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「せ○かくグルメ」を見て思い出した元カノのお話し

親不孝さんから投稿頂いた「「せ○かくグルメ」を見て思い出した元カノのお話し」。

過去に何人か元カノがいたけど、一人だけ、忘れられないというか、今何してるかな~って考える元カノがいます。
建設系の会社員の私は、東日本大震災の1年後の25歳の時に、昔JVを組んでた縁がある福島の会社に応援要員として出向しました。

現場で液状化で飛び出たマンホールを見たとき、地震の破壊力を思い知りました。
被災地では、災害復旧を急ぐも人手が足りず、応札できない工事もありました。
そこに除染の発注が見込まれて、各社、何かしらの繋がりを頼りに、他都県の会社に応援を頼んでいました。

私は、福島駅に降り立ち、ローカル私鉄に乗り替えようとしたら、なんと、一つの改札から入った島式のホームの両側に違う会社の私鉄が発着するという紛らわしいスタイルでした。
間違えて乗ると、宮城県まで行ってしまうところでした。
間違えることなくローカル私鉄に乗り、10分くらいの場所に会社が借りてくれたアパートに着きました。
私が生まれるずっと昔に造られた東急7000系の電車が二、三両編成でトコトコ走り、駅舎も可愛くてお気に入りの風景でした。
応援要員として勤務した建設会社には独身者は少なく、事務員の里美という女の子も短大を出て以来2年間彼氏なしでした。
「だって私、この会社に入る3週間前に震災があったのよ。彼氏どころじゃなかったわよ。」
そりゃそうだろうなと思いました。
里美とは年も近いこともあって、すぐに仲良くなりました。

里美が私のアパートに初めて訪れたのは7月の上旬、蒸し暑い梅雨の日でした。
里美の家は、同じ私鉄沿線で、福島駅から里美の家の最寄り駅までの途中に私のアパートの最寄り駅がありました。
「私、この駅で降りたの初めて・・・」
とはにかみながら、私のアパートまでついてきました。
途中のコンビニで買ってきたつまみを開けて、缶ビールを飲み始めました。

テレビをつけるでもなく、静かな雰囲気が密室に「二人きり」を演出しました。
「もう一本飲むでしょ?」
と言って冷蔵庫から缶ビールを取って、今度は里美の隣へ座りました。
私のアパートへ上がりこんでる時点で、里美は覚悟と期待をしていたのはわかっていました。
「里美ちゃん・・・」
肩に手を回すと、目を閉じたので唇を重ね、そのまま押し倒しました。
服の上から愛撫すると、意外と胸がありそうでした。
愛撫に切なそうな吐息を漏らしたので、ワンピースの裾から手を入れて、パンティの中に中指を忍ばせると、ヌルッとした感触の後、陰核の硬い感触があり、直後里美は、
「あっ!」
と声を出しました。

着衣が乱れていくと、里美は自分から脱ぎ始めました。
アパートではベッドではなく布団で、まだ敷いてなかったからそのままカーペットに長座布団を敷いて私も脱いで、里美に覆い被さりました。
里美の淫裂は割れ、陰唇が濡れそぼっているのが見えました。
私は生のまま、陰茎を膣に差し入れました。
「あああ・・・ああ・・・ああん・・・」
里美のDカップが揺れ、愛液が湿った音を立て、部屋中に淫臭が漂いました。
襲い来る射精感に、里美のお腹にティッシュをばらまいて、陰茎を抜いて射精しました。

里美は、早く帰れる日は私のアパートに寄るようになりました。
やがて私の部屋の合い鍵を持つようになり、私が遅くならない日は里美が先に帰り、夕食を作って私の帰りを待つようになりました。
一緒に夕食を食べて、長座布団の上で愛し合いました。
休日は朝からやってきて、勝手に上がり込んで遅めの朝食というか、早めの昼食を作り、私を起こしてくれました。
休日は時間があるので、二人でお風呂に入って、たっぷりクンニを愉しみました。
里美の陰核を責め抜いて、乱れさせてから挿入です。
時には、騎乗位で髪を振り乱してヨガリまくる里美を見上げました。

福島に来て2年、東京に戻ることになりました。
震災復興も大変だが、東京ではオリンピックに向けたインフラ整備がピークを迎え、震災復興に東京組は応援する余裕がなくなってきたのです。
私は、里美を連れて東京に戻ろうとしました。
しかし、福島を去るひと月前、私の両親が福島の温泉巡りの帰りに立ち寄った際、紹介した里美に向かって母が、
「福島の女の子で大丈夫なの?放射能、子供に影響しないの?」
と言いました。
里美はスッと立ち上がると、一礼して黙ってアパートを出ていきました。
それ以降、里美が私のアパートを訪ねてくることはなく、職場で顔を合わせても会話すらありませんでした。
一か月後、私はひとり寂しく、誰に見送られることもなく、福島を後にしました。
「さよなら、里美・・・」
ローカル私鉄の扉にもたれて呟きました。

東京に戻った私は、郊外の実家には帰らず、都心に近いところにアパートを借りて両親と距離を置きました。
父は私の気持ちを汲んでくれましたが、母は里美への発言の愚かさや与えた傷を理解しておらず、私を親不孝と罵りました。
東京に戻ってからも、時間が過ぎれば過ぎるほど、「なぜ諦めてしまったのか、もう一度里美と向き合わなかったんだ」って後悔の念が膨らみました。
時が流れて、女性から言い寄られたりもしましたが、気持ちが向かないまま三十路を迎えた私は、あれこれ考え込むより、思い切って福島に里美を訪ねてみようと出かけました。
里美への想いを抱えたまま、言い寄ってくれた女性と付き合うのは失礼だと思ったのです。

新幹線を降り、懐かしいローカル私鉄に乗ろうと思ったら、東急7000系が引退しはじめ、インバーター制御の東急1000系に置き換わり始めていました。
「ああ・・・福島も変わっていくんだなあ・・・」
そんな思いを秘めながら、里美の家に向かいました。
でも、途中のコンビニで私は引き返すことになりました。
そこには、お腹の大きな里美の姿がありました。
きっと、嫁ぎ先から里帰りしていたのでしょう。
私は、コンビニの塀に隠れるようにして、買い物袋を提げて歩く里美を見送りました。
「里美・・・元気な赤ちゃんを産んでくれよ・・・さよなら・・・」
そのまま今来た道を戻りました。
私は、言い寄ってくれた女性と真剣に向き合い、31歳で結婚しました。

以前、バナナマンの「せ○かくグルメ」という番組の2時間30分スペシャルで、朝ドラの街として福島市を特集していました。
HDDに録画しておいたのですが、見たら里美を思い出しそうで、切なくて見ないでいました。
「ねえ、これずいぶん前に録画してたみたいだけど、見ないの?結構容量食ってるんだけど・・・見ないなら消してね。」
と妻に言われて、恐る恐る見てみました。
ところどころ、懐かしい風景が見られましたけど、出てくるお店はほとんど知らないところでした。
でも、餃子屋さんだけは、何度も行ったお店なのですごく懐かしくて涙が出ました。
ローカル私鉄の終着駅にある温泉街に佇む餃子屋さんで、何度か里美と一緒に行ったことがありました。
円盤状に盛られたカリカリの揚げ餃子とビール・・・里美と行ったっけなあ・・・胸がキューンとしました。
涙ぐむ私を見て、妻が、
「さては、福島にいたときの彼女のことでも、思い出してるのかな?」
と言って、後ろから抱きしめられました。
その時、妻と結婚して良かった、愛される幸せを感じました。
そして、画面に映る福島の空の下で、どうか里美が幸せに暮らしていますようにと願いました。
勇気を出して見た「せ○かくグルメ」の福島の風景の思い出を、せっかくだから書き記してみました。

11 COMMENTS

匿名

良いお話ですね。
そのテレビ、私も見ました。
確か9月下旬だったと思います。
次の週末、弟がバイクで福島に行きましたが、めっちゃ混んでて、他の店で食べたそうですよ。
みんな行くんですねえ。

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匿名

せっかくグルメ俺も見た。朝ドラパロッてた。
餃子も旨そうだっかけど、牛カツ?だったか、あの値の張るやつ旨そうだった。
でも、わざわざ食いには行かなかったけどね。
元カノさんとの思い出もいいけど、スレ主の奥さん、優しいね。

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サイトウシンイチ46歳

いい話だよね❗️♥。【バナナマンのせっかくグルメ】、俺も良く見る番組だけども、その福島特集を見て、元彼女の里美さんのことを思い出すなんてね❗️❓️。有る意味、切なかっただろうね❗️。それにしても、母親は、福島の人に対して言ってはいけないことを言って、反省してないなんてね、本当に恥知らずだよね❗️❓️。そんな恥知らずの母親なんか、相手にしないで、里美さんと結婚すれば良かったのにね❗️♥❓️。でも、今の奥さんも、すごくやさしいところもあるから、今の奥さんといつまでも仲良く幸せになってほしいし、元彼女の里美さんも幸せになってほしいですね❗️♥。

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AYUMI

サイトウさんのレスは、独特の味わいがあって好きですね。
決してスレ主をけなさず、投稿心を沸かせます。
素敵です。

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匿名

描写が具体的で目に浮かびますね。
チクッと刺さる切ないお話でした。

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匿名

誰に見送られることもなく‥‥
福島の人を敵に回したな‥‥

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匿名

これは母親がカスだな。
例えスレ主が母親を諫めたとしても、彼女はスレ主の母親と親戚付き合いする気にはなれないね。

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匿名

俺の元カノも福島出身だった。
震災で帰京したまま戻らなかったよ。
思い出しちゃった。

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