私が大学生のとき、上野駅の地下通路で「奇憚クラブ」という本を見つけた。その雑誌の一人の女子大生に興味を持った。今で言うSM雑誌である。M子は縛られて、浣腸されて排出するところを撮影されて感じるらしい、その男の前であれば排尿も見せたいようであった。団鬼六という名前も知った。美濃村氏も知った。
彼女が出来、良く泊まりに来るようになった。私が大学に行っている間にその雑誌を見たようである。女は好奇心に強い。私が最初の男でもない。捨てられた寂しさの中で私と出会ったに過ぎないが、大学の一期上の先輩である。いつも地味な服装をしていた。男に関心ないような雰囲気を漂酔わせていたが、洋服の下の身体は、男好きな淫らな身体をしていた。初めて泊まったときも、私を挑発し続けた。一晩に6発か7発も求めてきた。私も元気なときであった。
肉体を持てあぐねていた。M子が来ると朝まで寝ないでセックスを重ねた。フェラをして口に出し、それから膣に抜かず3連発は平気であった。膣の周りの毛は黒々として直毛で一本一本が黒く太く、直角に当たると針金のように刺さるように痛かった。股間は豪毛でああ割れていて、毛を掻き分けて膣の入口を探した。クリも大きく、割目からはみ出していた。そのクリを噛み、吸い上げると膣から愛液が敷き布団にシミを作った。精液を飲み干し、下で身体を愛撫することも彼女が教えてくれた。
「縛られたい」の言葉に従って、縛ることもしていたが物足りなかったようである。3ケ月くらいで私のところには来なくなった。半年後、何気なく「奇譚クラブ」を買った。そのトップの挿絵にM子が縛られた写真が掲載された。その翌月号から挿絵がカラーになった。縛られ、吊るされ、浣腸されている写真に息子がいきり立っていた。カメラマンなのか、男のペニスを恍惚の目をしながら咥えている写真に興奮した。その写真で彼女の毛深い股間を思い浮かべながら何度も自らを扱いた。
大学を卒業して、社会人になり雑誌記者になる予定が、大手の営業職に就職して、札幌に赴任した。裏ビデオと言うものがあった。初めて見る裏ビデオの主演がM子だった。学生の頃の清純なイメージはなく、裏社会で自由に生きる女の性と普通のセックスでは満足できなくなったM子をみた。もう、会うこともないだろうが膣とアヌスにペニスを咥え、お口に咥えて身体を痙攣させながら失神していく姿を見た。これも女の生き方なのだろうと冷めた感覚でみた。女の凄さも感じていた。
私も東京に戻った。本社の勤務は厳しいものがあった。あるとき、学生時代の仲間が電話してくれた。大崎の路地裏の小さな飲み屋があった。彼女が居た。友人の奥さんになっていた。その友人とは、本来であれば日本橋の政財界人が来る老舗の料亭の4代目の社長なのだ。彼も料亭は取られ、裏人生を歩いていた。
「芝田さん、何年ぶりかしら——」笑顔で昔を振り返ってくれた。「私って馬鹿な女なの、身も心もボロボロになって死んでもよいと思っていた。死のうとしていたの、死のうとしていた二人が横浜の岸壁で再開したの——。館山さんも料亭をなくてて、死のうとしていたの—–」
館山が、「そんな二人が偶然に死に場所で再会した。もう、一度頑張ろうと約束した。死ぬ気になれば怖いものは何もない」と思えた。こんな生き方もあることを知った。ここに二度と来ることはないが二人には頑張って欲しい」
と思えた。
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