エッチ体験談 12,000話 突破!!

清純派な幼な妻の懐かしい恥辱映像

哀妻家さんから投稿頂いた「清純派な幼な妻の懐かしい恥辱映像」。

寝室のタンスに隠してあった懐かしいCD-Rを見つけ、PCで見てみました。
中身はデジカメデータで、1つ当たり700KB程度、また、メディアプレーヤーで再生する1つ10MB程度の軽めの動画データが保存されていました。

それらは1998年から2003年まで6つのフォルダに別れていて、各フォルダにデジカメデータが100個くらい、動画データは4~5個くらい保存されていました。
それは、妻と出会って妻の処女喪失、性開発、そして結婚して種付けセックスをするまでの記録でした。

妻は、地元の県立高校時代には、三つ編みがトレードマークの清純な学園のアイドルとして人気がありました。
ヒョンな事で私と知り合い、可愛いのでじっくり手懐けようと優しく接した甲斐あって、高校卒業間近のバレンタインに告白してきました。
当時25愛だった私は、
「大人の男として、高校生の女の子とは付き合えないんだ。高校を卒業してから、付き合おうね。」
と良識ある対応をしました。

高校を出たばかりの妻は、喜んで私のアパートへやってきました。
卒業式は終えましたがまだ3月なので、身分が微妙な妻でしたが、可愛い三つ編み少女は優しく抱きしめると、キスを期待して目を閉じました。
唇を重ね、舌をこじ入れると一瞬目を見開いて焦っていましたが、すぐに舌を絡ませてきました。

服の上から胸を揉むと、されるがままに胸を揉ませてくれたので、スカートに手を偲ばせると、若干の抵抗を見せましたが、パンツの上から女裂をなぞっていると湿りだし、女裂の頂点にある女豆をパンツの上から爪でカリカリしてやると、膝から崩れ落ちました。
「セックス、した事あるかい?」
首を横に振った妻に、
「俺とセックスしてみるかい?」
首を縦に振った妻を裸に剥いて、アパートの手狭なユニットバスに一緒に入りました。

妻の承諾を経て、処女喪失を撮影しました。
三つ編み少女の華奢な身体は、まるで女子中学生を犯している気分でした。
女陰を広げ、女穴の奥を照らし出して処女膜を撮影、女豆をしゃぶり、十分濡らして男根をゆっくり挿入しました。
メリメリと突貫し、破瓜の瞬間ビクッとした妻を撮影しながら、ゆっくりと処女の処決を味わいました。
これが、1998年の最初のデータで、PCの画面で見てもかなり粗い動画でした。

妻は、4月からJAの事務員として働きはじめました。
相変わらずの三つ編み乙女は清純そうな美少女ですから、夏の頃には妻のJAの管轄内で美少女の職員が入ったと有名になっていました。
秋の収穫が終わった頃には、
「ぜひうち嫁に!」
とのオファーも届くようになっていましたが、その頃には、清純乙女の印象を残しながらも、順調に淫行開発が進み、淫乱な性の本性に目覚めていました。
見た目はとても清純そうな19歳でしたが、
「私、あなたのオチンチンに出会って、変わったの・・・」
と言って、どんな羞恥プレイにも応じる変態素質を開花させていて、高校の制服を着てM字開脚緊縛で女陰蹂躙される撮影もこなすようになっていました。

街にデートに出る時も、楚々としたロングスカートの下はノーパンにさせて、
「もしかして、気付いた誰かがお前の事を見て、可愛い顔して露出狂だって思ってるかもしれないぞ。」
と耳元で囁けば、
「ああ・・・スケベに敏感な男性には、私がオマンコ丸出しだってバレちゃってるんだ、きっと・・・」
と淫らな妄想に自己羞恥して、内股に愛液を伝わせてしまいます。
だから、ノーパンの時は楚々としたロングスカートなのです。

アパートに連れ帰れば、私の男根い跨って、根元まで女穴に呑み込み腰を振り、
「このオチンチンのためなら、どんなご命令にも従います・・・」
と性奴の誓いを口走ります。
そして、腰を突き出して、男根がめり込んだ死ぬほど恥ずかしい結合部をデジカメで撮影され、白濁した愛液を噴出させるのです。
交際2年目には、妻も成人して夜の街に繰り出し飲酒したり、街中のラブホに入ったりするようになったので、必然とデートしているところを同僚に見られてしまいました。
トレードマークの三つ編み姿で街中のラブホから出てきた妻は、同じく彼氏とデート中の先輩事務員に見られて、
「もう・・・ウブな顔してやるじゃない。」
と言われたようでしたが、その先輩事務員も、まさか妻が縄の味を占めた緊縛性奴だとは思っていなかったでしょう。

そんな交際が2年半、すっかり羞恥マゾ性奴となった三つ編み少女は、21歳の若さで私の妻になりました。
妻の勤務するJAの管轄内には妻のファンは数多く存在し、21歳で28歳の男の元へ嫁いだ幼な妻にショックを隠せなかったようです。
左薬指にシルバーのリングを光らせた妻ですが、可愛いロリ顔の三つ編み少女なので、夫に抱かれて喘いでいるようには見えなかったでしょう。
もちろん、そういう妻が好きで、髪型やファッションを三つ編み少女が似合うようにさせていたのも私ですから当たり前なのです。
清純そうな三つ編み少女が、人妻として破廉恥極まりない恥辱の行為に耽っているそのギャップが、私を興奮させるのです。

だから、私の妻になってからも昼間は三つ編み事務員で清純な見た目はそのままに、夜は毎晩私が与える恥辱プレイによる凌辱快楽にマゾの本性を晒していました。
「今日ね、新婚さんは毎日してるの?って言われたから、もちろんって答えたの。でも、毎日こんな恥ずかしいエッチしてるとは思ってないわよね。」
と貞淑な清純顔の下にマゾ性奴の顔を隠す妻は、結婚一年目にアナル貫通を果たし、肛内射精に失神アクメで白目を剥くようになりました。
全て、私と妻の性愛の記録として保存されていました。

妻は、自分の恥ずかしい姿を見られることで変態妄想して自己羞恥するので、旅行先では部屋のカーテン全開でセックスします。
向かいのホテルから見えそうな窓際のベッドやソファーで、結合部を窓に向けてハメ狂いながら、その様子を撮影します。
当然旅行中はスカートの下はノーパンで、女陰丸出しです。
「ああ・・・また濡れてきた・・・お家まで待ちきれない・・・早くあなたのオチンチンを入れて・・・」
とせがまれ、山中の国道のチェーン装着スペースに車を停めて、行き交う車から見えそうな場所でカーセックスをしたこともありました。

2002年のフォルダは種付けのデータが記録されていました。
「ようし、お前のマンコにタップリ種付けしてやるから、元気な赤ちゃんを孕めよ。」
「あなたの精子いっぱいちょうだい。あなたの精子で私を孕ませて~~」
と三つ編みの清純顔で女唇を押し開きながら男根挿入乞いして、最後は男根に跨って激しい腰振りで、
「ひぃぃぃぃぃーーーーーーーっ!」
とヨガリ狂いながら、子宮口に亀頭を当てて精液を搾り取りました。
その画像が第一子妊娠に繋がりました。

そして2003年、最後のフォルダには、ハラボテになり始めた三つ編み少女の中出しセックスをして、耽溺する画像が満載でした。
そして、三つ編みの清純顔とハラボテのギャップが凄い動画が最後でした。
女穴でのセックスが禁じられた妻は、新婚時代に開発された肛門を拡げて、肛門で男根を締め上げ、三つ編みを揺らせて肛門アクメに酔い痴れ、精液を直腸で受け止めた動画が最後のデータでした。

第一子を出産した妻は、髪をバッサリと切ってショートヘアにして、もう、三つ編み少女ではなくなりました。
「私、お母さんだから・・・」
そう言って微笑んだ妻は、子を持つ母の顔になり、母性がマゾの魔法を解いていったようで、3年後、第二子を出産すると次第に清楚なお母さんになっていきました。
そして、もう、破廉恥な撮影はしなくなり、普通の仲睦まじい夫婦になりました。

懐かしくも破廉恥な妻の画像と動画を、十数年ぶりに見ました。
妻との思い出の一つですが、私は、このCD-Rを粉々に砕いて廃棄しました。
それは、間もなくやってくる妻の一周忌に、妻がマゾ性奴だった過去を消し去りたいからなのです。
私にとって、妻との結婚生活は、優しく清楚な妻の思い出の方が大切だからです。
妻と出会って21年、結婚して19年の昨年、コンビニの駐車場で妻は急発進した自動車に跳ね飛ばされて亡くなりました。
享年40歳、早すぎる死でした。
もっと、妻を抱きたかったし、妻といろんなところに出かけたかったです。
妻と一緒に、東京五輪を見たかったです。

今年48歳の私は、再婚するつもりは全くありません。
妻以上の女性は、この世に存在しないからです。
いくつになっても可愛くて清楚で、でも、淫乱な妻に代わりはありません。
素敵な妻との思い出の中、生きていこうと思います。

1 COMMENT

コメントを残す