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二十歳の処女をくれた純朴な前カノの思い出

回想さんから投稿頂いた「二十歳の処女をくれた純朴な前カノの思い出」。

十数年前の若い頃、現場で使ってたカシオの関数電卓が引き出しの奥から出てきました。
懐かしいなと取り出し、ケースを開くと、妻の前に付き合ってた前カノのプリクラが貼ってありました。

物凄く大好きだったのに別れてしまった前カノだったから、胸がキュンとしました。
付き合いだしたのは、私が大学を出て1年目の23歳、前カノは大学2年で20歳でした。
アパートが近所で、コンビニや大衆食堂でよく顔を合わせていて、可愛い女の子だなあ、と思っていました。

付き合うきっかけはコンビニ内での万引き事件で、店員に現行犯を発見された犯人が逃げる際、前カノが突き飛ばされて私にぶつかり、二人とも倒れるアクシデントからでした。
それ以来、挨拶するようになり、会話を交わすようになり、そして、私から交際を申し込み、前カノが受け入れてくれたのです。
前カノは可愛いのですが、大人しくて、とても純朴そうなので、見た目が地味でした。
出身が結構な田舎で、県庁所在地に出てきて、大都会でもない人口30万人の地方都市なのにオドオドしていました。

前カノは奥手で、20歳で処女でした。
奥手の純朴娘が、まだ男を知らない前カノが、初めて身体を許してもいい男と思ってくれたことが、とても嬉しかったです。
私は、その時の一部始終を今も忘れていません。
大人になったばかりの身体を私の前に晒し、愛撫されて目を閉じ、股を割られて恥ずかしい淫裂を広げられ、羞恥に頬を染めました。
小ぶりな陰唇に囲まれた綺麗なピンクの穴、その奥にヒダヒダの膜、私は、初めてクンニされて息が荒くなっていく前カノの息遣いを今も忘れません。

羞恥と快感で上気してゆく身体、ヌルヌルに愛液を垂れ流してテカる陰部、拙いフェラ、忘れられません。
そして、私の生の陰茎は、前カノの20歳の処女膜を貫きました。
私は、その瞬間の感覚、前カノの反応、表情を今でも忘れていません。
恥ずかしがってて、暫くマグロだった前カノでしたが、陰核を責められる快感に耐えきれず、声を出して喘いだあたりから、少しずつ淫らになっていきました。
私に抱かれて、淫らになっていく過程が嬉しかったですね。
すぐに陰茎の抽挿でも感じるようになっていきました。

一年後には、陰核集中クンニで初めて逝きました。
そこから身体が淫らに変化していって、陰茎の抽挿でも逝くようになりました。
抜き差しするたび、クチュクチュと愛液の音を立てながら腰をシンクロさせるようになると、正常位以外もこなすようになり、純朴娘が騎乗位で乱れまくるようになりました。
髪を振り乱して、まるで陰核を私の陰茎の根元にこすりつけるかのような腰使いで、ヒンヒンと喘いでいました。
大学4年生になると、前カノはすっかりエッチな女の子になって、奥まで挿入してじっとしてると、私の腰を惹きつけて腰を振りだすようになりました。

とても可愛かった前カノは、私に好かれようと、好きな髪型とか尋ねてきましたが、私はそのままの前カノが好きだったのでリクエストしませんでした。
料理が好きで、好みを尋ねられても、前カノが作る料理はどれも美味しかったので、リクエストしませんでした。
前カノは単に私に尽したかっただけと知ったのは、前カノが大学を卒業して、田舎に帰る前の最後の夜でした。
前カノの実家へ単身パックで荷物を送り、最後の夜は駅前のシティホテルで過ごしました。
豪華なコース料理を食べて、最後のセックスを終えたあと、前カノがポツリと言いました。
「私があなたにしてあげられたことは、何だったのかな・・・3年間、私はあなたに、なーんにもしてあげられなかったような気がする・・・」
前カノは、私に尽くそうとしてくれてたことに、最後の最後に気づかされたのです。
私は、女心がわからない、尽くされ下手のバカヤロウでした。

前カノを駅で見送り、何度もさようならって言いながら別れました。
前カノは、電車の時間ギリギリまで私のそばを離れませんでした。
私も前カノも泣いていました。
私は、前カノが乗った電車が見えなくなるまで、手を振っていました。

あれからもう十数年の年月が過ぎ、私もアラフォーと言われる年齢になりました。
久し振りに開いた関数電卓のケースに貼ってあった前カノのプリクラを見て、懐かしい気持ちと共に、前カノが幸せでいて欲しいと願いました。

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