遼介さんから投稿頂いた「父は知らない…」。
ネタ帳
両親は今年38歳で、二人が20歳の時に僕が生まれた。
もしかしたらそれ以前に母にされてたかも知れないけど、僕が覚えているファーストキスは5歳の時に母と。
軽くチュッとするものじゃなくて、舌を絡め合う濃厚なやつ。
キスされた瞬間に母の舌が入って来た時は驚いた。
頭を抑えられてたから逃げられなかった。
舌をネットリ絡められて頭がクラクラした。
それから1週間も経たない内だったと思う…。
風呂で母にチンコの皮を剥かれて大泣きした。
僕は皮を戻そうとしたけど母に止められて、しばらく痛いのを我慢して過ごした。
すっかり痛みも無くなったのは何時だったか覚えていない。
かなり日数が経ってからだったはず。
それから母にオナニーを教え込まれ、毎日母の前でオナニーをするよう強要された。
それが普通だと言われたから、僕は疑う事なく母に見られながらオナニーしてた。
精通してからは母の手の平に射精するよう言われた。
出した精子は母が匂いをチェックして、更に舐めて味も確かめてた。
それは僕の健康をチェックする為だと言っていた。
その年のクリスマスは両親からプレゼントを貰ったけど、父が寝た後で母からもう一つのプレゼントとしてフェラチオされた。
チンコを舐められ、口に含まれると舌が纏わりつき、ジュポジュポと吸われ、そのまま母の口の中に精子を出してしまった。
母はじっくりと精子を味わってから美味しそうに飲んでいた。
年が明けて6歳の誕生日。
たまたま父が仕事で帰宅出来なくなり、母と二人きりの誕生日会になった。
父がいないので、普通の誕生日プレゼントを貰うと同時に母からの特別なプレゼントも貰った。
母のオナニー観賞だ。
パンツを脱いでオマンコを僕の目の前に晒け出し、何処をどうすれば気持ち良くなるか解説しながらのオナニーだった。
オマンコから出てきた液は最初透明だったけど、激しく指を出し入れし始めてすぐに白く濁った液になった。
腰を浮かせて身体を仰け反らせてビクンビクンと痙攣しながら母が果てた。
本当はオナニーを見せて終わるつもりだったらしい。
でも僕は母のオナニー姿に興奮してオマンコに吸い付いてしまった。
果てたばかりで敏感になったオマンコに僕が突然吸い付いたから、母は驚きと快感でまたすぐに果てた。
その日から母とオナニーの見せ合いやアソコの舐め合いをするようになる。
そこから先に進むのは早かった。
母は最初、毎年一つ何かを教えようと考えてたそうだ。
でも僕が自分からクンニをした事で、母は我慢出来なくなったらしい。
初体験では、土下座のような格好で高く突き上げた母のお尻を鷲掴みにして挿入した。
チンコが全部入る前に母の中に射精してしまった。
「出しながらで良いから、そのままオチンチンを全部入れなさい」と言う母の言葉に従った。
母のお尻と僕の下腹部がピッタリと密着してチンコが見えなくなった。
今度は「腰を前後に動かしてオチンチンをオマンコに出し入れするのよ」と言われて腰を動かしたけど、気持ち良すぎて腰がガクガクして上手く動かせなかった。
見兼ねた母にチンコを一回抜くように言われ、抜くと母に押し倒された。
僕の上に母が跨って腰を落とし、オマンコにチンコを飲み込むと腰を振り始めた。
今度は母が果てるまで動くのを止めてもらえず、何度も繰り返し母の中に射精させられた。
出し過ぎて意識がボーっとした。
それからの母は凄かった。
何かの薬を飲むようになって、毎日何回も中出しさせられた。
その薬がピルだと知ったのは僕が中学生になってから。
その頃には僕と母の身長は逆転し、少しだけ僕の方が背が高くなってた。
そして母の要求はエスカレートしていき、僕はそんな母を愛していた。
母は一日中パンツを履かずに過ごすようになった。
朝は母がフェラチオで起こしてくれるようになり、一足先に家を出る父を二人で見送ったら学校に行く前に母を抱く。
学校から帰宅すればオナニーでオマンコを濡らした母が出迎えてくれ、玄関でセックスを求められる。
夕食後は性器を舐め合い、同時に母のアナル開発を手伝う。
父が帰宅しても父に見えない所では抱きしめ合ってキスをする。
父が寝たらそのすぐそばでセックスをする。
特に父の顔を跨いで立ったまま後ろから犯されるのが母のお気に入りだ。
僕と母がこんなに愛し合っている事に父は全然気付かず、幸せな家庭を持てて幸せだと言う。
三年前から母がピルを飲まなくなり僕と子作りセックスを繰り返した。
その甲斐あって見事に僕の子を妊娠した。
安定期に入るまでは開発したアナルで僕を楽しませてくれたから、お互いに欲求不満にはならなかった。
僕は15歳で父親になった。
父は僕と母の子を自分の娘だと信じて可愛がっている。
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コメント一覧 (1件)
父親〜気づけよ