなんてね、ちょっともったいないような気がするけどね❗️。まあ、奥さんにバレずに処分出来て、良かったですね❗️。
VHSのころか…
もう、検索してもどの作品かわからないかな。