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イブの夕方に

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小5の時、クリスマスイブの夕方に衝撃的な光景を見てしまった。家には親父と姉と私の3人が居て、母は仕事に出ていた。

親父は世間からは驚かれるような超エリート職で、相当な収入を得ていたはずなのだけれど、妻子には最低限の暮らを営むのにも足りないくらいの生活費しか渡さなかった。

親父自身は、金のかかる趣味や複数の愛人達、仲間達との豪遊にお金をばらまいていた。親父が部下達とその家族を家に集めてホームパーティーを開く時には、私たち3人は宴の場には入れてもらえず下働きだった。

自分と同じくらいの歳の女の子が、お姫様みたいに扱われていて眩しかった。自分達とは別世界の人達だった。家のほとんどの部屋は親父が占領して、私達母子は狭い一部屋に3人、荷物の山に押し潰されるような窮屈な空間で寝起きしていた。

姉や私は、学校では貧乏な家の子だと思われていた。姉は「ビンボーニン」などと言われて虐められていたらしい。母は、親父の命令で、近所の運送会社の掃除婦か雑用みたいなパートをさせられていた。人に顎で使われ、汚い下働きをして這いつくばる思いを母にさせるのが、親父には快感だったらしい。

親父は、支配下の人間や頼って来る者の心を踏みにじるのに快感を感じるタイプの人で、私達家族は日々DVに苦しめられた。一瞬一瞬「この瞬間、早く過ぎ去って欲しい!」と思って暮らしていた。階段の上から下まで突き落とされた事は、憶えているだけでも5回。

海や山などでも殺されかけた。幼児の頃から何度も山に連れて行かれた。はぐれたら野犬に喰われるという恐怖で必死について行く。

高い山の上で、何でこんな所に幼児がいるんだと、大学の山岳部の人達に驚かれたこともあった。休憩している父になんとか追いつくと、父は汚い物を見るような目で私を見て舌打ちした。「さぁ、行くぞ!」

私に休憩の時間は無かった。重い喘息に苦しめられていた私には限界だったが、気力でついて行った。いかにも脚を踏み外しそうな場所で突き落とされたことがあった。真冬の波の強い磯辺で海に叩き込まれたり、海水浴シーズンには無理矢理沖まで泳がされて潮に流されたり。

親父は、もちろん助けてはくれない。離れた所で笑っていた。うまく事故死という事になれば良かったのだろう。実は、一つ上の姉の他に兄が1人いたが、私が幼児の頃に事故で死んでしまった。

兄の事故は親父がやったのではないかと思う。母によると、他に4人、無理矢理に堕胎させられたそうだ。親父は、母に対して、いつも生で中出しだったそうだ。

親父がやりたくなると「来い!」と言って母の髪や腕をつかみ寝室に無理矢理連れて行く。前戯無しで、いきなり叩き込み、ガンガンとピストン運動して出す。それで終わり。

私が大学生の頃、母と晩酌している時に、そんな話を聞いた。母は処女で親父と結婚したらしいし、その後は親父のせいで男性恐怖症が深刻な感じ。女の喜びというものには縁が無い人生になってしまったんだろうなあ。

私がお腹にいる時、母は親父に「堕ろせ!堕ろせ!」と、日々なじられ、殴る蹴るの暴行を受け、破水しながら、這うようにして病院に行き、私を生んだそうだ。父にとって私は要らない子だったのだろう。「今度の、この子だけは、絶対に生む!」

そう思って耐えんだよと、後に母は微笑みつつ語った。子供を持てて嬉しい!そんな気持ちをひしひしと感じた。でも私は、自分の子供の頃を思えば、出来ることなら産まれてきたくはなかった・・・

母には、とてもそんな事は言えないけれど。姉や私に何か落ち度があると、親父はそれをネタにして徹底的にいびった。私が3歳の時、首を絞められて風呂場に連れて行かれ、素っ裸にされた。

そして、足首をつかまれて逆さ吊りに。親父は私の胸や腹にスーッとカミソリを入れて切り刻み始めた。そして、皮膚を小さく削り取られた。

痛さはあったはずなのだけれど、恐怖が支配すると、感覚や思考がストップしてしまうようだ。そういう感覚を幼児の私は知った。もちろん泣き声すら上げられない。心が停止してしまっていて。

やがて、血が幾筋か垂れて、首、顎、頬に伝わって来た。目の中に血が入り、景色が赤くなった。ある時は、虫ピンを一本一本、皮下に打ち込まれた。

乳首を引っ張られ、キリで左右に貫かれた時は、情景が怖過ぎて泣きたくなったが、震えて耐えた。日々、一瞬一瞬が、生命の存亡をかけた真剣勝負。親父の顔色をうかがい、こういう事をしちゃったら、こういう目に遭うと、常に気を配りつつ生きていたので、小さい頃からの記憶が鮮烈だ。

親父には、海外に数人、国内にも複数の愛人がいたらしい。その中の1人が近隣の市に住んでいて、一番のお気に入りのようだ。親父は帰国すると、その愛人の家に車で繁く通った。

小2の時、親父に連れられて、初めてその愛人の家に行った。途中、親父は車を走らせながら「これから××おばさんの家に行く。懐いた振りをしろ!」と、ナイフを突きつけて脅した。これに従ってしまうのは、母を裏切る行為なのだと子供心にも解り、ものすごくつらかった。

自分が刺されて死ぬ方が、まだましだ。プライドにかけて、死んでも愛人にはなびかない・・・気の利いた台詞は絶対に言わずに、無口で無反応な馬鹿な子の振りをしようと決めた。

その愛人は「ああ、まいりました。超美人さんですね!」と言いたくなるような美人。なんとなく、お水系の雰囲気。男の扱いが上手いことと、子供を産めない身体の女ということで、親父にとっては重宝したらしい。

本当に子供は欲しくなかったみたいだ。愛人の家は、海辺から少し内陸に入り小高い丘陵を上った緑の多い住宅地にあった。広い敷地だった。たぶん300坪くらい。裏庭から背後は深い森。

親父の口から愛人に対して、ユーモアを交えた軽口や甘い言葉が連発した。高めの声。猫撫声で、呆れるくらい滑らかに語りかける。まるでイタリア男。

親父にそういう一面があるとは知らなかった。私達家族に対しては、いつも硬く低い声。冷たく威圧するような怖い話し方だった。ユーモアの欠片も無い。

あの声を聞くと、心が萎縮して立ちすくんでしまう。親父が何か買いに行くとかで、愛人と私の二人だけになった。庭を案内してもらい、ぎこちない会話を交わした。

どうも薄っぺらくて情の薄そうな女だなぁというのが私の印象だった。家に入ると紅茶を出されたが、味を感じることも出来ずに飲んだ。父の愛人と二人っきりでは居心地が悪過ぎた。

「子供の絵を描きたくなった。あなたを描いてあげるわ」「いいよね?」そう言って、父の愛人は私の服を脱がした。

すごく嫌な感じがしたが、逆らうと後で親父にひどい仕置きをされるのは判っているので、女のされるがままになった。愛人は油絵を描き始めた。ベッドの上のクッションに身体をゆだねる格好で一時間ほど辛抱した。

確かに絵は上手い。かなり本格的な腕前だなとは思った。女が筆を置いて近寄ってきた。「お父さんのオチンチンも、子供の頃はこんなだったのかな。かわいいね〜w」

そう言って、愛人が私のチンコをいじり始めた。チンコの皮を無理矢理むかれたり、袋を揉まれたり。女が残酷な笑顔を浮かべた。不気味だ。

魔物の様に思えた。親父が戻って来て、素っ裸の私を見て笑った。惨め過ぎて、消えて無くなりたくなった。

「××さんの言うことを聞いて良い子にしていたか?」愛人が私の身体に目をやって、親父に「いいかしら?」と尋ねた。「面白いネ」親父は笑顔で答えた。

まだしばらくは服を着させてもらえないんだろうなあと思った。惨めだ。「かわいいオチンチンね〜♪」そう言って女はチンコを引っぱり、しごき始めた。「あら!大きくなった!子供でも勃起するのね」

親父が愉快そうに言った「なあ、××さんにもっと優しくしてもらったら良いヨ」女は私のチンコをくわえ、親父に上目遣いで流し目し、ニヤッと微笑んだ。親父は目を輝かせ、珍しい物を見るような目つきで見下ろしている。

大きなソファーに寝かされ、身体中を舐められた。親父が愛人の服を脱がし始めた。「あら〜!?」愛人が逃げるように身体をクネクネさせながら笑う。

よくは判らないが、もったいぶった大人の儀式みたいなものなのかな?女の逃げてみせる仕草が、わざとったらしいなぁと思った。女がソファーに寝て仰向けになる。私は正座して、全裸の身体を眺めた。

間近で見る大人の女の裸。滑らかな白い肌。おっぱいに血管の青い筋。引き締まった身体。綺麗だなとは思ったが、なぜか蛇を連想した。

「ここを舐めてみる?」愛人は自身の乳首を指差して微笑んだ。私の目をじっと見つめる。笑っているが、目つきが怖い。これは命令なんだなと感じ取った。

茶色の乳輪。柔らかそうな乳首。大人の女性の乳首なんて母のしか見たことがなかった。母のと違って、ずいぶん小さいんだなぁ・・・乳首を甘噛みし、舌で転がし、吸った。

こういうことは、知らなくても本能的に出来るみたいだ。でも、この女の乳首だと思うと、毒のある食べ物を口に含んでいるみたいな気がした。「くすぐったいなぁ」女が溜息を吐くように言った。

「今度はこっちを舐めてみて」女は股間を指差した。陰毛が生え揃った股間。今思えば、非常に綺麗に整えられた陰毛だった。

素人のそれではない感じ。さすが、愛人という稼業は、性風俗のプロの最たるものなのかもしれない。恐る恐る股間に顔を近づける。

女性の股間は、姉のツルツルのしか見たことがなかったので、毛だらけの股間には抵抗を感じた。こんなものを舐めるの?ためらっていたら、親父が後頭部を鷲づかみにして、強引に女の股間に顔を押し付けた。初めて嗅ぐ嫌な臭い。

濃い唾液のような、カビ臭いような・・・女が股を開く。毛が邪魔で、どこを舐めれば良いのか当惑したが、舌先を尖らせて、破れかぶれの気分で舐めた。

グニャグニャしている。奥に舌が届くと、少しヌルッとしている。口の中の粘膜みたいな舌触り。塩っぱいような嫌な味。少し酸っぱい。モワ〜ッとむせかえるような臭い。

人間が舐めて良いところなのか?気持ち悪くて泣きたくなった。「そんなんじゃ女は気持ち良くならないよー」女が苦笑した。しばらく舐め続けた。

時々、女が「んー」と鼻を鳴らす。女が起き上がり、チンコを握ってしごく。そして素早く私の上に股がってきた。

チンコをつかみ、挿れる位置を探る。チンコがヌルッとした肉に包まれた。少し温かい。何をされているのか理解出来なかった。

グシグシとスライドする女の腰。気持ち良さや快感なんて無い。重いし。とにかく気持ち悪かった。

「これで君も大人の仲間入りだよw」勝ち誇ったような表情で女が見下ろす。優越感に満ちた眼差し。今でも、女のああいう表情は苦手だ。嫌悪を催す。

目の上で女のおっぱいが揺れている。「やだ!フニャフニャ!」女が吹き出し笑いをした。「子供って、こんなものなのかしら?」女が親父を仰ぎ見る。

「いや、これは意気地無しだからね。もっと鍛えないと駄目だね」軽蔑し切った表情で見下ろす親父。「ボディペインティングしても良い?」親父を見上げ、悪戯っぽく流し目する女。「いいよ。駄目な子に罰だ♪」歯を剥き出して親父が笑った。

油絵の具で、体中を好き放題に塗られた。「ここは違う色にすれば良かった」そう言って女は、大きくてフサフサの筆に溶き油を含ませて、剥き出しの亀頭をしごいた。「ぎゃっ!」と叫んでしまった。跳び上がりたくなるほど痛い。

「あら、ごめんね。でも動かないでね!」女は微笑み、そしてにらんだ。「弱虫だな」親父が嘲笑う。親父と愛人が抱き合い、キスを交わし、私は部屋の外に追い出された。

「油絵の具は直ぐには乾かないから、服は着ない方が良いわよ」親父に抱かれながら女が言った。「汚れるから物に触れるな。座るなよ。寝ても駄目だ。向こうの部屋で立っていろ!」親父が愉快そうな口調で命じた。「そのままにしておくんだ。乾くまで絵の具を触るな。作品だからなw」愛人を抱く親父の後ろ姿。

女が親父の肩越しにこちら見て、ウンウンとうなづいた。その態度をものすごく憎く思った。それから数時間、絵の具でベタベタにされた裸のまま、隣の部屋で待たされた。

指もベタベタで、灯りのスイッチも触れない。汚したら大変だ。じっと立っているよりは、ゆっくり歩いている方が楽なことに気がついた。でも、とにかく長かった。途中、気を失いそうになりながら、暗い部屋の中をトボトボと歩く。

寒かった。チンコ痛い・・・それから何度か愛人の家に連れて行かれた。

その度に玩具にされた。親父と愛人が愛し合っている時に、車の中で待たされたこともあった。真夏で車内の温度は上がり、汗がダラダラと吹き出し、意識が朦朧としてきた。

時々、通りかかった人が表情を歪めてつぶやいている。「かわいそう・・・」口がそう動いている。一人のおばさんが窓ガラスを叩き、何か叫んだ。

「窓を開けなさい!」と言っているようだ。でも、開けるわけにはいかない。「ここで待っていろ!窓は開けるな。泥棒に物を盗られるからな」と親父に命じられていたから。

もし逆らったら、残酷にいびり抜かれ、半殺しにされるだろう。おばさんが窓を叩いて叫ぶ。私は顔をブルブル振って拒む。

お願い、放っておいてください・・・不覚にも涙がこみ上げてきた。やがて、おばさんは去って行った。

強い陽光で景色が白く輝き、揺らいでいた。大事に飼っていたカブトムシを焼き殺された。惚れ惚れするほど大きかったザリガニを焼き殺された。

親父が海外に行っている時に、我が家に子猫が迷い込んで来た。黒白の、いわゆる「はちわれちゃん」という毛並みの可愛い子だった。甘えん坊で、寝ていても、人の姿を見つけると「ビヤァァァァッ!」と叫び、起き上がって寄って来る。

抱っこすると、鼻っつらを懐に突っ込んでブーブーと喜びの声を上げた。帰国して、その子を見つけた親父は「こんなものを飼っていいと誰が許した?」と、冷たい口調で母を恫喝した。子猫を無造作につかみ、庭にひもで繋いで逃げられないようにして、火で追い回した。

爛々と輝く親父の目は喜びに満ちていた。狂気の目だ。子猫は「ブギャー! ビャアアアアアアアアア!」と泣き叫んだ。毛の焼ける嫌な臭い。

追いつめられて、目を細め、口をヘの字にゆがめて、子猫は焼き殺された。母は少し離れた所で立ちすくんでいた。私は「やめて!やめて!」と小声でつぶやくだけで、親父が怖くて、何も出来ずに見殺しにしてしまった。

この瞬間、私の心の中の何かが壊れたような気がした。そんなひどい人生ではあったけれど、子供なりに、遊びや、ささやかな楽しみを見つけて、姉と私は仲良く一緒に笑っていることが多かった。一つ上の姉は、実は従姉で、母の妹の子だったが、母の妹と旦那さんは交通事故で亡くなってしまい、それぞれの親元には引き取る余裕が無いとのことで、私が2歳、姉が3歳の時から、我が家で育てられることになった。

子供嫌いの親父が、よく引き受けたものだと思う。ひいきというわけではないけれど、私よりは姉の方が、まだましな扱いを受けていたような気がする。まあ、女の子には優しくするのが当たり前なんだろうなあと思って、特に不満は感じなかった。

それでも、姉も、ピリピリした空気の中で、日々心を消耗しながら育ったことには変わりない。私以上におどおどして、親父に怯えていた。あの年のクリスマスイブ、私は裏が白紙のチラシを集めて裁断し、色々と工夫を凝らしたメモ帳を作った。

表紙には姉の顔を描いて「メリークリスマス!○○(姉の名前)ちゃん、ありがとう♪」とタイトルを入れた。子供が作った粗末なプレゼントだけど、そういう物を本気で喜んでくれる姉だった。友達のお母さんからもらったクッキーも添えて。

人様から何かをもらうと、親父は激怒して、ひどい暴力を振るう。そして、あげた家に返しに行くはめになる。暴力や脅しよりも、せっかく良くしてくれた人に返す言葉が見つからないのがつらかった。

なので、運良く人から何かを頂くと、絶対に見つからないように隠しておいて、大事に少しずつ食べたものだった。普段は、お菓子なんて食べさせてもらえないので、姉と私にとってお菓子は、胸がキュッとなるくらい嬉しい宝物。あの時、姉は小6。

小6にしては小柄だったと思う。痩せていて、細くて長めの腕と脚、顔も小さくて、弟から見ても綺麗なお人形のような女の子。いつも我慢強く、優しくて、大好きな姉だった。あの日、友達の家から帰った私は玄関の鍵を開けた。当時から鍵っ子だった。

ただいまと言った。親父が怖くて「ただいま」を言わずに帰った時に親父に見つかり、学校に戻って、もう一度帰って来いと命じられたことがあった。途中ですれ違う人達に対して非常にバツの悪い思いをした。もう一度、ただいまと言った。

誰の返事も無かった。取っておいた綺麗な包装紙に手製のプレゼントを包み、優しく迎えてくれる姉の笑顔を思い浮かべながら、喜び勇んで自分達の寝起きする部屋に行った。姉は、その部屋にはいなかった。

天井からゴトゴトと音がする。怖い親父の住む2階だけれど、足音を忍ばせて階段を上がった。親父の寝室からボソボソと話し声がした。

親父の声。「クリスマスのプレゼントだ」重苦しく、鼻にかかった大嫌いな声。ゾッとする。ドアをそっと開けて隙間から覗いた。

衝撃的な光景だった。最初は何が起きているのか解らなかった。ベッドや床には、脱ぎ捨てられた衣服。

ベッドの上で親父と姉が寝ている。二人とも全裸だった。うつ伏せでひじを立てて背中を反らせた格好の姉に、横向きに寝た親父の腕がかぶさり、姉のお尻をピチャピチャと叩いている。

最後に一緒にお風呂に入ってから1年ぶりくらいだなぁ、姉の裸を見るのは・・・なんて、その時に漠然と思ったことを憶えている。いつの間にか成長していて、ちょこんととんがった小さなおっぱいに、目が釘付けになった。

女の子の裸って、綺麗だけど痛々しいなと思った。姉は姿勢を仰向けに変えさせられた。おっぱいが胸の上で真っ平らになった。だけど、先っぽだけちょっととんがっている感じ。

身体の大きさが圧倒的に違うのに、筋肉隆々の大柄な親父が、仰向けになった姉の小さな身体にのしかかった。華奢な姉の身体をもみしだき、首や胸を舐め回す。親父の口が「ヂュッ、ブシュッ、ブシュッ」と音を立てて姉の身体を這い回る。

小さなカモシカを貪り喰う巨大なライオンみたいに見えた。姉は震えているみたいで、途中から、小さな声ですすり泣きをしていた。姉が可哀想で助けたかったけれど、親父が怖過ぎて金縛りのように動けなかった。

弱くて卑怯な自分を呪った。あの哀れな子猫を見殺しにした時と一緒だ。姉の下腹部に親父が獣みたいにガシガシと腰を打ちつける。

姉の身体が壊れちゃうんじゃないかと怖くなった。その後も親父は乱暴に姉を犯し続けた。姉はほとんど動かず、仰向けのまま無抵抗だった。

まるで死体のように。この時の事を話すと、姉はもっと傷つくだろうと感じて、私はいっさい言わず、知らない振りをして過ごした。翌年からだったか、親父は、お気に入りの愛人を家の中まで連れ込むようになり、母を追い出しにかかった。

若くて美人の愛人に対して、中年太りの母は何かと比べられ、親父にいびられた。愛人が得意の柔軟体操をすると、一緒にやらされた。母は道化役に成り果て、何も言わずに耐えた。

あんな母は見たくなかった。ひどく惨めな姿だった。母と姉と私は、ますます残忍になる親父のDVを心身共に受け続け、殺されるか死ぬかしかないと覚悟する毎日を送った。私は、強い親父には敵わないけれど、大人の体力に近づける16歳になったら、親父の背後に回り、不意打ちして刺し殺そうと決意した。

人生が終わってしまってもしょうがない。いつかは殺すか殺されるかだと思っていた。私が中学に入る年の春、離婚が成立した。慰謝料も養育費も無かった。

親父の同僚達が虚偽の証人になったらしい。詳しいことは判らない。母は断片的にしか話してくれなかった。それでも子供からすると良かった。やっと人間らしい毎日が送れる。

3人で涙を流して万歳した。自分に、こんな幸せが来るなんて、信じられなかった。自分なんかが、こんな幸せをもらい受けて良いものかと、幸せ過ぎて怖いと思った。

他県の田舎町に引っ越し、建て売りの小さな家で、母子3人の新しい生活が始まった。母は、朝から夕、そして夜と仕事を掛け持ちして働いた。生活保護などを受けたら人間は終わりだと言っていた。

私も、朝の新聞配達や、朝晩の料理、掃除をして、手伝えることは手伝った。しかし、姉はずっと耐えてきた緊張の糸が切れてしまったためか、心が壊れてしまった。不登校になり、姉は部屋に閉じこもった。姉が立てこもった小さな部屋は、ゴミ屋敷か悪魔の巣のようになってしまった。

もの静かで優しかった姉は、人が変わり、絶叫して母に悪態をついたり、家の物を壊したりして荒れた。毎日が修羅場だった。ひきこもりが何年か続いたある日・・・

姉は、かなり離れた町のマンションから飛び降りて死んでしまった。姉は17歳になったばかりだった。あのクリスマスの夕方・・・

あの光景をもう一度観たい。デジカメや携帯なんか無かったからなぁ。全裸ですすり泣いていた痛々しい姉の姿を観たい。

あれ以上に欲情する場面は他に無い。私も、あの忌まわしい父親と同じ異常な血が流れているんだなあと実感する。ひどいもんだね。

姉さん、ごめんなさい・・・・・・・・・・・・・・・・・この話は、友人からうかがって、文章を作成しました。

いい歳の男が二人で酒をくみ交わしながら泣きました。発表の了解は得ています。いつか気持ちを吐き出したかったそうです。

実話ですが、特定されないように、多少のフェイクは入れてあります。彼とお母さんが昔話をしている時に、もっとひどい話を聞かされたこともありました。二人は笑って語らっていましたが、全く無惨なものです。

彼は中学時代に学校で執拗ないじめを受けていたそうです。親父の顔色をうかがい、自己主張を避けて無抵抗でいる生き方が、未熟で弱肉強食な中学校では災いしたのだと。彼は中学や高校の担任教師が嫉むほどの異常に高いIQで、成績も良かったのですが、弱肉強食の野蛮な世界では、ガンジーみたいな無抵抗は駄目みたいですね。

大学時代には、正確に書き取られた彼のノートで、何度も助けてもらいました。中学のクラスほぼ全員によるいじめ。教師達も事態がより悪くなるようにしか動かない。人として生きていけないような屈辱の日々。

卒業が近い時期ではあったけれど、比較的中立なクラスの1人に「よく毎日登校出来るな。心どうなってるの?感じる力無いの?」と言われた一言は、むしろ地獄の中の救いになったそうです。自分まで不登校になったら、ひきこもりの姉に悩まされ、日々の仕事でも限界を超えて無理をしている母の心は折れるだろう。そうなったら一家は崩壊だ。

自分は、自分一人を食わしていく力も無い無能力者だ。申し訳ないけれど、まだしばらくは母に働いてもらうほかない。だから学校では何事も無かったように振る舞った。

子供って、けっこうしたたかなもんだよね♪きつかったのは、姉に何度も言われた言葉。「あんたは、何も苦労が無くて、お気楽で良いねw」いじめるのを日課にしている何人かを刺し殺すか、自殺するかと、思い詰めている日々に言われたその言葉はつらかった。

教育委員会の先生に「お姉さんを治すためには、いっさい反論してはいけません」と言われていたので、何も言えなかった。まぁ、どっちにしても、姉貴にきついことは言えなかったけどね・・・彼は寂しそうに微笑みました。

彼は今、羨ましいくらい素晴らしい奥さんと幸せに暮らしています。本人の言う「いびつに縮こまった心」をリハビリしつつ、普通に仕事して、頑張って生きています。「自分の心は自分で治す」

そんな言葉を彼から学生時代に聞いたことがあります。よく世間では「ウチの親はひどかった。嫌いだった」という言葉を耳にするけれど、ひどさのレベルなんて人それぞれ全く違う。人間は、自分の経験を超えたレベルの事は、実感出来ない。理解も出来ない。

そして、自分の尺度で他人の人生を推量して評価してしまう。私の経験を話しても、多くの人には解ってもらえないだろう。だけど、私と同じような苦しい生活を耐え忍んできた人は、少なからずいると思う。

そういう人には、私のような他の人のひどい体験を知ることが救いになったりもするんだよ。自分も、そういうことで何度か救われた。と、彼は言いました。

彼は童顔で、いつも穏やかに微笑んでいます。彼の少年時代を知らない人達からは、何不自由無く育ったお坊ちゃんみたいに思われています。

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