“母と今までにどんなセックスをしてきたか”思い出しながら書き出してみます。
最近は実家にいた時より回数は減りましたけど、内容はハードになりつつあるようで…。後で感想を聞かせて下さい。
まず、最初の頃は前にもお話したとおりマスターベーションの手伝いをしてもらっていたのですが、これは主にジョンソンのベビーローションを使って母の手で、ただひたすらマッサージされてたという感じです。それでも自分でするよりトテモ気持ち良くスグ発射してました。お互いに恥ずかしかったのか、無言でそそくさと終わらせてたと思います。
夏休みだったので父が帰る10時前までにモヤモヤした時に1日に2回までと決めてました。自分の部屋のベッドで下半身だけ脱いで大の字に横になって、頭では持田真樹の事を考えてたのかな〜?何日かするうち、だんだん発射するまでに時間が掛かるようになり、終わると結構汗ダクになってしまうので風呂場でスッパダカになって体を洗ってもらいながらやるようになって…。
多分、その時に母が最近ちゃんと化粧を綺麗にしてるな〜と気づいて、赤い口紅を塗ったその口でしてもらったらモット気持ちイイに違いないと…。しばらくして頼んだら、イヤじゃ無いけどやり方がよくわからないというので、友だちから借りてたビデオ(表)のフェラチオの部分を見せてあげました。そんなビデオを持ってた事で多少怒られましたが、そういう自分が食い入るように見てしきりに感心してたような…。
それ以来、手から母の口で処理してもらうようになりました。初めは慣れないから歯があたって痛い思いもしましたが、手の時とは比べ物にならない気持ち良さ…温かくて、吸い付くような、とろけるような感触に感激したのは今でもはっきりと覚えています。
母は、僕がもっと気持ち良くなるようにしたいから他のビデオも見て勉強したいと言うので、何人ものフェラチオばかり延々と続くやつを友だちに入手してもらい、母と一緒に見て・その後スグに試してみるというパターンになりました。口内発射はモチロンのこと、タマしゃぶりや黄門さままでナメてもらいました。
家の風呂は結構広くて僕が洗い場に寝転がれるので、ビーチマットを敷いて石鹸で全身マッサージしてもらい、今思えば逆ソープのようでした。その頃に僕はもう母がとても愛しく思えて、されるだけでなく、してあげたい…母の乳にムシャブリついてオモイッキリ揉んでみたり、アソコを舐めて喜ばせたり、出来れば最後までやってしまいたい…そんな妄想で頭が一杯でした。
でも、僕が母の胸に触ったりスカートの中に手を入れるとスゴク怒るので、なんかいい方法がないかと寝ないで考えた日もありました。8月も10日を過ぎてたと思ったけど昼飯を食べた後、新しいビデオ(ウラ)が手に入ったんで親の寝室(と言っても4畳半の狭い和室)でゴロゴロしながら母と一緒に見てたのですが、ウラビデは2人とも初めてだったので途中から沈黙のまま、ただひたすら観賞してました。
どアップが多いしオモチャとか使って女性が何度もイクという結構スゴイ内容だったんで、ずっと痛いくらい立ちっ放しでした。我慢出来なくてチョウド画面がクライマックスの時に、横になってた母のスカートの中に手を入れてパンティーの上からアソコをなぞるようにモンデみると、いつものように怒ることもなく体をよじってハァーハァー言い出したので今だったらチャンスと思い、パンティーの中に手を入れて生まれて初めて女性のアソコに触れることが出来ました。
だいぶ濡れていたので感じているんだなぁとウレシクなって優しくなぞるように続けてたら、母が自分でスカートをまくり上げ、パンティーもずり下げて脱ぎ捨て、大股開きの状態にしたのでバッチリ丸見え…ビデオの女性のより綺麗だったんでウレシカッタデス。それと、ここから自分が出て来たとは信じられんという感じもしました。
母がキスしてくれというので“下”の方はおいといて、僕が覆いかぶさってディープキス…母の方から舌を入れてきてカナリ長い時間、唾液の交換をやり、もう何でもOKだとわかったのでブラウス・ブラジャーはずしてオッパイも思う存分、もんだり舐めたり吸ったり…母がアエギ出したので自信100倍になり、ついにアソコを攻めました。
クリちゃんが最初よくわからんかったけど、舐めまくってるうちに母が体をのけ反らせるんでココかなとアタリをつけ重点的に舐めたり吸ったりすると、まるでオシッコを漏らしたようにドバドバとラブジュースがあふれてきて、僕の顔はビショビショになってしまいました。
ぜんしんピクピクさせてたんで、その時点で母は1度イッタんだと思います。『も〜やめてっ』と言うので、しばらく横に寝て様子を見てたら5分ぐらいして起き上がって僕のTシャツ、トランクスのパンツを脱がしてスッポンポンにさせ、いつものようにフェラチオを始めました。でも、いつもと違うのは母もスッポンポンだということで、母のむきだしの下半身が僕の顔の上のまぢかにあったんで、自然とシックスナインに移行しました。
僕に舐められているということもあるのでしょうが、いつもよりネットリとした激しい母の口撃に早めに出してしまいました。でも、かなり興奮してたのでスグに復活してギンギン状態…。母がまたディープキスしてきたので、『最後までいい?』とおねだりしたら『ダメ…』だって。自分だってしたいくせにと頭に来たけど粘るしかないと思い、母のアソコを中心に水戸ちゃんまで含めて全身ナメモミ続け、いい加減ベロが疲れかけてきた時に突然母が『あお向けに寝てちょうだい』と…。
その通りにすると、母が俗にいう騎乗位のかたちで結合してきました。夢にまで見た“本番”はアッケナク始まりました。それまでに充分濡れていたので、スルッと入りましたが、母がゆっくりと僕のモノを挟むように腰を上下左右に動かすと、手とも口とも違う何とも言えない充実感が全身に走り、なすがママでした。かなり長いこと母にまかせてましたが、もっと激しく突いてみたいと思い僕が上になりビデオで見たように母の足を肩に担ぐようにして攻めたらアットいう間に母は果てました。
僕はまだまだ元気なので、そのまま母を抱きかかえて座位・後背位としたかった体位を全部試し、結局・後背位で激しく突きながら中出しシテシマイマシタ。終わってからヤバイと思いましたが、母は一度流産してその心配がない体になったという事なのでホット一安心。その日は結局、昼食後から夕食の支度するまでだから5〜6時間そんな事をしてました。2年近くたとうとしてますが、鮮明な記憶でかなり細かいところまで頭に焼き付いています。
夏休みが終わるまで、勉強をしっかりやるという約束のもと1日に2、3回父が出張で東京に行ったあいだなどは一晩中という事もありました。でも、不思議とSEXした後は頭が冴えて、邪念、モヤモヤがなくなり勉強がはかどりました。2学期が始まってからは、部活(サッカー)もやめて真っ直ぐ家に帰り、母と一緒に早めの風呂に入って、あらかじめ敷いててくれた母の布団に潜り込む毎日です…。
ただ、土日は父が週休2日で家でゴロゴロしてるんで何も出来ずイライラしどうしだったんです。そこで、月に1度くらいの日曜に僕が先に家を出て、後から母と外で待ち合わせて母の運転するクルマで郊外のラブホテルを利用するようになりました。家の部屋と違って何だかお互いに興奮して、新鮮な感じがして良かったです。バイブやピンクローターもラブホテルで好奇心半分で購入し使うようになりました。とくにピンクローターで母がヒィーヒィー涙流しながら悶えるのは必見ものです。
ピンクローターでちょうどGスポットのところあたりを刺激しながらクリちゃんを優しく舐めると3分もせずに全身に汗かいてノケゾリながら昇天してしまうのです。ビデオで自分たちのしてるとこを撮影して楽しむのもホテルで覚えました。母がフェラチオしてくれてるとことか、僕がマングリがえしで母のアソコをしゃぶっているとこ、後座位で結合部分と母のアソコがマル見え状態のとこなど後から見ても興奮してボッキするぐらいで、母のアノ時の顔もキレイで最高だな〜と発見しました。
何でも2人で楽しみたいとイロイロ勉強・研究しましたが、母はオシリだけは絶対に許してくれません。不潔だし痛そうだし痔になりそうだからと…本で読んで、とてもいいと書いていたので、いつかはと思ってますが。それとSMも苦手のようで…僕もそうですが。大学に無事受かったのも母のおかげだと思いますし、これからもなるべく母が喜ぶように愛して上げたいと思ってます。僕が東京で母は地方で月に4、5回の関係になってますが内容の濃い、充実したSEXを目指します。
今度の日曜は一緒にハイキングに行く予定なので、大自然の山の中でスリルと開放感に浸ってオモイッキリ野蛮人してきます。またその報告します。
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