初彼さんから投稿頂いた「初カノ裕美の思い出が残る練馬に再び」。
俺が大学進学で上京して住んだ街、練馬。
最寄り駅は西武池袋線の桜台駅で、近くには音大があって、ピアノの音があちこちから聞こえてたっけ。
丁度俺が上京した年、西武、東急、地下鉄などが相互乗り入れが始まって、練馬から横浜まで乗り換えなしで行けた。
そんな練馬で暮らした4年間、忘れられない恋をした。
アパートのお隣の女子大生、同じ大学の1年生で、挨拶をしに行って一目惚れ、何せ、当時大好きだったAV女優の弘前亮子に似てて、お隣さんを弘前亮子に重ねてオナッてた。
お隣さんとは同じ大学で、学科は違ったけど、1年生は一般教養だから、朝から講義があり、同じタイミングでアパートを出てたので、一緒に歩いたりして、自然に仲良くなった。
お隣さんは名前を裕美と言って、ゴールデンウィークに帰省しないで練馬の街を散策しようとしたら、裕美も同じこと考えてて、二人で練馬の街を歩いた。
練馬駅前にあった喫茶アンデスでお昼食べて、デンマークベーカリーっていうパン屋さんでパン買って、アパートに帰って夜に一緒に食べたりした。
自販機で缶チューハイ買ってきて、まだ未成年の二人だったけど、ほろ酔い気分になって、イチャつきだして、裕美が倒れ込んだうえに俺が倒れ込み、見つめ合ってキス、そこからペッティングになりフル勃起になった。
「あの…私、そういうことするのは初めてだから…」
「俺も初めて…」
そう言い合いながら裸になり、二人で狭いユニットバスでシャワー浴びて、ベッドにバスタオル敷いて、拙いフェラ、そして、ドキドキしながらクンニ、初めて見た生のオマンコに大興奮だった。
裕美が持ってたコンドーム被せて、裕美の処女膜を破った。
あの時の感動は今でも忘れない。
裕美がやっと成熟した女体を初めて晒した男になれたことが嬉しかった。
初めて異性に股間を晒して恥ずかしい亀裂を広げ、舐め、ズブズブッと処女膜を突き破った。
その時の裕美の初々しさ、恥じらい、それは俺しか知らないのだ。
その後卒業するまで何百回、いや、千回を超えているかもしれない回数、俺に抱かれ、裕美はセックスの快楽を知っていった。
2年生の夏休み、初めて生でハメた。
生は信じられないほど気持ち良くて、イキそうになると抜いて裕美の身体に振り掛けた。
生だと、裕美も気持ちいいらしく、直接粘膜同士で繋がる歓びを知っていった。
裕美は、愛する男に愛撫され、生でハメられ、オマンコをかき回され、そして、最中に生理が来てしまうとそのまま中に精液を注ぎ込まれる快楽を知っていった。
裕美にとって、セックスは愛情表現の一つになって、自ら唇を求め、舌を絡ませ、お互いの肉欲にオマンコ委ね、俺のチンポで自らの性欲を満たしていった。
長い休みで帰省する前は、冷蔵庫の食料を持ち寄って、1日中裸で過ごし、俺のチンポが復活する度セックスしてた。
1日に5回も6回もハメまくり、
「じゃあ、またね。」
と言って東京駅で別れた。
休みの間、弘前亮子のエロ本を見ながら、裕美を思いオナッた。
ラインで連絡を取り合い、日を合わせて帰省先から戻ると、シャワーもあびずにハメまくった。
裕美に高校時代のセーラー服を持ってきてもらい、上だけセーラー服を着てのセックスは、まるで弘前亮子とセックスしてる錯覚に陥るほど似てた。
若い性欲をぶつけ合った二人だったが、卒業が二人を引き裂いた。
二人とも東京に残ることはなく、それぞれの故郷に戻った。
帰郷も同じ日、練馬駅前のあった喫茶アンデスで最後のランチ、二人で食べたエビピラフ、美味かった。
練馬駅から池袋駅へ向かう西武線、妖怪ウォッチのステッカーが貼ってあるドアを見つめてたのを思い出す。
山手線外回りで東京駅へ向かい、
「元気でな。さよなら。」
「さよなら。元気でね。」
二人とも目に涙を浮かべ、それぞれ反対方向へ向かう新幹線に乗るために別れた。
途中、何度も振り返って手を振ったけど、やがて、裕美の姿は人ごみに紛れて見えなくなった。
裕美とは、あけおめ、誕生おめ、メリクリ、のラインのやり取りを何度かしてたけど、ある金曜日、「明日、結婚します。」
のラインが来て、「おめでとう。幸せになりなよ。」と返したのが最後のラインになった。
あれからずいぶん時間が過ぎて、俺にも妻子ができて、俺も三十路になっている。
先日、東京出張があって、大学卒業以来の上京となった。
折角だから、練馬に宿を取り、懐かしい街を歩いた。
知ってはいたけど、やっぱり喫茶アンデスが亡くなってるのは淋しかった。
裕美と最後に食べたエビピラフ、もう、食べられなくなった。
ありきたりだが、桜台まで懐かしい街を歩いて、俺たちが住んでたアパートを見に行った。
俺たちの青春がそこにあった。
俺の故郷にはない西友に入り、よく食べた皆様のお墨付きのカップ麺を買って、持ち帰って職場で食べた。
桜台の駅に立ち、裕美はどうしてるかなと、新しいスマホにもそのまま移行されている裕美のアイコンを眺めた。
裕美が結婚して以来、連絡はしてないけど、消すこともできないアイコン…
これを消してしまうと、俺の青春まで消してしまいそうな気がした。
裕美は、俺の青春そのものだった。
今後、裕美と会うことも、ラインで連絡することもないだろう。
でも、裕美のアイコンが残ってるだけで、裕美と繋がってる気がする。
俺にとって、裕美は、一生忘れることの無い大切な初カノだ。
今回、久しぶりに練馬を訪ねて、改めて裕美を思い出した。
そして、俺にとっては、裕美は今でも愛しい初カノであり続けることを確認した。
そんな、裕美との思い出をここに…

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コメント一覧 (11件)
オレも練馬にいたことがあるなあ…
>丁度俺が上京した年、西武、東急、地下鉄などが相互乗り入れが始まって、練馬から横浜まで乗り換えなしで行けた。
2013年だね。
私もその頃練馬にいて、アンデスに通ってマンガ読んでました。
お会いしてるかもしれませんね。
私は練馬や桜台からは少し遠い板橋区(東武練馬)に住んでいました。とは言っても、40年前、西武池袋線が高架化される前の話になりますが・・・。
喫茶「アンデス」が入っていたビルは解体されてしまいました(ストリートビューより)。
桜台の駅近くには小学校へ入学した時から顔見知りの同級生が住んでいますが、住宅密集地の「旗竿型」の土地に自宅があるので、探すのに苦労しました。
練馬、桜台、懐かしいです。
その頃、武蔵大学にいました。
そして彼女は武蔵野音大生でした。
今年31歳の彼女、卒業以来音信不通ですが、元気でしょうか?
懐かしい。
デンマークベーカリーのパン食べたい。
良い話です。
ねり丸
わあ、ねり丸懐かしい。
俺も学生時代は練馬にいたわ。
懐かしいね。
卒業で帰郷する際、元カノと最後のランチをした喫茶アンデス、無くなっちまったんだよね。
練馬駅で元カノに見送られながら、帰郷したのは2017年2月下旬だった。
俺も今はパパになっているけど、元カノもママになってるだろうな。
元カノ、元気かな…
練馬には、元カノがいた。
可愛い音大生だったっけ。
卒業して帰郷する元カノを見送って9年、結婚したかな…