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義母と…アナルなら近親相姦にならない

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千摺男さんから投稿頂いた「義母と」。

 親父は56歳、3年前脳梗塞で倒れ、今は歩けるが農作業は出来ない。
実の母は10年前癌で死亡、親戚筋から後添えに来た義母は出戻りの53歳。
今、義母と俺で田畑を耕し、なんとか食いぶちを稼いでいる。

 俺22歳になるがまだ童貞。嫁さがしに躍起になっているが、こんな過疎地の農家にくるもの好きな女はいない。
仕送りするから、都会で働くと訴えたが猛反対。もっともだと思うが俺も女が欲しい。

 インターネットのエロサイトで3日にあげづ手で抜いてはいるが、やはり実物が欲しい。
 それが今年の春からとんでもないことがおきた。いや、成るべくしてなったのかもしれない。

 うちの一番遠い田は谷間にあり、そばに小川が流れている。夕方になっても暑い日だった。田んぼの雑草刈りを終え大汗をかいた。「おめぁも汗を流さんね」と義母は俺に背を向け川に入った。いつものことだ、ちらっと義母の豊かな尻が目にして俺も離れたところに素裸になった。

「こっちきんさい」と意外なことをいう。「恥ずかしがらんでもよか、はよこ、今日はよかことしてあげんね」
 義母が膝ま付き、しきりに肉棒をねぶっている。よかこととはこれかーと弾けそうになるのをこらえた。
「嫁がこんきに不自由だなや」といいながら、頭を振っている。ズンと脊髄を快感が走った。

「仰山出たねえ、若いとこんなにでるもんか」飲み込んだ後水をかけ、しごきながら感心している。
「あらまあ、また立って来よるまだしたいんかえ」
義母を抱えあげ茂みを探る。「あかん、我慢できんようになるからあかん」と抵抗が激しい。
「カラダハぜったいダメやけんね、口ならいつでもしたるから」

 その日から義母の口が手の代用になった。義母は俺がせがむと嫌とは言わなかった。しかしそれ以上のことは許してはくれなかった。義理とはいえ母親として罪悪感を感じていたのだろう。

 ある日俺だけが田んぼに行き途中から雨になった。軽トラを降り開けっ放しの玄関に入った。
裏まで抜けている土間の奥の部屋から聞き慣れぬ忍び声がした。親の寝室にそっと近づく。やはりあの時の声だ。障子の破れ目から見えたのは義母が親父に跨り首を仰け反らしていたのだ。親父の両手が乳房を掴み、義母は腰を前後に激しく動かしとている。そっと離れたが、義母の昇りつめるときの淫らな言葉が聞こえた。

 その夜おそく寝入りばなに義母が忍んで来た。添い寝の形で俺を抱き早くも肉棒を擦っている。「おめぁ今日の昼間みたんやろね」とささやく。
「夫婦じゃけん、当たり前のことじゃ」とも言う。そらそうだ、しかし俺もしたいーとはいわず無言で身を任す。「ほら、舐めてもよか」と義母が乳首を俺の口にもってきた。乳首が膨張するとともに義母の鼻息が荒くなった。

義母の顔が赤くなり、眉を寄せて苦しげだ。「触って、手ならよか」義母が俺を抱えて反転した。俺の手を股間に導き八の字の股へ導く。女の構造と愛撫のやり方はビデオで十分知っている。
 義母が昼間と同じ声を挙げだした。怒張を義母の口に預け、股間を覗く。

黒ずんだ2枚のいびつな肉片を分ける。サネから実が顔を出している。口に含むと忍んでいた義母の声が一瞬高まった。指も膣に入れる。掻きまわすと淫汁が湧き出た。義母の2段腹が震え両足を突っ張る。「ムムムー」義母が俺の怒張に歯を当て息み出す。尻がせりあがった。

 一度気をやった義母が自ら四つん這いになった。濡れた割れ目の上に肛門が閉じている。菊座も淫汁が光っている。下腹を寄せると義母が後ろ手で怒
張を握りその菊座にあてがった。俺が膣に入れようとすると、「前はあかん、後ろで我慢し」と上ずった声であてがう。
 濡れた肉棒でも菊門は窮屈だった。くぐると意外に中は緩い。怒張の根元を数本の輪ゴムで締め付けているようだ。肉棒にまとわりついた肛門がなんとも淫らで、あっという間に射精した。そのまま復帰を待った。

「いったやろ、よかったかえ」と言う義母の尻を抱え動いた。精液で濡れた肛門は滑りが良くなった。義母の尻に激しく腹を打ち付けると義母が淫声を挙げだし、
肛門を締め付ける。義母が絶頂を告げると同時に俺も放つ。

 後で聞くと肛門は膣とは全く違う快感があったという。肛門なら近親相姦にならないと義母なりの知恵かと、いまも続いている。 

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