しぜさんから投稿頂いた「母親とあまり変わらない年齢の人妻との関係②」。
あれから2か月後
俺はアパートを引き払い、恵さんの家へ引っ越しを終わらせていた。
下宿生活当初は、旦那さんはほとんど家に居て、毎日のように晩酌に付き合った。
旦那さんは息子が出来たみたいで嬉しいと何度も言ってくれた。
基本的には悪い人ではないため、晩酌の付き合いも、それはそれで楽しく、束縛も無い下宿生活に後悔はなかった。
ただ・・・ 思っていたほど恵さんを自由に出来ない事にはガッカリしていた。
家での夕飯が当たり前になった為、木曜の外食もなくなり、時々恵さんの買い物の運転手として出た時に口でさせる程度しか欲求を発散させる機会はなかった。
しかし、そんな不満も、一か月ちょっとほどで、解消へと向かった。
次第に旦那さんの帰りは遅くなり、また、夜からの出勤で朝まで帰って来なかったり、急な出張が増えてきた。
家に帰ると、毎日恵さんが出迎えてくれた。
旦那さんの帰りが遅いと解っている時は、そのまま玄関で押し倒し、欲求をぶつける事もあった。
旦那さんが出張で帰って来ないと解っている時は、
恵「・・・今日は2人・・です」 と恥ずかしそうに伝えてくる。
玄関で衣類を全て剥ぎ取り、そのまま夜まで放置したり、エプロンだけの姿にしたり、下宿生活が始まって少ししてからは、全裸に首輪、手枷足枷など、様々な格好で夜を楽しんだ。
玄関にリビング、キッチンや廊下、トイレ、時には庭先なんかで楽しむ事もあったが、メインで抱くのは恵さんの寝室が多かった。
寝室は俺が下宿する以前より、旦那さんとは別であり、また絶対に旦那さんが入る事は無かったので、色々な玩具を隠すには絶好の場所であった。
管理も恵さんに全て任せてあり、何を持って来いって言うだけで、自分で自分を虐める玩具を用意するようにしていた。
深夜、ドンキに2人で出かける事があった。
エッチの最中に、夏ならワンピース、冬ならコート類だけを着せ、1枚剥げば全裸の格好で嫌がる恵さんを連れ、買い物に出ていた。
恋人には・・正直思われない、親子の方がしっくりくる2人で、出かけていた目的は、恥ずかしい姿のままの恵さんを人目の付く場所に出し、虐めるのが目的であった。
また、恵さんも嫌がりはするが、強制的に連れて行くと悦んだ。
ドンキでは、アダルトコーナーへ1人で行かせるのが定番であったが、深夜のアダルトコーナーに女性一人で立つと、そこに居合わせた男性や店員に声を掛けられる事が多いようで、興奮で震えながら出てくる事も少なくなかった。
そこで、何か一つ選んで買ってくるように言ってあったので、玩具は増える一方で、様々な大人の玩具が当時、揃っていた。
中には、使用用途や使われ方も解らず、ただ、急いで戻りたいために掴んだ、「アナルパール」や「バイブ類」もあり、遊びの範囲も広がっていった。
その中でも拘束具の数々は、俺のお気に入りで、何度も使用して楽しんだ玩具の一つである。
2人っきりの夜、拘束具を付けるように言うと、一人自分の部屋に入り、拘束具を自分で身に着け、リードだけを持って降りてくる。
色白でムチムチの肌に黒皮の首輪、手枷、足枷・・・ 各拘束具には、鈍く光る小さなチェーンが付いており、飼い慣らされた子豚を連想させられる。
自由を奪われる事に慣れ、またそれが恵さんのマゾ性を刺激するのか、拘束したまま放置するだけで、トローンとした目で物欲しそうに俺を見る。
また、首輪にリードを付け荒くそのリードを引くと、完全に所有物に堕ちてしまい、以降、何をされても従うドMと変わっていった。
色違いの赤いボールギャグを咥えさせ、四つん這いでアナルパールやアナルバイブで遊んでやると、悲鳴に近い鳴き声で涙を流し、床一面に唾液を垂れ流しながら悦んでいた恵さん。
SMに興味はあまりないが、下宿中は何度もそのようなプレイもさせてもらった。
身体の関係が始まった当初は、エッチにも不慣れで、俺の亀頭だけで苦しそうにもがいていた恵さんであったが、下宿生活も終盤の頃には、エッチにも素直で従順なペットのように上手に腰を振る事も出来るようになっていた。
今では、SとMの関係性は変わっていないものの、SMプレイなどの激しいエッチは無くなった。
代わりに、恵さん主導での奉仕のエッチがメインとなっている気がする。
エッチはかなり上手になった。 従順さも変わらず、俺以外の男を受け入れていない為、俺専用の処理女である事に変わりはない。
現在の恵さんとの関係性は、また今度書き留めるとして、俺の下宿生活は、今の妻との新婚生活でも無かった、濃厚で濃密な恵さんとの性の生活を思い出すばかりである。
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